37.生ける屍 2/2

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湯船から音がしたことを確認して、カサンドラは服を回収した。洗濯をしようとしてポケットに手を入れる。何かが入っていた。帝国と同盟のバッチだった。彼女は冷静に戻した。詮索は好きではないのだ。

「そう、詮索しないことだな」

気がついていたがあえて無視していた。タオル一枚で万年筆をカサンドラの首に当ててくる、女の存在に。間髪をいれずにカサンドラは発言する道を選んだ。力で勝てるはずがない争いはする気はない。

「助けてもらって悪いが」
「私より年上が何を怯えているの?ここで私を殺してもデメリットしかないわよ。ヤン艦隊にでもいたのかしら」
「はぁ、これは負けるな。」

はじめから殺す気もないことはわかっていた。脅して口止めをしたあと去る気だったのだろう。

「ヤン艦隊にね。理由は?」
「野垂れるなんてこのタイミングじゃ、ヤン艦隊からのギブアップぐらいじゃない?だいたい、それでも政府の監視下だろうから、もっというと逃げてた、か。」
「頭がいいやつとは居たくないね。優秀なのも困りものだ」
「もっと言いましょうか」
「いや素直に礼を言うよ」

あなたはスパイでもしていたのか、そう聞きたかったがカサンドラは服を洗濯機に入れた。万年筆というよりあれは仕込みナイフじゃないか、と。

不釣り合いな服を着た女性に卵スープを渡した。ソファに座って頭を下げてから受け取った女は、カサンドラを見つめて訊ねた。

「そう言えば、名前を訊いていなかった」
「カサンドラ・ビッテンフェルト」
「えっ」

この反応想定していたが、そのあと女が吹き出すとは思わなかった。そこまで驚くものなのか、カサンドラは不快でしかなかった。

「すまん。えっと俺は、ライヒとでも呼んでもらおうか」

正確には"Leiche"と聞こえた。本名は答えないという意思表示のつもりらしい。このライヒが救急車を呼ばれることを拒んだのも、自身の身を隠してしまいたかったのも、怯えたこともヤン艦隊でなにかしたのだろうか。優秀で軍にいるべき人が、軍を出る理由がわからなかった。カサンドラ自身が軍を出た理由と似ているが知るはずがない。

「二度も死んだ身なんだ。名前なんていらない」
「二度も?」
「帝国を捨てた。同盟に逃げてそこも捨てた。どちらの名前も重すぎる。ああ、すまん。いらんことを話した」
「大きな独り言だなー」

興味がなかった。だからこそ絶対の沈黙を約束できた。見開かれた目を見ることもしなかった。それでも約束できるものだと思っていた。

「そうか・・・・・・
帝国で、ある領地でスパイをした。そこの不穏分子を見つけ、消すことだった。彼らに会って、任務を全うできなかった。考えってあっという間に変わるものなんだなと知ったよ。手が出せなかったんだ。帝国の在り方、貴族の存在すべてに疑問を感じたとよ。不穏分子はそのまま反逆者になった。そして俺の拷問だけで済まずに、貴族の連中は彼らを殺すことで片付けようとした。隙を見て逃げたさ。拷問にもうんざりしたしな」

その小さな事件なら聞いたことがあった。原作の年表には存在しない事件だ。反乱分子は爆弾を持って領地を納めていた貴族を道ずれにした。計画には貴族側に裏切り者がいたと思われるぐらいスムーズだったそうだ。特に屋敷の内部に関して。隠し部屋まで壊されていたらしい。この人が情報を流したと考えれば納得がいく。しかし、彼女がそのまま逃げてきただけだろうか。
きっと止めたのだろう。たぶん逃げたんじゃない。計画を実行する前に止めに行く為に拷問から逃げたんだ。しかし、手遅れだった。この女性の気迫はそんなに死んでないから。

「はぁ。気が緩んで昔話なんてしてしまった。通報するか?」
「今は貴族なんていませんから。それよりどうするつもりですか、これから」
「そうだったな。平和に暮らしたいな。店でもやりながら」
「ふむ。」

不動産で儲けられたらいいな、と思っていた時期がカサンドラにはあった。これからは同盟も帝国も隔たりなく人が行き来できると考えて持っていた物件がある。元々は飲食店だったらしい。そこで店でもやってくれれば家賃収入が入ってカサンドラにはちょうどよかった。

「空き物件がある」
「わざわざ、物件を?
この女、したたかだな。敵わないな」

絶対の沈黙を売りにきたカサンドラに微笑んだ。女は立ち上がった。もう十分暖まったらしい。

「おいとましようかな」
「玄関はあっちよ。服は取りに来て。乾いたときに」
「そのときは、カーチャルと呼んでもらおうかな。」

このとき、カサンドラは疑問がよぎった。銀河英雄伝説の年表にない事件、ビッテンフェルトの結婚、マーティルダの存在、逃げてきた女工作員。知らぬ間にイレギュラーが続いていることを。ここは銀河英雄伝説の世界なのか。彼女は一つ思い付くものがあった。
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