銀桜録 新選組奇譚篇 | ナノ


1

慶応元年閏五月末。

本日は広間で隊士達の健康診断が行われている。
朝一でひと足先に診察を終えた名前は千鶴に付き添って夕餉の野菜を買いに行き、今はそれらを水で冷やしている最中だ。
美味しそうな夏野菜、どんな料理にしようか。


千鶴「そういえば名前ちゃんも朝に健康診断受けたんだよね?体は大丈夫だった?」

名前「うん、大丈夫!近年稀に見る健康体だって」

千鶴「そうなの!?すごいね」

名前「……ごめん嘘、今のはちょっと盛った。本当は、申し分ない健康体って」

千鶴「ふふふ。でもそれでも十分すごいよ」


へへっと白い歯を見せて笑う名前に、千鶴は「よかった」と安堵した表情を浮かべる。


千鶴「……あの、名前ちゃん」

名前「うん?」

千鶴「ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけど……聞いてもいい?」

名前「うん、もちろん!なんなりと!」

千鶴「……あのね、……」


少しだけ目を伏せて、やや躊躇うような素振りを見せる千鶴はなんだか珍しい。
言葉に詰まる千鶴を見て名前は目をぱちくりさせながらも、気長に言葉を待つ。

そしてようやく意を決したのか、「名前ちゃんは、」と千鶴が口を開いた時だった。


伊東「はあ、はあ……!じょ、冗談じゃありませんよ!まったく!」

千鶴「……伊東さん?」


広間の方から顔を顰めた伊東が早足でやってきた。
まるで台風のような勢いであったが、名前達に気づいたようで、「あら」と声を上げてその足を止める。


名前「どうかなさいましたか?」

伊東「どうしたもこうしたもありませんよ!隊士達の健康診断とかで松本とかいうお医者様が無理やり私の服を脱がそうと…!それに、あの隊士たちの態度!まるで野獣みたいでしたわ」


信じられない、という面持ちで語る伊東。
とは言っても健康診断なのだから仕方ないだろう、服を脱がずにどうやって体を診ろというのか。

思わず苦笑いを零す名前であったが、それとは対照的に千鶴が驚いたような声を上げた。


千鶴「……松本?……松本良順先生ですか!?」

伊東「たしか、そんな名前だったかしら」

千鶴「私も健康診断に行ってきます!!」

名前「……えっ、ちょっと千鶴ちゃん!?」


ぴょんっと兎の如く飛び上がって一目散に駆け出した千鶴を、名前は慌てて追いかけた。
あんな所に行きたがるなんて物好きね、という声を背中に受けながら。


名前「千鶴ちゃん、どうしたの?」

千鶴「あのね、松本先生は私が京に来て初めて訪れようとした人なの。何かあったら松本先生を頼れって父様からも言われていて……だからもしかしたら、父様のことを何か知ってるかもしれないの」

名前「あ、そうか!よし、それなら行こう!」


今度は名前が千鶴の手を引き、急いで広間へと向かう。
もう滅多に迷わなくなった長い廊下を走り、広間の大きな襖を開けた。

するとそこに広がる光景は、ずらりと長蛇の一列を作って並ぶ上裸の隊士達。
がたいのいい男達がわいわいと騒ぎ立てている。
そしてざわざわと騒がしい中で、一段と声の大きい人達が数人。


松本「よし、次の人」

永倉「おう!いっちょ頼んます先生!!ふんッ!どうすか!?剣術一筋で、鍛えに鍛えたこの身体!」

藤堂「新八っつぁんの場合、身体は頑丈だもん。診てもらうのは頭のほうだよなー」

永倉「あぁん?余計なこと言ってると締めるぞ、平助!」


周りよりも一際がっしりと筋肉質な体つきの永倉が、俺の筋肉を見てくれと言わんばかりに動いていた。
そんな彼を、少し後ろの方に並んでいる藤堂がケラケラと笑いながら揶揄っている。


