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─── その後はバスで学校に戻り、解散となった。
泣き腫らし、目を赤くした部員達。
今日はいつものように皆で一緒に帰ることはなく、ポツリポツリと疎らに歩いている。
そんな中、名前だけは西谷の半歩後ろを歩きながら一緒に帰っていた。
2人は、どちらからともなく一緒に歩き出したのである。
しかし一緒に帰っていると言っても何か話す事はなく、終始無言で歩いていた。
名前「……ごめん、ありがと」
ようやく口を開いたのは名前の方で、それも名前の家の目の前に着いてからであった。
西谷の家はここから3軒程挟んだ所にあり、もう通り過ぎてしまったのだが、西谷はいつも名前を家の前まで送っている。
今回もそれは例外ではなく、いつも通り送ってくれた西谷に名前は小さく笑って礼を言った。
名前「……じゃあ、また明日ね」
西谷は、小さく頷く。
学校を出てからここまで、結局西谷は一言も言葉を発さなかった。
今日ばかりは仕方が無いだろうと思った名前は、西谷に向かって軽く手を振り、家の玄関へと向かう。
─── しかし、その時。
西谷「……名前」
名前「……っ、」
何だか久しぶりに聞いたような気さえする、その声。
それと同時に、パシッと西谷の手が名前の手首を掴んだ。
名前「……な、に?」
西谷「……名前。こっち見ろ」
できなかった。
振り返れなかった。
─── 家に着いたことへの安心感と、この上ない喪失感で、今にも涙腺が事切れてしまいそうだったから。
名前「……ごめん。無理」
つい突き放すような言い方をしてしまい、一瞬後悔に苛まれる名前。
だがそれ以上に、早くここから去りたかった。
自分の声が、震えていることに気付いてしまったから。
自分の手首を掴む西谷の手から逃れようと、腕に力を込める。
しかし、彼の手はビクともしなかった。
名前「……ノヤ、ごめん。お願い、」
" 離して。"
その言葉を発する前に、グイッと強く腕を引かれる。
─── ドサッ、と自分の持っていたスクールバッグが落ちる音が聞こえた。
西谷「……俺の前でまで強がんな、バカヤロー」
西谷の低い声が、耳元で聞こえる。
一瞬、何が起こっているのかわからなかった。
鼻先を掠める西谷の香りと、目の前にある白いTシャツ。
たっぷり5秒ほど経ってから、ようやく自分が西谷に抱き締められていることに気付く。
17年間共に過ごしてきた中で、一番近いであろう今の距離。
驚いて飛び退こうとした名前であったが、背中に回された西谷の腕に力が篭る。
まるで、" 離すものか " と言われているようであった。
西谷「……俺、言ったよな。俺はどんな試合でもお前と戦ってるって」
名前「……」
西谷「……変な所で "自分はマネージャーだから" なんて線引きすんなよ」
名前「……っ、」
─── ああ、全部バレていたのか。
見事に自分の心の中を言い当てられて、名前はキュッと彼のTシャツを掴んだ。
3月の県民大会も、それ以前の大会も、そして今日の試合でも。
名前は、"敗北" という結果に対して決して涙を見せなかった。
嬉しくて涙を流すことはこれまでにも何度かあった。
しかし決して、悔し涙は流さない。
なぜなら、観客席で応援することしかできない自分以上に、直接対決をした選手の方が悔しいに決まっているから。
名前はマネージャーの仕事を、 "選手が立ち止まった時、次へ進む手助けをする" ことだと理解している。
そこに、自分の悔し涙は必要無い。
自分に悔し涙を流す資格はないと思っていた。
しかし、そんな名前の心の内は全て、西谷にはお見通しであった。
名前は西谷達と一緒になってバカ騒ぎをしながら必ずどこかで線引きをしており、それを越えた時はマネージャーという位置に徹していた。
だが西谷としては、名前にそんな事はしてほしくなくて。
もちろんマネージャーである以上仕事に徹するのは良い事なのだろうが、どうしてもこちら側に来れない名前をいつも気にかけていた。
もう共にバレーは出来ないことを、彼女が心の奥底では寂しがっているのを見抜いていたから。
そして、寂しいのは西谷も同じなのである。
西谷が隣に居てほしいと思うのは、いつだって目の前にいる幼馴染みなのだから。
西谷「……プレイヤーだろうがマネージャーだろうが "烏野高校排球部" だろ、俺もお前も。だから自分に泣く資格は無ぇとか、馬鹿なこと考えんな。我慢すんな」
そんな想いから紡がれた西谷の言葉は、ゆっくりと優しく名前の心を解していく。
西谷「泣きてぇなら…泣きてぇ時に泣けばいい」
名前「っ、ふ……の、やぁっ……!!」
じわっと目頭に込み上げてきた熱。
堪えきれずに、それは涙となって名前の瞳から零れ落ちる。
名前「嫌っ……いや、だよっ……このまま、終わっちゃうなんてっ……嫌っ……!!」
西谷「……ああ」
名前「……大地さん達がっ……これで、引退なんてっ…絶対っ……嫌ぁ……!!」
西谷「っ、……ああ」
名前「う、ひっく……ふ、うあああっ……!!」
─── " 引退 "。
まるで怖いものから目を背けるように、蓋をして隠していた。
口にすれば現実になってしまいそうで、怖くて仕方がなかった。
悔しさと一緒に隠していたはずの恐怖。
しかしそれはあまりにも大きくなりすぎていて、今にも不安で押し潰されそうになっていた。
それらを全て吐き出せば、堰を切ったように溢れ出てくる涙と声。
肩を震わせて泣きじゃくる名前の体を、西谷はきつく抱き締める。
西谷のその表情は、これまでに無いほど悲痛なものであった ───。
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