桜恋録 | ナノ


3


《 名前 side 》


──── 昨日からずっと、涙が溢れて止まらなかった。


大きな背中、優しげな瞳、大好きな匂い。
そして、私を撫でる大きな手。

思い出すだけで、胸が締め付けられる。



千鶴「……名前。何があったのか、聞いてもいい?」



今まで黙って私の背中をさすっていてくれた千鶴が遠慮がちに口を開いた。

力になれるかはわからないけど、話せば楽になることもあると思うよ、と千鶴は付け足した。

その言葉にじわりと目頭が熱くなる。
……全部吐き出して、楽になりたかった。



名前「……あ、のね、……」

千鶴「うん」

名前「……き、昨日、……」

千鶴「うん」



思い出すだけで、顔に熱がこもる。



名前「……さ、左之さん、に……接吻、されたの……」

千鶴「……えっ!?」



最後は声が掠れてしまったのだが、千鶴はしっかりと聞き取ってくれたようだった。

千鶴は驚いたように目を見開いている。



千鶴「……そう、だったの……」



今でも鮮明に思い出せる、あの感触。

熱を含んだ左之さんの瞳が、脳裏から離れない。



千鶴「……でも、どうして泣いてるの……?」



千鶴が私の顔をそっと覗き込んできた。
その大きな瞳には、私の泣き腫らした姿が映っている。

………だって。
だって、あれは。



名前「……左之さん、酔ってたみたい、だから……」



あれは、きっとお酒のせい。

きっと、あの場の雰囲気とか、そういうやつだ。
昨日のことなんて、左之さんは覚えてすらいないんじゃないだろうか。


その事に、気づいた時。

──── すごく、苦しかった。

苦しくて苦しくて、消えてしまいたかった。



名前「……なんでこんなに泣いてるのか、自分でもわからないの……でも、すごく、苦しいの……」



私の瞳からは、再び涙が溢れ出す。

今すぐにでも、消えてなくなりたい。
理由もわからないのに苦しくて、頭がおかしくなりそうだった。



千鶴「……名前」

名前「……な、に……?」

千鶴「……それはつまり、お酒の勢いだったかもしれないから、苦しいってことだよね?」

名前「……うん」

千鶴「………もし原田さんが、昨日のことを覚えていなかったら、悲しい?」

名前「………うん」




千鶴「………もしかしたらそれは、名前が原田さんのことを好きだからじゃないかな」



名前「……………え、」



千鶴の顔を見れば、千鶴は優しげな表情で微笑んでいた。



千鶴「昨日のことが原田さんの本心じゃなくて、お酒のせいでの行動だったのかもしれなくて、それで苦しかったんでしょう?」



きっとそういうことだよ、と千鶴は付け足した。


……どうして、こんな簡単なことに気付かなかったんだろう。

みんなは私の "推し"だった。
それ以上でもそれ以下でもなくて。
その枠から出ることはないと、思っていた。

……でもそれは、"薄桜鬼"という作品の中での話。


薄桜鬼のキャラとしてではなくて、いつしか私は、あの人自身を見ていた。

あの人の隣で過ごすうちに、いつの間にか1人の人間としての "原田左之助" を、好きになっていたんだ。


……でも、自覚してしまったことで、さらに胸の苦しさは増していた。

だってあれはお酒のせいで、彼の本心じゃないはずだから。

──── 叶うはずのない、恋心なんだから。



千鶴「……ねえ、名前」

名前「な、に……?」

千鶴「……原田さんは、そんな人じゃないと思う。いくらお酒を飲んでも、名前を傷付けるようなことは絶対にしない人だと思う。……それは、名前が1番わかってるんじゃないかな」

名前「………………」



まるで千鶴に、心を見透かされたようだった。


……わかっている。

左之さんの性格は、真っ直ぐだ。
何でも正面突破してくるような、絶対に裏表がない人だ。

それに、女の子にはすごく優しくて。
絶対に女の子を傷付けるようなことはしない。
むしろ、身を呈して守ってくれるような人だ。

………ああ、馬鹿だな私は。
たったこれだけで、少し期待してしまっている自分いる。

……そんなわけ、無いのに。
あんなモテモテの色男が、こんな子供を相手にしてくれるはずがないのに。



千鶴「……名前、今日は休んでた方がいいよ。土方さんや斎藤さんにはちゃんと伝えておくから。ね?」

名前「…………うん。ごめんね」

千鶴「ううん、大丈夫!」



……正直、今日は部屋から出たくなかった。

沖田さんの嫌味に言い返せる自信もないし、土方さんの雷をくらったり新八っつぁんや平助と笑いあったりする元気もない。

……そして何より。
今日左之さんに会ったら、きっと私は泣いてしまう。


今日中に、頭を冷やさなきゃ。
昨日のことは、忘れた方がいい。

夢見て苦しくなるくらいなら、忘れた方がいいに決まってる。
いつも通りの私に、戻るんだ。



千鶴「……ご飯は私が持ってくるからね。あと、みんなに来ないように言っておいた方がいいかな…?」

名前「……うん。お願いします」

千鶴「わかった。じゃあお昼にまた来るから、ゆっくり休んでね」

名前「うん。千鶴、本当にありがとう…」

千鶴「ううん、大丈夫だよ」



千鶴の心遣いが、ありがたかった。

本当に、千鶴がいてくれてよかったと思う。

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