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慶応元年閏五月。
山南による羅刹や変若水の研究を伊東派の目から隠すため、新選組は屯所を西本願寺へと移転する。
それから間もなくして、隊士募集のために江戸へ出向いていた藤堂がようやく戻ってきた。
なんだか精悍な顔つきになったのは気のせいではないだろう。
早速巡察に駆り出された藤堂。
今日は千鶴と、その護衛の名前も一緒だ。
その途中、別の経路で巡察を行っていた沖田率いる一番組に遭遇し、そのまま合同で巡察を行っている最中である。
藤堂「にしても、でっかい屯所だよなー。オレまだ全っ然慣れねえんだけど…」
名前「私も私も!」
沖田「名前も未だに迷ってるよね、自分の部屋に帰れない時あるじゃない」
名前「もうちゃんと帰れますぅー!」
口を尖らせて反論する名前に、千鶴がくすくすと笑っている。
実際のところ未だに自室や土方の部屋に辿り着けず、斎藤や原田に道案内を頼む日もあるのだが。
名前「聞いてよ平助、千鶴ちゃん!総ちゃんってば酷いんだよ!?私がちょっと走っただけで「屯所の床が抜けちゃうよ」って!」
藤堂「お前、猪みたいに走るもんなー!」
名前「はぁっ!?」
沖田「……けほっ、」
名前「……総ちゃん?」
ふと隣から消えていた沖田。
振り返れば数歩後ろで立ち止まり、彼は咳き込んでいた。
千鶴「沖田さん!?」
名前「総ちゃん大丈夫!?」
沖田「っう、げほっ、ごほっ……」
しゃがみこみ、苦しげに咳をする沖田。
駆け寄って背中をさする名前に、沖田は大丈夫だ、と薄萌黄の瞳で訴える。
風邪だろうか。
だがこの咳……なんだか、おかしいような。
名前「……総ちゃん、」
一旦どこかで休もうよ。
そう言いかけた時。
苦しげに閉じられていた沖田の瞳が開き、ぱっと近くの路地に向けられる。
鋭い視線が捉えるのは、
「おい小娘、断るとはどういう了見だ?」
「民草のために日々攘夷を論ずる我ら志士に、酌の一つや二つ、寧ろ自分からするのが当然であろうが!」
?「やめて、離して!」
建物と建物の間の、狭い路地。
二人の浪士に絡まれている女性。
浪士達に腕を掴まれ必死に振りほどこうと抵抗しおり、嫌がっているのは明白だ。
名前「っ、総ちゃん!?」
咳を無理やり押さえ込み、駆けつける沖田。
突然動き出した沖田に驚きながらも名前達もその後を追う。
沖田「やれやれ。攘夷って言葉も、君達に使われるんじゃ可哀想だよね」
「浅葱色の羽織……新選組か!?」
沖田「知ってるなら話は早いよね。どうする?」
沖田の手が刀の柄に触れ、カチャリと音を立てる。
名前と平助が駆けつけた頃には不利を悟ったのか、「くそっ、覚えてろよ!」と捨て台詞を吐いて浪士達は逃げて行った。
藤堂「ったく、オレたちを見てとっとと逃げ出すくらいなら、最初からあんな真似するなっての」
名前「まあ、斬り合いにならなかっただけいいよ。周りの人に怖い思いさせちゃうし」
必要だから、守るものがあるから刀を抜くだけ。
抜かなくていいことに越したことはない。
後を追ってきた千鶴も、ほっとしたように息をつく。
名前「……総ちゃん、大丈夫?」
沖田「……ん、何が?僕は何ともないけど」
名前「……そう」
名前はそれ以上は何も聞かなかった。
……聞けなかった、が正しいだろうか。
喉元まで出てきていた「体調良くないんでしょ?」という言葉を無理やり飲み込んだ。
いつも通り飄々としている沖田から、言葉では言い表せない "何か" を感じ取ってしまったから。
薫「 ─── ありがとうございました。私、南雲薫と申します」
何とも言えない空気が漂ったその時、浪士に絡まれていた女性が身なりを整え、沖田達に向かって一礼した。
洗練された美しい仕草。
良い所のお嬢さんなのだろう。
すると突然、沖田が千鶴の腕を引き、南雲の隣へと立たせた。
最初は沖田の意図が読めなかった名前だが、すぐに「あっ」と声をもらす。
沖田「……やっぱり。よく似てるね」
名前「わあ、本当だ!」
南雲の顔は、千鶴とよく似ていた。
まるで双子のようだった。
藤堂「そうか?オレは全然似てないと思うけどなぁ」
名前「えー?そっくりだと思うけど……」
沖田「うん。きっとこの子が女装したらそっくりだと思うな」
一方千鶴はというと、戸惑ったように南雲と名前達を交互に見ていた。
南雲はそんな千鶴ににこりと微笑むと、ゆっくりと言葉を切り出す。
薫「……もっときちんとお礼をしたいのですけど、今は所用がありまして。ご無礼、ご容赦くださいね。このご恩はまたいずれ。……新選組の沖田総司さん」
なぜか意味深な視線を沖田に向け、南雲は去っていく。
そんな彼女の背中を見て、名前は小さく首を傾げた。
今のは、なんだったのだろう…?
藤堂「おいおい、あれ総司に気でもあるんじゃねえの!?」
沖田「今のがそう見えたんじゃ、平助は一生左之さんとかには勝てないね」
藤堂「なっ、どういう意味だよ!?」
さっさと隊士達の元へ戻る沖田を、藤堂がムッとしながら追いかける。
千鶴「名前ちゃん…?」
沖田「名前、何してるの。もう行くよ」
名前「あっ、ごめんごめん!」
胸の中に生じた感じたことの無い違和感に、静かに蓋をした。
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