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刀を握る手にじっとりと汗が滲む。
全身が総毛立ち、ざわざわと嫌な胸騒ぎがした。
不知火「よォ。久しぶりだなァ近藤。会いたかったぜ?」
名前「っ、……」
千鶴「名前ちゃんっ……」
二条城にて将軍の警護中、月明かりと共に彼等は現れた。
風間千景、不知火匡、天霧九寿。
池田屋事件、そして禁門の変にて、新選組に大きな爪痕を残していった男達である。
突如現れた彼らは、なぜか千鶴を狙うような物言いをした。
名前「それ以上近づけば、斬る!」
千鶴を背中に隠し、名前は研ぎ澄まされた刃の鋒を向ける。
しかし彼等からすれば、仔犬が虚勢を張って吠えているのと変わらなかったらしい。
風間「貴様に何ができる?」
名前「っ、」
沖田や藤堂ですら敵わなかった相手。
勝算などない。
だが、逃げるわけには行かなかった。
絶対に退けぬ理由が名前にはあった。
名前「千鶴ちゃんを守る、何がなんでも!」
自分は新選組の盾。
守るものがあるから強くいられる。
山南からの言葉を胸に己を奮い立たせ、ぐっと拳に力を込めた。
風間が口角を上げたのが遠目に見てもわかった。
風間「雪村千鶴、お前を連れて行くのに同意など必要としていない。女鬼は貴重だ。共に来い」
名前「女鬼…?」
何の話だ。
ちらりと背中の千鶴に視線を向ければ、彼女は恐怖に染まった顔で首を小さく横に振った。
名前「この子は何も知らないそうだけど?」
風間「"鬼" を知らぬ?我が同胞ともあろう者が……」
不知火「となると近藤、やっぱりテメェは偽物か?"鬼" を知らねぇテメェが、雪月花を持ってるなんざ……」
風間「よせ、不知火」
闇夜の中で、じっと赤い目が名前を見つめてくる。
風間「……記憶を失ったか」
どくり、と心臓が大きく波打った。
じっとりと汗ばんだ前髪が気持ち悪い。
違う、あれは挑発だ。乗るな。
私には、守らなければならないものがある。
名前「逃げないよ、絶対に」
その刹那、瞬きをする一瞬のうちに風間が間合いを詰めた。
速い。避けられない。
ガキィン、と鍔迫り合いの音。
真正面だった。
一瞬で全身に痺れが駆け巡る。
駄目だ、確実に押し負ける。
でも。
名前の瞳は、恐怖と強い意志が万華鏡のように入り乱れている。
表情に変化を見せたのは、風間の方であった。
風間「(……この女、)」
男は口角を上げる。
風間「近藤名前……気が変わった」
その瞬間、名前の刀にかかる重みが一気に無くなったかと思えば逆袈裟に煌めく刃。
風間が振るった刀であった。
耐えられるはずもなく、名前の刀が吹き飛ぶ。
その瞬間耳にしたのはカチャッという嫌な音。瞬時に名前は千鶴を抱いて横へと大きく飛び退き、滑り込む。
同時に耳がおかしくなりそうな破裂音が聞こえ、砂埃が舞う地面には弾が一発埋め込まれた。
先程まで名前達が立っていた場所だ。
名前「千鶴ちゃんごめんね、擦りむいちゃったね」
千鶴「名前ちゃんっ、」
千鶴に手を擦りむかせてしまった。
土方には千鶴に傷一つ負わせるなと散々喚いたくせに、自分はこれか。
あまりにも情けない。
名前「大丈夫だよ」
自分の非力を痛感してるこそ、名前は笑ってみせた。
絶対に守る。まだ戦える。
今できる精一杯の強がりで、千鶴を不安にさせまいと浮かべた、いつもの笑顔だった。
しかしその瞬間、間近で感じた殺気。
月明かりに照らされた鋒が、名前の首筋を真っ直ぐに狙っていた。
風間「貴様も共に来い、近藤名前」
一寸でも動けば刀身が名前の首筋を走るだろう。
この状況で勝ち目などない。
だがせめて、千鶴だけでも逃がさないと。
─── しかし、その瞬間。
闇夜を、白刃が切り裂く。
視界いっぱいに入ったのは、月夜にはためく鮮やかな浅葱色。
原田「おいおい。こんな色気のない場所、逢い引きにしちゃ趣味が悪いぜ?」
斎藤「大事無いか、名前」
名前「左之さん、一君っ……!!」
小さな体で、必死に千鶴を守っていた浅葱色の名前。
それを守るのもまた、浅葱色。
風間「……またお前たちか。田舎の犬は、目端だけは利くと見える」
斎藤「それは、此方の台詞だ」
その時、名前の肩を無骨な手が掴み、後ろへと下がらせた。
名前「……土方さん」
大きくて、安心感のある背中。
ずっと昔から見てきた背中がそこにあった。
土方「よくやった」
たった一言。
それだけで、体の強ばりから一気に解放された。
土方「……将軍の首でも取りに来たかと思えば、こんなガキ二人に一体何の用だ?」
風間「将軍も貴様らも今はどうでもいい。これは我ら、"鬼"の問題だ」
土方「鬼…だと?」
眼光に鋭さが増す。
原田「へっ……てめぇのツラ拝むのは、禁門の変以来だな」
不知火「腐れ縁ってとこか……大して嬉しくもねェがな」
斎藤「再会という意味では、こちらも同じくだ。……だが、なんの感慨も湧かんな」
天霧「我々の邪魔立てをするつもりですか。ならば…」
余裕の笑みを浮かべながら火花を散らす原田と不知火。
底冷えするような眼差しで威嚇し合う斎藤と天霧。
どちらかが一歩でも動けば、すぐに命を賭けた戦いが火蓋を切るだろう。
そして土方が対峙するは、あの沖田をも追い詰めた風間。
援護をすべく、刀を失った名前は脇差に手を伸ばす。
山崎「その必要はない」
名前「山崎さん!?」
いつの間に来ていたのか。
闇夜の中からどこからともなく現れた山崎に、名前は思わず驚きの声を上げる。
山崎「副長の命令だ。このまま二人は屯所まで戻れと」
名前「……私はここに残ります」
山崎「駄目だ。そんな震えた手で、これ以上戦えるのか?」
名前「……それは、」
長時間の恐怖と緊張が、今になって名前の体に響いてきている。
山崎にはそれすらお見通しらしい。
山崎「君はもう十分守った。頼むから、俺と一緒に来てくれ」
千鶴を背中に隠しながら、山崎は名前の腕を掴む。
しかし、そんな山崎の手に色白な手が重なった。
名前「一度守ると決めたなら、最後まで守り通さなきゃ」
そっと山崎の手を離す名前の手。
その時、ほのかに夏の香りがする夜風が吹き抜ける。
名前「目の前の敵から逃げるのは、士道不覚悟だ」
─── ぞくり、と山崎の体に鳥肌が立つ。
新月のような清らかさ、それは涼しくて、刺すような。
浅葱色をはためかせ、瞳から強い意志を放つ名前は、山崎が畏怖の念を抱く程に美しかった。
山崎「……わかった。ならば、これが必要だろう」
いつの間に取ってきたのか、山崎が持っていたのは弾き飛ばされたはずの名前の刀。
小さく笑みを浮かべた名前はそれを受け取り、土方の一歩後ろで構える。
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