『優しくて 背が高くて 格好いい人』

自分の口から出たでまかせを頭の中で唱える。
夜久ではない人物だというのをどうにか伝えたくて咄嗟に出てきたのが背が高くて≠フ部分だった。
今思えばなかなか嫌味だったよなあと後ろめたく思ってしまう。まあ私の好きな人の背がどうであれ、夜久には全く関係のない事だけど。

ノートをとる手を止めて顔を上げた。
「ここ重要だからな」と該当箇所を赤色のチョークでグルグルと囲うのを真似する。ほんとこの人、グルグルの筆圧はすごいなあと感心していると、斜め前に座る黒尾が頬杖をついたままちらっとこちらを向いた。先生側から見えないように口元を上手く隠しながら、何やら口を動かしている。

ひ つ あ つ

吹き出しかけたのを咳払いでどうにか誤魔化した。
先生と目が合ったけれど、特に何事もなく授業は進行していった。





「先生絶対睨んでた」
「ごめんって。途中からもうおっかしくなっちゃってどーしても黙ってられませんでした」

「もう俺そのうち筆圧センセイって呼ぶかもしんないわ」とかなんとか適当なことを言う黒尾を笑って、机の上を片付ける。

辺りを見渡して、皆も同じようにしているのを確認してから席を立った。
教壇に上がり授業の跡を上から下へと消していく。上の方が届きづらくて嫌だなぁといつも思うけど、筆圧先生ことヒロアツ先生はあまり高いところから書かないでいてくれるから割と好きだ。ただ、グルグルの部分が消えづらくてそこは本当に勘弁してほしい。

力いっぱい擦っている私を後ろからケラケラと笑う声がする。黒尾め。笑ってないで手伝ってよ、と振り向いた先、すぐ近くにいた夜久と目が合って息が止まるかと思った。

逸らしてしまおうか、でも、気まずいのを無かったことにと頼んだのは私の方だし。
そう一人考え込んでいると、「三國先生ホント筆圧強いよなー」と夜久がいつもの調子で笑ってくれた。簡単に騒ぎ出す心臓を今すぐにも呪ってしまいたい。同じように、いつもの調子で返せない自分自身も、一緒に。

いつも、なんて、いつからか忘れてしまった。
どうやって夜久と話をしていたんだっけ。どんな声を出していたんだっけ。どんな顔を、していたんだっけ。

多分、自分が思う以上に変な間を置いてから「ほんと日直泣かせだよ」と返した。
黒尾にならって適当なことを言ったつもりだったけど、空回っている自覚があって余計に恥ずかしかった。

「あ、夜久ー、今日のミーティングなんだけどさー」

黒尾がそう声をかけてくれたおかげで夜久が離れていってくれた。心の中で黒尾に何度もお礼を言いながら黒板に向き直る。
声をかけてくれて嬉しいはずなのに、いなくなってくれてホッとしてしまうなんて、我ながら意味がわからなくて心底嫌になる。
下手くそだなぁ。ほんと、本当に、へったくそ。
すっかり綺麗になった黒板を見上げて席に戻った。黒尾と部活の話をする夜久を無意識に視界に入れないようにしてしまっている自分に気がついて、更にげんなりした。





四限目が終わって各々が社会科教室から出て行く中、黒板の前に立つ。

何せ私はここの黒板消し作業が一番嫌いだ。
絶対他の教室よりも黒板そもそもの位置が高く感じるし、先生は嫌がらせみたいに上からしっかり書き込んでくれる。

こうやって日直で移動教室のある時にはいつも「手伝うよ〜」と反対側から消していってくれる友だちは、今日に限って「なんか一組の人に呼ばれてるみたいだから行ってくる」とどこか緊張した面持ちで既に教室を出てしまっていた。

ぴょんぴょんと飛び跳ねながら消すのが億劫で、一番前の席から椅子を一つ拝借する。上靴を脱いで足を片方乗せた時、腕が目の前に伸びてきた。

「それはさすがに危ねえよ」

それが夜久で、飛び上がってしまいそうになった。

「その椅子ガタついてるし」
「あ、あー、ほんとだ」

片足に体重を乗せて揺らすと心許ない音が鳴る。
たしかにこりゃ危なかったな、と反省する私の横で黒板消しを手に取った夜久が反対側から消し始めた。咄嗟に「えっいいよ」と断ったものの、「いや届かないだろ」と即答された。

上から綺麗に消されていく黒板をじっと眺める。夜久は教室や部活では小柄な扱いを受けているとはいえ、私よりも十分に大きい。夏仕様のワイシャツから伸びる腕が意外と筋肉質なことに、私はいつもドキドキしていた。届く範囲の板書を消しながら何も話せないでいた。

夜久が「よし」と手の粉を払っている。すっかり綺麗になった黒板を見上げる横顔へ、そっと勇気を出してみた。

「あ、ありがとう」

大きな瞳が私を捉える。「どーいたしまして」と口の端が上がって、じわりと胸が熱くなってしまった。

いつの間にか教室には私たちだけになっていた。ずっとこうしていたい気持ちと早く逃げ出したい気持ちとで頭の中がぐちゃぐちゃしている。

「戻んねえの?」

黒板の前で立ちつくしている私に夜久が言った。
一緒にってことだろうか?一緒で、いいんだろうか。そんな事を考えていたのが夜久にも伝わっていたらしい。


「……なんか俺間違ってる?」


らしくないその不安気な声に思いきり首を振る。
夜久は何も間違っちゃいない。間違ってるのはなかったこと≠ノできていない私の方だ。私のせいでこうなっているっていうのに、夜久の優しさに甘えているだけだなんて、本当に恥ずかしい。
できるだけの笑顔を作って「ちょっとブランクがあってさ」と言えば、「何のだよ」と呆れたように笑われる。久しぶりにいつも通り話せている感じがして、私も余計な力が抜けていく気がした。

