▼ 何もしないなんて
逃げていたって言う言葉が、一番あっているのかもしれない。
ここ、国立トレーニングセンターに着いたときそう思ってしまったのは…今まで何もしてこなかった自分が、信じられないからだ。
去年の夏、私は何も声をかけることが出来なかった。どんな言葉をかけようとしても全てが軽々しく思えてしまった。でも、今ではそれを後悔している。あの時から今までこうして諦めずにリハビリを続けているこの人こそ、私が応援していたいと願う人達の中の、1人なのだから。
礼さんに事前に聞いていた部屋へ足を進めると、予想通りその人はいた。少し躊躇しながらもドアをノックすると、音に反応をしたその人の視線は私に突き刺さってきた。
「久しぶり、優さん。」
少し驚いたような顔をしたように見えた優さんとしばらく見つめあっていたら、横にいた金髪のおじさんに不審人物と思われてしまった。
「今はトレーニング中だ。悪いが気が散るから出てってくレ!」
「え…、でも私お話が。あ、なんなら外で待ってます。そうすれば邪魔にならないし。」
「ああ。そうして…」
「親父!少しこの子と話してくるから、いいか?」
優さんはそう言うと私を有無を言わさず部屋から連れ出した。ある程度来たところで止まると、優さんはこちらを振り向かずにどうしたとたずねてきた。
「私、青道に入学することになったの。」
優さんが驚いたかどうかは、今度は分からなかった。私はその背中をただ見つめ、言葉を続けた。
「私が優さんに対して何も出来ないことは…分かってる。それでも、」
「ここにお前の応援したかった俺はもういない。お前の応援したいのは直向きに頑張るあいつらだろ?俺を気にかける必要はない。」
私の言葉を遮るようにして、発せられた優さんの言葉は冷たかった。でも、だからってここで怯むわけにはいかなかった。
「今も昔も関係ない、優さんは優さんだよ。」
「…」
「誰よりも努力して、誰よりも一番に活躍していた。そんな優さんが怪我をして....それでもこうして頑張る優さんを無視することなんて、...出来るわけ..ないよ。」
....ダメだ、また..
「...何も出来ないと分かっているくせに、何もしないなんてことは出来ない、か。」
「...?」
「言ってること滅茶苦茶だぞ…桜。」
そう言ってやっと振り向いてくれた優さんは、悲しそうに笑っていた。
「さっきは変なことを言ってすまない。昔からお前は...そういう奴だったよな。」
悪いと言って優さんは私の頭を撫でてくれた。
その手があまりに優しくて、こんな私が泣いてはいけないのに、泣きそうになる。
ごめんなさい。
でもそれを許してくれる、優さんだからこそ力になりたい。なんでもかんでも許してくれるわけじゃないけど、泣きそうになっていた声を聞き逃さず拾ってくれる、優しい人でもあるから。
『滝川さん、どうしたんですか?こんなところで。』
『まあ…ちょっとな。』
『?…あ、そう言えば前から思ってたんですけどね、優さんって呼んでもいいですか?』
『...別にいいけど。何で?』
『優っていう響きが好きなんです。』
そう言って笑ったあの頃のように、優さんがまたプレーすることが出来るようになることをずっとずっと…
願ってる。
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