今日は珍しく早く帰れる日だった。大事な大事な妻 桜の待つ自宅へ向かう。
最近は疲れてる日や精神的にきてるときも多かったけど、今日はちゃんと桜と話せそうだ。これでやっと不安もなくなる。
全部終わったら桜をいっぱい抱き締めて、二人の好きな美味しいカレーのあるハンバーグ屋さんでカレー食って、最近やりたいって言ってたゲームを一緒にしこたまやって、疲れたら昼間まで寝てそしたら、また抱き締めてキスして離してやらないんだ。
桜笑った姿を思い浮かべるだけで、幸せになる。

なあ…だから、居てくれるなよ。頼むから。

いつもより玄関のドアが重く感じる。おかしいだろ、ここでびびって逃げてまた取り繕って不安になる日々を過ごすのか。…嫌だ。
思いきって開けた。上がり框の側にはよく知るサンダルだけが置いてあった。

「考えすぎだよな。」

ポツリと呟いた声が薄暗い、家の中へ溶けていく。静かに歩きリビングへ向かう。少し開いた扉の奥に何があるのかは、分かっていた。でも、疑いたくなかったし、あいつに限ってそんなことするはずないって信じたかった。

「そこで、なにやってるんだ?」

俺が休日よく座るソファに恋人のように寄り添う二人の男女がいた。
桜と一緒にいたのは、俺が高校時代一番信用していた御幸一也だった。憎まれ口叩きながらも俺達ピッチャーの成長を誰よりも願い、熱く最後の夏に捧げてきた男の姿を今でも鮮明に覚えてる。

だからこそ、信じられなかったし理由がわからなかった。

「栄ちゃん…待って、私。」

もう一緒には居られない。こんなことってないだろ。裏切られた。なんでなんだよ、何であんたが俺の大事な人と今一番みたくない姿さらしてんだよ。今まで嘘ついて俺を守るふりして、笑ってたのかよ二人して。


 ̄¨

初めて桜と出会ったのは高校の頃、俺が上京して3ヶ月経った日のことだった。

差し入れを届けてくれたOBの先輩の妹で、沢山ある機能性食品はどれもみたことあるものばかりだった。こういうのって結構高いもんだろと皆話してて、OBの先輩の身形もよくて、どう考えてもそこら辺のおっさんとは少し違った良い時計をつけていた気がした。そんな中、何箱も食堂に運んでいる女の人がいて、小綺麗な格好とは裏腹に汗かきながらせっせと働く姿を、見かけて声をかけたんだ。

「手伝いますよ。」
「いいの?」

焦げ茶色のショートカットの髪、小さくて綺麗な顔に、キラキラと光る汗、俺はついつい見てしまう。
どぎまぎしながらも、彼女から箱を受け取ると。

「助かるよ。」

そう言って笑う姿に、なんだかずっとみていられそうだと思った。

高校生の間に何度か来る度に俺は声かけたり、理由がなかったら離れたところから見に行ったりと、いま思えばちょっとあからさまだった。でも、彼女はそんな俺を、こんな時だけかわいいねと大人な対応で、ますますそんな彼女に惹かれていった。でも、俺はいつかここを卒業すれば彼女に会えなくなってしまう。そう考えるだけでチクリと、胸が痛んだ。
憧れてるだけだよな。何でこんな変な感じになっちまったんだ。
野球に打ち込んで走って走って、御幸先輩に球を受けてもらって…こうした積み重ねによるレベルアップの日々は俺の気持ちを一時でも忘れさせた。

ある時、御幸先輩に球を受けてほしくて降谷と順番を話し合っていた。そのとき、降谷が思い出したように彼女の話をしたのだ。

「は?降谷、何であの人のこと知ってんだよ。」
「だって、よく来てたし。」
「じゃあ、言えよ!」

どうしたどうしたと、先輩達が集まり始めてしまったけど、この男の言葉は聞き捨てならなかった。彼女が来ていたことをよくみていたと言うのだ。

「沢村、来てた来てないにしてもお前に言う必要ないだろ!」
「やっぱり、お前…」
「若菜はどうした、若菜は!」

ちくしょ〜なんだかわからん。でも、もやもやする。

「御幸一也〜!!」
「…」

御幸先輩の部屋は明かりはついてたけど誰もいなかった。どこ行ったんだあの人…入れ違いで室内練習場に行ったのか?

