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何やら話がある雰囲気だったので斎藤を部屋に招き入れれば、蒼い瞳がじっと名前を見つめていた。
斎藤「……怒らないのだな」
名前「……え?」
斎藤「……あんたなら、食ってかかって喧嘩になりかねん」
斎藤の言葉に、名前は困ったように眉を下げた。
名前「うん、なんか……怒りが湧いてこなくて。誰かが私の分まで怒ってくれたからかも」
斎藤は気まずそうに目を伏せた。
斎藤「……彼の者達に何やら言われているのは、知っていたのか?」
名前「……何日か前に耳にして、それで知った」
斎藤「何と言われたのだ」
名前「……大した実力も無いくせに局長の妹だから幹部に贔屓されてる、って」
斎藤「……」
名前「……でも、あんな風に言われたのは初めてかも」
蘇るのはあの男達の会話だ。
名前を襲ってしまおうというあの会話。
思い出すだけで鳥肌が立つ。
斎藤「……何故黙っていた」
名前「……え?」
斎藤「気付いていたのならば、何故言わなかった」
斎藤は眉を顰めており、切れ長の蒼は鋭い光を放っている。
名前は思わず言葉に詰まった。
名前「なんでって……勝手に言わせておけばいいかなって。批判されるのは結構慣れてるし、だから大丈夫だよ」
"慣れている"。
その言葉に、一瞬斎藤の顔が悲痛に歪んだ。
斎藤「……何が『大丈夫』なのだ、俺が大丈夫ではない」
そう言うと、斎藤は名前の手首を片手で掴んだ。
名前「……一君?」
斎藤「……振り払ってみろ」
名前「え、振り払うって……」
斎藤「遠慮は無用だ、俺を敵だと思って振り払え」
斎藤の意図が分からず首を傾げる名前であったが、彼は名前の手首を掴んだままである。
理解出来ぬまま言われたように斎藤の手を振り払おうと腕を振った。
しかし、恐らく手加減されているはずなのに、全く振りほどけない。
名前「……あ、あの、一君……?」
斎藤「……男には腕力に物を言わすという最終手段がある。あんたがいくら雄弁だろうが相手にしなかろうが、ああいった輩には通用しないのだ。全て腕力で捩じ伏せてくる。……あんたは剣術でも鍔迫り合いを避けている。力では敵わぬと、分かっているのだろう。それは剣術でなくとも変わらぬのだ」
ようやく、斎藤の行動の意味が分かった。
彼は、名前を酷く心配しているのだ。
斎藤「……何かあってからでは遅い。遠慮などせずに頼れ」
名前「……うん。ありがとう」
今の斎藤には鬼気迫るものがあった。
名前が小さく頷けば、斎藤の手が名前から離れる。
しかし掴まれていた手首には痕一つ残っておらず、余計に力の差を実感させられた。
斎藤「……今後はあまり彼等に近付くな。なるべく一人での行動も控えた方が良いだろう」
名前「……うん、そうする」
斎藤「配慮してもらえるよう、副長には俺の方から進言しておこう」
名前「……ごめん、ありがとう」
何だか申し訳なくて名前が視線を落とせば、温かいものが名前の頬に触れる。
斎藤の手だった。
下を向くな、とでも言うようにその手は名前の顔を上げさせる。
斎藤「……迷惑などとは思っていない」
名前「……うん」
見事に心を読まれて、名前は困ったように眉を下げた。
斎藤「……大丈夫だ。あんたの事は必ず守る」
名前は驚いて目を見開いた。
"守る" と、斎藤から言われた事は何度かあった。
だが彼は、それを口にする度に何か葛藤しているような表情を見せていた。
以前言っていた、『名前の覚悟への冒涜になる』という事についてなのだろう。
しかし今、名前を見る斎藤の目は真っ直ぐだった。
何か覚悟を決めたような、強い瞳だった。
あんたを守りたい、と。
斎藤の温かい手が、言っているように思えてならない。
名前「……ありがとう」
微かに声が震えた。
なんだか嬉しくて、また涙が零れそうになってしまったのである。
斎藤の手にそっと己の手を添えれば、彼は微かに微笑んでくれた。
─── しかし、その数日後。
沖田「ねえ名前。一君と君が恋仲だって噂が流れてるみたいだけど、ようやく進展したの?」
という揶揄うような沖田の言葉に名前が頭を抱え、彼女は噂の火消しに奔走する事になるのである……。
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