銀桜録 新選組奇譚篇 | ナノ


1

─── 元治二年 二月。


千鶴「お茶が入りました」

名前「ありがとう、千鶴ちゃん」


ある日の朝食後。
千鶴はお盆に載せた大量のお茶を、皆に手渡していく。
そんな中、名前達幹部陣は広間で話し合いを行っていた。


近藤「また隊士が増える予定だ。やはり、早急に新しい屯所を探した方がいいだろう」


皆で地図を囲んで話し合っている内容は、屯所移転についてだ。
隊士が増えた事で八木邸が手狭になってきており、移転の話が以前から上がっているのである。


永倉「雑魚寝している連中も、かなり辛そうだしな」

原田「だな。前川邸で雑魚寝している連中なんて毎晩押し寿しみてえになりながら寝てやがるぜ。あれじゃ疲れが取れねえだろうし、何とかしてやりてえよな……」


部下への思いやりの篭った発言は、いかにも原田と永倉らしいものである。
しかし彼等の隣に座る沖田は困ったような顔をしていた。


沖田「だけど僕達新選組を受け入れてくれる所なんて、何処か心当たりがあるんですか?」

近藤「うむ、あれば苦労せんのだが……」


新選組は京の嫌われ者である。
京の人々は幕府嫌いで長州贔屓の者が多いのだ。
二人の言う通り、名前達新選組を受け入れてくれる場所はそう簡単には見つからないだろう。
すると、


土方「……西本願寺」


今まで黙って話を聞いていた土方が口を開いた。


名前「えっ、西本願寺ですか?でも、彼処って……」


その言葉を聞いて、名前は目を丸くした。
驚いたのは他の幹部も同じようだ。


山南「西本願寺は長州を初めとする不逞浪士の隠れ蓑。我々を素直に受け入れるとは考えられませんが……」

土方「そんな事はどうだっていい。寺と坊さんを出しにして今まで好き勝手してきたのは長州だ。いざとなれば力づくでも承諾させる」

山南「僧侶の動きを武力で押さえつけるなど、見苦しいと思いませんか」

名前「……私も、山南さんと同じ意見です」


山南は衝撃を受けたようで、信じられないと言いたげな物言いだ。
そして彼の言う通り、自分達の都合でそういった暴力的な行いをするのは名前も気乗りしない。


近藤「トシの意見は最もだが、山南君の考えも一理あるな……」


うーむ、と近藤は考え込んでしまう。
すると、今まで事の成り行きを見守っていた伊東が口を開いた。


伊東「西本願寺、宜しいんじゃないですか?」


そう言って、彼は懐から『西本願寺屯所案』と書かれた紙を取り出す。
どうやら土方と同じような事を彼も考えていたらしい。


伊東「私もいろいろ調べましたが、屯所としての立地も条件もいい。土方君の仰る通り、我々が寺を拠点とする事で長州封じにもなりますしね」

斎藤「……確かに、長州は身を隠す場所を一つ失う事になる」

名前「……なるほど」


そういう利点があるのか、と名前は考え込んだ。
長州の動きを封じられるというのはかなり大きい。
それに今の八木邸は京の外れに位置しており、巡察に出るにも事件に駆けつけるにも、何かと不便なのである。
西本願寺ならば、いざという時動きやすい。
僧侶を武力で押さえつけるというのは抵抗があるけれど、今後の新選組の為には心を鬼にしなければならないのかもしれない。


永倉「坊さん達は嫌がるだろうがな……。おい名前、お前さんのお色気作戦決行の時じゃねえか?」

名前「……え、何それ?」

永倉「お前さんが女の格好して頼み込めば、坊さん達もころっと騙されるだろ。池田屋の時みたいによ」

名前「いや別にあの時もそんな手は使ってないんだけど」

沖田「それ面白そうだね」

名前「え、えええっ!!?」


名前は素っ頓狂な声を上げる。
自分に色気など皆無だと思っている名前にとって、それは普通の潜入捜査よりも困難なものだ。
そんなの無理だ、と慌てて拒否しようとした名前だったが、それよりも早く口を開いた者がいた。