松本「ふむ、永倉新八っと……よし、問題ない。次」

永倉「ちょっ、先生!もっとちゃんと見てくれよ!」

松本「いやいや、申し分ない健康体だ」

原田「新八、後ろがつかえてるんだからさっさと終わらせろ!!」

永倉「そうじゃなくってよ!もっと他に見るところがあんだろ!」

斎藤「診察は診てもらうものであって見せつけるものじゃない。さっさと退け」


原田に怒鳴られても尚居座り続ける永倉に、斎藤が正論を一喝。
そうしてようやく諦めたように永倉が診察を終えた。
……その去り際に、原田と筋肉自慢を始めているが。

確かにこれは、伊東の言っていた "野獣" という言葉も納得の光景で、彼が逃げ出したくなるのもわかる気がする。
珍しく伊東に同情が芽生えた時、永倉と原田の瞳が立ち尽くしている名前達を捉えた。

あ、まずい逃げなきゃ。
そう思い千鶴の手を引いて回れ右をした名前だったが、時すでに遅し。


永倉「よう、名前に千鶴ちゃん!もしかして、もしかしなくても俺の筋肉を見に来たんだな!?」

名前「いや違うよ!?」


大きな永倉の手がガシッと名前の肩を掴み、広間へと引き戻される。
間近に永倉の上裸があり顔を真っ赤にした千鶴。
そんな彼女を慌てて名前は背中に隠した。


永倉「ほら、見てくれよ!俺のこの肉体美を!!」

名前「見てくれって、新八さんは普段から上裸みたいな格好じゃん」

永倉「んな冷てえこと言うなって!ほれ、どうよ!?」

名前「ああ、うん、すごく立派な腹筋と上腕だね」

永倉「だろ!?お前さんもそう思うよな!?」


じとっとした視線を送る名前には気づいていないようで、棒読みの褒め言葉でも満足したのかガッハッハッと大きく笑う永倉。
都合のいい目と耳である。


原田「なーにやってんだ新八!名前と千鶴にだる絡みしてんじゃねえよ」

永倉「うおっ、左之!なんだよ、もう診察終わったのか?」

原田「お前が名前に筋肉自慢してる間にな」

名前「左之さん、早く新八さんを連れてって!千鶴ちゃんが困ってるから」


腹に大きな一文字の傷痕がある筋肉男が一人加わった。
自分の背中に隠れて狼狽えている千鶴を気遣い、早く永倉を回収するように頼んだのだが…。

「そうだ!」と何かを閃いたように永倉が大きな声を上げた。


永倉「おい、左之!勝負だ!どっちが良い体か、名前に決めてもらおうじゃねえか!」

原田「はぁ?」

名前「えええ……」


また面倒くさいことに巻き込まれそうだ。
原田も呆れたような声を上げたため、彼も自分の味方だと思ったのだが、


原田「……よし。いいじゃねえか、その勝負乗ったぜ」

名前「まって、乗るの!?」

永倉「それでこそ左之だ!よし、名前!俺と左之、どっちが良い体か選べ!」

名前「えええ!?」


原田が永倉の歯止め役を放棄してしまっては、もうどうにもならない。

目の前には、己の屈強な筋肉を見せつけてくる二人の男。
上半身の隅々まで見せようとしているのか、様々な動きをしている。
なぜこうなった。

ああもう、松本先生の所へ千鶴を連れて行かなければならないというのに…。
面倒くさくなった名前が、「じゃあ、」と適当にどちらかを選びかけた時である。


斎藤「左之、新八。診察が終わったのならば早く隊務に戻れ」


診察を終えたらしき斎藤が通りかかり、またもや一喝。


斎藤「名前、診察はまだ続くが……何か、急用か?」


自然と名前の視界に入ってしまう、斎藤の体。
いつも黒い着物に身を包んでいて滅多に肌を見せない彼が、上裸でいる。

剣術によって鍛えられた、無駄のない筋肉。
引き締まった体に、美しい鎖骨…。
ぼっ、と火がつきそうな勢いで、顔に熱が籠るのが自分でもわかった。


名前「あ、わ、わたしっ……ごめんなさい後にします!!!」

千鶴「きゃっ、名前ちゃんっ……!?」


千鶴の手を引き、名前は先程の伊東と同じく、台風のようにその場を走り去って行った。


永倉「おいおい、名前!まだ決着ついてねえのに!ったく、急にどうしちまったんだ?」

原田「……あー……」


永倉と斎藤が首を傾げる中、何かを察した原田は一人、苦笑を零す。
その視線は、上裸の斎藤だ。


斎藤「……如何した」

原田「いや、まあ……そうだな。あいつにゃ、ちと刺激が強すぎだわな」

斎藤「……何の話だ、左之」

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