銀桜録 新選組奇譚篇 | ナノ


3

名前「色々任せてごめん。総ちゃんも近くにいるはずだから、私はそっちに行ってくるね」

千鶴「うん、気をつけて!」


背負っていた藤堂を千鶴に預け、名前は隊服を翻して廊下を引き返す。
不気味な静かさに警戒しながら奥へと進めば、ふととある部屋から異様な空気を感じ取った。

パッと襖を開けて飛び込めば、そこでは二人の男が対峙していた。
一人は沖田だ。
しかし何だか様子がおかしい。
隊服と口の周りが血にまみれており、ゼェゼェと息を切らしている。
疲労で息が切れているのではなく、明らかに体に異常をきたした者の息切れだった。

そんな沖田が息も絶え絶えになりながら刀を向けているのは、異様な風格を持つ男。
白い着物と黒い羽織。
黄金色の髪に、闇夜で光る紅の瞳。
普通の浪士ではない。
何故か "異質さ" を感じてしまうような男だった。

沖田が男に向かって突きを放つがそれはいとも簡単に躱されてしまい、男が勢いよく刀を振り下ろす。
間一髪で逃れた沖田だが体勢を崩した隙を狙われ、男の足が沖田の胸を蹴り飛ばす。
よろけて倒れた沖田は苦しげに咳き込み、大量の血を吐き出した。


名前「総ちゃんっ!!」


咄嗟に沖田の前に飛び出していき、男に刀を向ける。
まだ刃を交えていないのにも関わらず、直接対峙しただけで彼の強さが刀を伝ってきた。
自分じゃ、勝てない。
簡単にこの男に斬り殺される未来が見えてしまった。

それでも名前は逃げなかった。
後ろには血を吐いて倒れている沖田がいる。
彼を守らなければならなかった。


?「……この俺に刀を向けるとは、愚かな女だ」


せせら笑う男と、初めて目が合った。
燃え上がる炎のような紅の瞳。

─── ぞくり、と。
全身が総毛立つのを感じた。
それと同時に覚えるのは、"違和感" 。
その違和感は、限りなく "既視感" に近いもので。
なんだ、この感覚は。

その妙な感覚を振り払うように名前は刀を振るう。
普段の反撃型の攻撃では勝ち目は無いと思った。
この男の攻撃を躱せるか分からなかったのだ。
だが、案の定簡単に止められてしまった。
刀越しにひしひしと感じるのは、男の強さ。
沖田や斎藤よりも、この男は遥かに強い。

それでも名前は諦めなかった。
何度跳ね返されても、男の攻撃を瞬時に避けて再び斬り掛かる。
無我夢中で戦う名前は、その戦いの中で驚異的な身体能力を発揮していた。

しかし、その時である。
男が何かに気付いたように紅の瞳を見開いた。
その隙を見逃さずに男の懐に踏み込んだ名前だが、袈裟斬りに振り下ろした刀はやはり躱された。
そして即座に体勢を整えた男が一太刀を見舞う。
間一髪で飛び退いて致命傷は避けた名前であったが、その鋒は彼女の頬を掠った。
頬から血の雫が滴るのと同時に、体勢を崩した名前の腹を男が思い切り蹴り飛ばす。

─── ドガッ…!!


名前「がはっ……!!」


とてつもない力の蹴りだった。
まるで人形のように名前は吹っ飛ばされて、その体は壁に叩き付けられる。
ずるりと体が壁伝いに崩れ落ち、口の中で血の味がすると同時に咳が込み上げてきた。
吐血しなかったのが幸いかもしれない。

しかし立ち上がろうにも、痛みで手足に力が入らない。
せめてもの抵抗として近付いてきた男を睨みつければ、男の刀の白刃が目と鼻の先で光る。
その鋒が狙うのは、名前の喉……。
─── 否。


?「……何故貴様がそれ・・を持っている」


その鋒が向けられているのは、名前が肌身離さず身につけている水晶の首飾りだった。
普段は着物の中に仕舞い込んでいるが、先程の衝撃で飛び出てしまったのだろう。


?「雪月花紋の水晶……一体何処で手に入れた」


この首飾りは、名前の記憶がはっきりしている五歳の時から身に付けていた物。
女衒に捕まっていた時から身に付けていた物だ。
雪月花の紋が彫られている少し変わった首飾りだが、これがなんだというのか。
何だか妙な胸騒ぎがした。

刀の鋒がゆっくりと動く。
名前の肌に触れるすれすれの所を滑る鋒は、彼女の頬付近でぴたりと止まった。
そこは、先程斬りつけられた筈の場所で。
すっかり塞がっている傷口に気づき、まずいと思った名前は咄嗟に頬を隠す。

しかし、もう遅い。
完全に見られてしまった。
男の口が、ゆっくりと弧を描く。


?「……貴様、名を何という」


怖かった。
先程から体に纏わりつくような違和感と既視感。
そして "何かを知っている" ようなこの男が、怖くて堪らなかった。
焦茶色の目が、恐怖に染まる。


名前「……近藤……名前……」


酷く掠れた、震えた声が出る。
教えるつもりなどなかったのに、言葉が口を衝いて出た。
恐怖が名前を突き動かしたのかもしれない。


?「……近藤……知らぬな。だが、興味深い」


紅の瞳がスッと細められた。
男の口元が薄く弧を描いた、その時である。

─── キィィンッ……!!