斎藤「ふざけるな」

永倉「うおっ、そんなに睨むなって!冗談に決まってるじゃねえか」


名前が反論するよりも早く、斎藤が鋭い目付きで永倉を制した。
ブツブツ言いながら永倉は口を閉じ、どうやら名前のお色気作戦とやらは無しになったようである。

しかし伊東の発言により、皆の意見は西本願寺に傾きつつあるるようだ。
そんな中で、声を上げたのは山南である。


山南「しかし、正義を欠いた大義などいずれ綻びが出ます!」


すると、伊東は目を細めてちらりと山南を見やる。
それは冷たく、鋭い眼差しであった。


伊東「……山南さんは、相変わらず大変に考えの深い方ですわね。しかし、物事を推し進めるには強引且つ大胆な策も必要ですわ。守りに入ろうとするお気持ちはわかりますけど」

山南「……守り?」


伊東の言葉を、山南は訝しげに聞き返す。


伊東「……その左腕は使い物にならないそうですが。でも、剣客としては生きられずともお気になさることはありませんわ。山南さんはその才覚と深慮で新選組を十分に助けてくれそうですもの」


……一瞬にして、空気が凍りついた。
彼の言葉に、山南さだけではなく皆を取り巻く空気が一気にして変わる。


土方「今のはどういう意味だ、伊東さん」


我慢ならなかったようで、殺気を出しながら鋭い眼光を向けたのは土方である。


土方「あんたの言うように、山南さんは優秀な論客だ。けどな、剣客としてもこの新選組に必要な人なんだよ!」


土方のこの言葉は、紛れもなく本音だ。
勿論名前達も、同じ考えである。
しかし……。


山南「……土方君。私の腕は……」


目を閉じて、苦しげに自分の腕を押さえる山南。

─── "私の腕は、治らない。"
悲痛な言葉の続きが聞こえたらしく、益々山南を苦しませてしまった事に気付いた土方は苦い顔をした。
彼は元々喧嘩っ早い部分があるせいか、この手の罠に嵌りやすい節がある。
しかし全ての元凶は相変わらず笑顔の伊東だ。


伊東「……あら、私とした事が失礼致しました。その腕が治るのであれば、何よりですわ」


全員が伊東を睨みつけていた。
すると場の空気が悪くなった事に気付いたようで、近藤が話を反らし伊東を部屋から連れ出した。

やれやれと皆が息を吐くや否や、今度は山南は静かに立ち上がる。
そしてそのまま何も言わずに部屋を出ていってしまった。
その背中があまりにも小さくて痛々しくて、名前は不安を覚えた。


原田「…山南さんも可哀想だよな。最近は隊士連中からも避けられてる」

千鶴「え!?避けられてるなんて、初耳です……」

永倉「無理もねえだろ。どんな言葉をかけても全部、悪く取られちまうし。何を言っても皮肉と嫌味しか返ってこねえから、隊士たちも怯えちまって近づかねえんだよ」


平隊士達は山南に対して過敏だ。
まるで腫れ物を扱うかのような態度であり、彼等なりに気を使っての態度なのだろうが、それがより一層山南を傷付けているように思えてならない。


沖田「土方さん、返品してきてくださいよ。新選組にこんなの要りませんー、って」

土方「んなこと出来るわけねえだろうが。近藤さんは、すっかり伊東さんに心酔してるみてえだしな。伊東さんと一緒に入隊してきた連中も、そんな扱いされりゃ黙っちゃいねえだろ」


伊東は弁が達者なだけあり、近藤を丸め込むのが上手い。
それどころか最近の近藤は伊東を尊敬の眼差しで見ており、何かあれば「伊東先生!」と頼っているのである。


沖田「役に立たない人だなあ。無理を通すのが鬼副長の役目でしょう?」

土方「んじゃ、てめえが副長やりゃいいだろうが。で、あいつらを追い出せ」

沖田「あはは、嫌に決まってるじゃないですか。そんな面倒くさいの」


沖田は普段通りの飄々とした口調で土方と言い合っているが、ふとした瞬間に沈んだ表情を見せることが多くなった。
山南は昔から沖田を弟のように可愛がっていた。
しかし今はそんな影も無くなってしまい、沖田としても寂しのだろう。


千鶴「斎藤さんも、伊東さんは苦手なんですか?」


沖田の様子を見兼ねたのか、千鶴が慌てた様子で近くにいた斎藤に話を振った。


斎藤「……様々な考えを持つ者が所属してこそ、組織は広がりを見せるものだ。しかし無理な多様化を進めれば、内部から瓦解することもある」


何とも縁起でもない話である。
そんな事にならないよう祈るしかない。
しかしどうにも嫌な予感が拭えない。
名前は小さく息を吐いて、未だ温かいお茶を飲み干すのであった。

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