「なんだよ、沢村。」

御幸先輩は布団から顔だけだし、眼鏡だけかけて俺を見る。

「…具合でも悪いんすか。」
「何、心配してくれんの?」

意地悪い笑みを浮かべるが、汗をかいている。本気で具合が悪いのかもしれない。受けてほしかったけど、しょうがない。
部屋を出ようとしてドアの方に身体を向けると、あとから行くと思いがけない言葉がかけられた。振り返ると、布団から出ようとしている。

「いいんですか?」
「いいんだよ。」

今思うと、この時御幸先輩の部屋は明らかにおかしかった。嗅ぎ慣れない香水の香りが仄かにした気がしたんだ。

 ̄¨
ある夏の昼下がり、告白の声が聞こえて俺は思わず身を隠す。ああ、そうだよな誰も彼女の事をほっとくわけがないんだ。

「ごめんね」

その言葉を聞きホッと胸を撫で下ろす。でも、理由はわからない。ちょっとでも話せたらいいと思ってたけどそれどころじゃないよな。バレないように後退りして、もと来た道を帰ろうと踏み出したとき

「待ってよ、何か話したかったんじゃないの?沢村くん」

彼女の透き通るような声が、自分の耳に届くと何だかくすぐったい気がして、指先から耳の先まで火照った。

「俺の名前、知ってたんですか。」
「だってもう今じゃちゃんとしたレギュラー選手じゃない。兄だって、他のOBの先輩方だって今じゃ貴方のこと知らない人はいないよ。」

嬉しい。胸踊る感覚はまさにこの事だろう。
先輩達の夏を終わらせたくない。ただその思いだけになって、認めさせたいと心から誓って、必死だった。ずっとこの人は気にかけてくれていたのだろうか。

抑えられない、無理だ。
いつかこの人が俺以外の人と二人で一緒にいる姿を想像してしまう。
やめておけと、どこかで誰かが警告するのに無理だ。止まれない。

「俺がエースになれたら、いつか俺のこと好きになってくれますか!」

口から出た言葉に自分でも驚きながら、彼女も目を丸くしていた。今日はなんて日なんだと、思ってしまっているだろう。困らせてしまったことが申し訳ないと後悔したが彼女の答えは、逡巡したあとの笑顔に現れていた。

嬉しかったし、いつかこの人を抱えて色んなところを走り回ったり、手を繋いで連れて行きたいところ全部歩いたりしたいと思ってしまった。

あれから数年経ち、もう俺達は結婚を前提に付き合い、籍を入れた。幸せな日々を送っていた。
なのに、遠い昔に嗅いだことのあった香水の香りに鼻がむずむずした。

「あれ、桜ってこんな香水つけてたんだ」
「え、うん。…最近買ったの。」
「なんか似合わないかも…あ、でも俺が苦手なだけだから!桜は自分の好きなもの使っていいからな!」

困ったように眉を下げ、いいよ使わないと桜は言った。

数ヵ月した時にまた同じような香りが鼻を刺激し驚いた。ここは出先だし、球場だ。あれ、だって今ここに桜はいないのに何でと振り返るとにやついた男がいて、高校時代のような感覚が戻ってくる。その時に、違和感とかは感じなかったし、気づいくわけもない。

ただ、その日、家に帰ると本当に微かな同じ香りがしたんだ。

桜といた御幸の姿をみたことなんてなかったし、好きともなんとも聞いたことなんてなかった。むしろあいつ目当ての女性ファンから引く手数多だったはずだ。結びつかない。

でも、俺が知らない二人の時間があるかもしれないと思うと心がざわついた。

「香水とか似合わないものつけるってどう思います?」
「桜さん?そりゃお前にいう権利あるか?女性のお洒落みたいなもんだろ。」

たまにこうしてOB同士で飲んで話していたけど年齢が上がるに連れて既婚者も増えてきて家族や子供の話題ばかりになっていた。そんな中、御幸はへらへらとお酒を呷る。こいつが誰か一人の人と一緒にいる姿は我ながら失礼だとは思うが想像できん。でも珍しく親身に聞いてくれるし、愚痴ってもはぐらかさないし的確にアドバイスしてくれる。

「沢村、こいつが喋りすぎてるときは楽しんでる証拠だ。信用すんなよ!ヒャハハハ」

倉持先輩が酔って絡み酒してきた時にそう言われたのに俺は真に受けなかったし、ちょっとうっとうしいくらいに思ってた。でも、この忠告を聞いていればもっと早くに気づけたんじゃないか。

三度目の香りがしたのは、俺達が使っていたベッドからだった。

「まさかな」

二人の男女から同じ香り?
よくテレビで話題になる、芸能人の不倫報道がを思い出すと、気持ち悪くて吐きそうで、我慢できなくて込み上げてきてしまった。

御幸先輩、俺なにか悪いことしたか?ここまでされるような恨まれるようなことしたつもりねぇよ。それとも桜から?俺のことどうでもよくなったのか?

考えすぎてもう無理だと仕事を入れてはこなし、体を痛めつけた。そんな俺を心配してくれた桜。理由なんて言えないし、疑ってる俺自身が嫌でたまらなかった。

でも、俺の目の前に御幸はいる。

「沢村、悪いな。ウソついてた。」

そう言って笑う御幸に手が震える。認めてしまったら、夢でもなんでもなくなる。

「なにやってんだよ!!信じてたのに…ふざけんな。」

悔しすぎて抑えきれなくて、涙が頬を伝わっていく。

俺がいるのにも関わらず握り合う手をみた瞬間に、心が壊れる音がした。




バレてしまうならはじめからこんな嘘つくなよ


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