名前の視界に入るのは、血塗れた浅葱色。
聞こえてくる荒い呼吸に、名前は目を見開いた。


名前「総ちゃんっ!!?」


名前に向けられていた鋒を弾き返し、彼女を庇うように立つのは先程まで倒れていた筈の沖田であった。
あれ程の血を吐いていて、まともに立ち上がれる状態ではないはずなのに。


沖田「っ、あんたの相手は僕だよね?この子には手を出さないでくれるかな」

名前「駄目っ!総ちゃん、やめてっ!!」


そんな状態でも尚、名前を庇って戦おうとする沖田に、名前からは悲鳴にも近い声が上がる。
体の痛みなどすっかり忘れてしまっていた。


?「愚かな。その負傷で何を言う。今の貴様なぞ、盾の役にも立つまい」

沖田「黙れよ、うるさいな!僕は、役立たずなんかじゃないっ……!」

名前「総ちゃんお願いっ、もうやめて!!」


名前が沖田の羽織を引っ張っても、沖田は決して引こうとはしなかった。
彼の張り上げる声は苦しげで、苛立ちが含まれている。
しかし男は沖田を一瞥しただけで、静かに刀を鞘に納めてしまった。


沖田「……何のつもりだ?」

?「お前達が踏み込んできた時点で俺の務めも終わっている」

沖田「っ!待てっ、……」

名前「総ちゃん!!」


男はそう言って窓の方へと歩いていく。
沖田が後を追おうとするが、力尽きたように転んでしまった。
名前も蹴られた腹がズキリと痛んだが、その痛みを堪えて何とか沖田の元へ駆け寄った。


沖田「くそっ……僕は、僕はまだ…戦えるっ……!!」


男はちらりと此方へ視線を向けた。
沖田を一瞥し、そして視線は名前へ。


?「……近藤名前。貴様の名、覚えておいてやろう」


不敵な笑みを浮かべてそんな言葉を言い残した男は、身軽な仕草で窓から外へと飛び出した。
縺れる足で何とかその後を追いかける名前だが、窓から外を覗いてみれば既に先程の男の姿は無かった。
あの男は、一体何だったのだろう。


沖田「……名前……」


弱々しい声が聞こえて、名前はハッと振り返った。
体の痛みを堪えて慌てて駆け寄り、沖田の体を抱き起こす。
すると彼はゲホッと噎せて血の塊が口から吐き出し、それは名前の着物に飛び散った。


名前「総ちゃんっ!!総ちゃんっ、しっかりして!!」

沖田「……ご、め……きもの、よごしちゃ、って……」

名前「そんなこといいから!!気をしっかり!!」


早く沖田を診せなければならない。
体格的に沖田を担ぐのは無理だ。
名前は沖田に肩を貸して、何とか部屋から出る。
その足取りは今にも倒れそうな程にふらふらだ。
名前の体力も既に限界を超えていた。
それでも何とか意識を保っていられるのは、極度の緊張と焦りと興奮のせいだろう。


名前「総ちゃん、もうすぐだから!頑張って!!」

沖田「……名前……お、なか……だいじょうぶ……?」

名前「私は何ともないから!お願い、頑張って総ちゃん!!」

沖田「……よかっ、た……」

名前「総ちゃんっ!!」


こんな時でも自分より名前の体を心配する沖田。
彼の優しさに、胸が酷く痛んだ。
どんどん小さくなっていく沖田の声を聞いて、名前の中には益々焦りが生まれる。
沖田が、死んでしまうかもしれない。
それは名前にとって、とてつもない恐怖であった。

すると、階段を駆け上がってくる音が聞こえた。


斎藤「名前!!」

名前「っ!はじめ、くんっ……!!」


現れたのは斎藤だった。
彼の姿を見た途端大きな安堵感に包まれて、緊張の糸がようやく途切れる。


斎藤「名前、無事か!」

名前「うんっ……それより、総ちゃんがっ!!」

斎藤「っ、総司!!しっかりしろ!!」


斎藤がすぐに沖田の体を支えてくれたお陰で、名前にのしかかっていた重みが一気に無くなった。
それと同時に、忘れていた全身の痛みに襲われる。


名前「……っ、!!」

斎藤「…っ!?名前っ!!どうした、大丈夫か!?」


突然ガクンッと足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちる。
そのまま名前は、ドタッと派手な音を立ててその場にひっくり返った。
斎藤が何度も名前の名前を呼んでいたがその声が次第に遠くなっていき、名前は完全に意識を失ってしまったのである。

─── この夜、池田屋にいた尊皇攘夷の過激派浪士は二十数名。
新選組は七名を討ち取り、四名に手傷を負わせた。
最終的には会津藩の協力により、二十三名を捕縛する事に成功した。
数に勝る相手の懐へ突入した事を思えば、新選組は目覚しい成果を収めたと言える。

だが、その新選組の被害も小さいものではなかった。
隊士一名が戦死、二名が重症。
それに加えて藤堂は額を切られて血が止まらずに昏倒し、沖田は胸部に一撃を受けて吐血して失神。
永倉も左手の親指の付け根を負傷している。
名前は切り傷は無かったもののあちこちを打撲しており、腹と背中には大きな痣が残った。
しかし、この事件により新選組は世間に名を知らしめることになるのであった。

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