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▼ 頑張るから

【結城哲也視点】

桜がまた俺の素振りを近くで見るようになってから、皆は桜と話すようになった。俺はそれをいいことだと思う。
桜は初対面の人とは話すのが苦手なやつだけど、元々思ったことが顔に出やすくて裏表がないから、人から好かれるんだ。

─‥

麻日奈兄妹に初めてあったのはまだ、2人の母親が生きていていたときだった。

お父さんから聞いた話によれば、元々東京に住んでいた2人の母親は自身の両親と折り合いが悪く、よくお父さんの家に世話になっていたらしい。結婚を機に親に勘当をされてから、一切東京に寄り付かなくなった。それでも、お父さんは蒼一さんや桜達をよく家に長野からよんでいた。青道には桜達とよく見学にも行った。2人の母親がなくなる前後一時期ぱったりと来なくなったときもあったけど、そうたが稲実に入学することになってからまた家に来るようになった。そうたは蒼一さんを何故か避けるようにはなっていたけれど。

稲実で活躍するそうたは俺にとっては、一番の身近な憧れの存在だった。

『哲、今日は早いな。おはよ』
『おはよう。もう行くのか?』
『ああ』

そうたの朝は早くて、この約一年半で一度も俺はそうたには勝てなかった。

『じゃ、行ってくる』

振り返ることもなく出ていく、あの迷いのない背中が見れなくなるなんて考えたこともなかった。

だから最初は信じられなくて目を疑った。でも、長野から来た桜達と隠れて泣いていた蒼一さんに現実を突きつけられた。


引きこもった桜。

悲しいのは俺も同じだ。
何もする気にならなかったし、大事な家族を亡くしたという喪失感。これは俺にとって想像以上の痛みだった。


"俺も素振り付き合うぜ、哲。"

『…』

もし、俺が野球を…辞めたら。そうたは…許さないだろうな。

そう考えたらもうバットを持っていた。

俺まで止まってはいけない、絶対に。


引きこもった桜に毎日、声をかけた。
野球をまた見ることで、そうたと俺たちを重ね、寂しい思いをしてしまうかもしれない。
それでも、見に来て欲しかった。

このままじゃいけない。桜もあとを追って行ってしまうような、そんな気があの時はしたんだ。

『桜、こんなことを言うのは的はずれだって分かってるけど、言わせてくれ。

…青道の練習を見に来ないか?』

毎日、毎日…

『悲しいのは分かる。でも、このままじゃだめなのはお前だって分かっているんだろう?だから、出てきてくれないか?』

起きていなくても、返事がこない時でさえも。

『...生きていこう。

どんなに辛くても、俺も頑張るから...お前も..頑張れ』

言ってはいけないことも言った。頑張れなんて追い詰めるようなことを…

でも、桜は一週間で出てきた。

俺が謝るとその事を聞いていなかったように、何で謝るのかと言いはしてはいたが、嘘をついているのはぎこちないその態度でよくわかった。

それから数日たって、

話せるようになったと喜ぶ桜に素直に喜べなかったのは、俺達をそうたと重ねていることがなんとなくわかったからだ。
でも少しずつ笑えるようになっていくのを、俺が喜ばないわけはなかった。


そんなある日─‥

練習試合だったけれど、俺は初めてのスタメン入りをはたした。

皆、自分のことのように喜んでくれた。

「やったな、哲!」
「初スタメン、絶対に結果残せよ!」
「ああ」

皆の励ましの言葉に自然と笑みはこぼれた。

ふと見た先には先程まで一緒に喜んでいた伊佐敷を見つけた。伊佐敷は何かと桜を気にしてくれている。でも、話しているところはあまり見たことはないが。

「早く伝えに行ってやれよ、アイツに」
「桜だぞ、名前は」
「そっ…知ってるに決まってんだろ!」

何故か照れながら言う伊佐敷を不思議には思ったが、その後直ぐに、俺の帰りを待っていた桜のもとへ1人で向かった。

「桜...聞いてくれ」
「どうしたの?あらたまって」
「スタメン入りが決まった」
「....え!」

少し考えたような顔をして、分かった途端に目を輝かせた。それからすごいすごいと連呼する。

「頑張ってたもんね、ずっと。絶対見に行くよ!」
「ああ。...なあ、少し聞いてくれるか?」
「ん?何??」

「絶対に今度の練習試合で俺は結果を出す。だからお前も、頑張れ」

「哲くん…」

二度目のこの言葉、たしかにお前の耳に届いたよな。

お前のことだ、きっと心のなかで一生懸命まだ戦っているんだろう?

そうたがいなくなったこの世界で独りで生きていこうと、寂しさを押し隠して、未だに長野に帰ることの出来ない自分を責めて。

努力はいつだって自分のためだ、
でもそんなお前の励みになるように明日は、

頑張るから。

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