さっきよりも表情を柔らかくした夜久が「行くぞー」と扉の前で私を待ってくれている。勉強道具を手にとって私も教室を後にした。


何を話そうかと考えながら戻る途中、階段を下りてきた友だちが私に気がつくなり突然抱きついてきた。

「えっ!?どうしたの!?」

わけがわからなくて慌てる私を、友だちがさらにきつく抱きしめてくる。
夜久がこそっと「先行ってる」と気を利かせてくれた。

何があったんだろう。背中をゆっくりさすると腕が離れていって、その赤い顔を両手がしっかりと隠してしまった。泣いていたわけじゃなくて安心した。肩をさすりながらもう一度名前を呼ぶと、弱々しい声で「どうしよう……」と聞こえた。

「何があったの?あれ、誰かに呼び出されたんだよね?なに言われたの?意地悪なことだったら私言い返してくるよ」
「……き、だって」
「なに?」
「好きだって言われた」
「え、え……えーっ!?」


それは予想外だった。ここが廊下だということも忘れて叫んでしまった。いっちゃんとは一年の頃からずっと一緒にいるけどこういう話を聞くのは初めてだ。
すっかり興奮して「えっ?え、だれ?どの人?誰くん?」と捲し立てると、耳まで赤くしたいっちゃんに「声!大きいから!」と制される。

こんなところで話し込むわけにもいかなくて、急いでお弁当を取りに行ってから西側にある空き教室まで移動することにした。いっちゃんが座った席の前の椅子を引いて腰かける。なかなか口を開こうとしないので「で?誰?」と催促してみれば、勢いよくお弁当袋に顔を突っ伏した。

「……伊藤くん」
「いと、え、どっちの?」
「テニス部」
「えーっ!あの爽やかな伊藤くん!?」

体を起こしたいっちゃんが照れくさそうに乱れた前髪を直している。彼女のことを好きになるなんて本当に見る目があると思う。満更でもなさそうだし、ドキドキしながら「なんて返事したの?」と聞いてみたら少しだけ困った顔をされた。

「いっちゃん?」
「突然だったし、ちょっと待ってもらってる」
「保留!?え、タイプじゃないの?イケメンじゃん」
「まあ……かっこいいよね」
「ええっ!じゃあ何ですぐオッケーしなかったのー!」

もったいなーい!なんて言っていたら、また顔を埋めた彼女が「だって」と続けた。


「……名前が悲しい思いしたばっかりなのに」



いっちゃん。
いっちゃん、優しいなあ。

丸まった背中をさすりながら笑ってしまう。


「それとこれとは別だよ?何でいっちゃんが我慢しなきゃいけないの」
「わかってはいるつもりなんだけど……ごめん勝手に、名前のせいでみたいな言い方した」
「全っ然!それにさ、私的には無しじゃないのに断られる伊藤くんを気の毒に思っちゃうよ。いっちゃんが嫌じゃないならオッケーしちゃっていいんじゃないかな」

そうだよねえ、と言ったきり黙ってしまったいっちゃんが顔を上げる。口角を上げてみせれば、恥ずかしそうに目線を逸らしながら「付き合ってみようかな」とこぼした。

「いいね!善は急げだよね!一組行く!?」
「い、いや今はいいよ!それよりお弁当食べちゃお、時間なくなっちゃうし。一組には放課後行ってくるから」

真っ赤な顔でお弁当箱を開けている姿ににやけてしまう。

「いいなあ〜付き合うのかぁ〜」

「いや、ニヤニヤしすぎ」と睨まれたけど怖くもなんともなかった。


お弁当を食べ終え、二人で教室に戻っていると急に名前を呼ばれた。しかめっ面のクラスメイトがそこにいて、「どこ行ってたの?」と言われて首を傾げる。何か用事があっただろうか。彼の手にはビニール袋が下げられている。昨日の事を思い出して「ああっ」と声が漏れた。

「人におつかい頼んでおいてさ」
「ご、ごめんごめん!色々あって……いや、何言っても言い訳か、ごめんね」
「別に良いけど。元はと言えばって話だし」

購買の数量限定プリン、わざわざ買ってきてくれたんだ。お礼を言いつつ受けとったその中にはカップとスプーンが二つずつ入っている。

「……じゃ、渡したから」
「あ、うん。ありがとね」

その背中を見送ってからもう一度中を見る。昨日の私は二つも頼んでいただろうか。いっちゃんに「なんか二つももらっちゃったから一緒に食べよ」と笑いかけるも、彼女の目は背中を追ったままだった。

「……足立くんに悪いことしちゃったかなあ」

なんのことかよくわからなかったけど「悪いことしたのは足立くんです」とジト目で返せば、いっちゃんは「そりゃそうかー」と笑うだけで詳しく教えてくれはしなかった。

少しでも前へ


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