恋の色 | ナノ


▼ ここじゃない

伊崎と初めて話したのは2年の冬だった。あの頃も悩んでたんじゃないかと、今なら思う。

先攻後攻を決めるじゃんけんを終えた俺は、これから一緒に戦う皆のもとへ戻るところだった。伊崎の声が聞こえて、顔だけ出そうと側へ行った時、伊崎が泣いていた。

悩みなんて抱えてる姿なんて他人には決して見せなかった。
よく朝は部活に出ていた様で顔に絵の具つけながら、真面目な顔して席につき、指摘されると真っ赤になっていた。授業を真剣に受けてるかと思ったら、真剣な顔で絵を描いていた。
泣き顔なんて1度でも見たことなんてなかった。

『人生があと60年以上も続くとゾッとする、あとどれだけあの人に縛られなきゃいけないの?』

本当に死のうとするのだろうか。高校生がそんなに簡単に、例えば明日、駅のホームに遠い目をしながから立つことなんてあり得るのだろうか。

『もう嫌だよ、死にたい。むりだよ。』

聞いたこともないような声で、振り絞りながら喋る伊崎は抱き止める紺野を掻き抱くようにして離す様子がなかった。

もし明日本当に会うことが出来なかったとしたら、聞かぬふりをして見なかったふりをして、野球だけのことを考えて悠々と、彼女の席の前を座れるのか?


『誰かに褒めて貰うのなんて、うれしいなぁ。』

そう言って照れながらもっと見るかと笑った彼女が忘れられなかった。どこまでも夢中になれる、高校生活の全部を捧げられるものが俺にとって野球だとすれば、伊崎にとっては絵を描くことだったはずだ。

試合が終わり、ミーティング後、帰路についていたにもかかわらず、気づいたら足は学校へ向かっていた。
どこにいるのかも分からないまま、あてどなく伊崎を探した。具合が悪そうだった伊崎がこんなところに一人で来るわけない。そうであって欲しい。でも、どう考えても此処に来るような気がしてならなかった。

「何してるんだ?」

小さな背中が驚いたように動いた。暗くても分かった。長い髪を1つに低くまとめ、少し猫背で、雑に触れたら折れてしまいそうな程な細くて白い女子の姿だ。

校舎とグラウンドを繋ぐ小川、川上には桜の木がある。俺がグラウンドから離れたくても離れられなかったあの時期によくいた場所だった。やっぱり、伊崎はあの頃ずっと此処に来ていたんだ。あの絵も、俺にもあったあの頃の悩みも、言いたいことは山ほどあるのに言葉にならない。言葉にしていいのかも分からない。

俺は何も答えない伊崎の隣に、腰を下ろした。

「…今日、勝ったよ。」
「…行けなくてごめん」
「謝ることじゃない。一杯一杯だったんだろう、今まで。」
「…」

夏の夜の蒸し暑さに汗が流れる。涼しげな小川の音は俺達の沈黙とは関係なく続く。俺のところに虫が寄ってきているのに伊崎のことは避けていく。

「学校の敷地内ならここがグラウンドの次に好きな場所だよ。」

伊崎は黙って首を縦に振る。その様子を見ると、聞いてくれていると分かる。

「辛いとき、好きな場所に来たくなると思ったんだ。伊崎…俺はお前に生きて欲しい。」

こんな言葉しか出てこなかった。伊崎は顔を伏せてしまう。

「好きなら何があっても乗り越えられると思ってたのに、先の見えない闇が怖くて堪らなくなった。もうどうしたらいいのか分からなくて、でも、なんでか分かんなくて」

限界がきているのだと言葉がうまく紡げていなくて、理路整然とした話は出来ていない。
追いつめた相手とか何が原因でとか聞きたいことはあるけど、この様子じゃ聞き出すことは無理だろう。解決策なんかよりも欲しいもの…上手く話せる訳じゃないし、気をつかった台詞を言えた試しもない。でも、今とめないと本当に伊崎は戻って来れなくなる。

「生きて欲しい。
伊崎には叶えたい夢があるんだろ。立ち止まって、考えてでも乗り越えてきたんだろ。貫くのが苦しくて、足掻いても無理なら、怖くて先に進めないなら、俺が盾になる。
…俺だってたった独りではここにいなかった。」
「…」

「お前が死ぬのはここじゃない。」

ずっと伊崎が肩を震わせていたのをただ見てるしかなかった。
でも、離れず側にいた。
この子が泣き止むまで、もう一度立ち上がるまで、どんなに身体が小さくても想像も出来ないほどの作品を産み出す俺の後ろの席の子が歩みだすまで…

嗚呼、不思議と夏のむせ返るような暑さを思い出す。胸が熱くて仕様がない。

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