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─── 亥の刻。
名前は土方達と共に、四国屋で待機していた。
しかし四国屋付近には長州浪士らしい人影は見当たらず、加えて会津藩と所司代らしき者達がやって来る気配も無い。
原田「それにしても遅せぇな、所司代達は…!」
痺れを切らしたように原田が吐き捨てた。
土方も眉を顰めて訝しげな表情を浮かべている。
斎藤「もう一度所司代に使いを走らせますか」
土方「……そうだな、そうしてくれ」
斎藤「承知しました」
斎藤が部下に指示を出しているのを横目に、それまで何か考え込んでいた名前は土方に声を掛けた。
名前「土方さん。私、池田屋の様子を見てきてもいいですか」
土方「……お前一人でか?」
鋭い視線を向けられるが、名前は臆すること無く頷いて主張を続けた。
名前「いくら何でも人の気配が少なすぎます、もしかしたら池田屋が本命なのかもしれません。ですが様子を見に行っている間に会合が此方で始まる可能性もありますし、偵察には人手は割かない方がいいです。単独で動くなら、隊に所属していない私の方が都合がいいでしょう」
それに、と続けて名前は悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
名前「足の速さには自信がありますから。此処と池田屋の間なら誰よりも速く往復できますよ、すぐに此方へ戻って来れます」
にひっと笑って自分の足を叩く名前に、土方は暫し考え込んでいたが遂に頷いた。
土方も名前の足の速さは認めている。
試衛館に通っていた者の中でも名前は群を抜いて足が速く、そして新選組となった今でもその地位が揺らぐ事はなかったのである。
土方「……分かった。名前、お前に一任する」
名前「ありがとうございます」
原田「気をつけて行けよ、名前。浪士が彷徨いてねえとも限らねぇからな」
名前「うん、気をつける!すぐ戻ります!」
名前は土方に一礼すると、風のような速さで瞬く間にその場から駆けて行く。
緊迫した状況だというのに、「速い……」という呟きが数人の隊士から上がっていたらしいが、それは名前の知るところではない。
夜道にも関わらず木屋町通を全力疾走していると、三条小橋に差し掛かったところで反対側から人が走ってくるような足音が聞こえた。
辺りは暗いため、距離があっては顔までは判別出来ない。
だが、浅葱色の羽織を着ているわけでもなさそうだ。
敵か、と名前は瞬時に刀を抜いた時である。
千鶴「っ、名前ちゃんっ!!」
名前「えっ、千鶴ちゃんっ!?」
目を凝らしていれば見覚えのある桃色の着物が目に入る。
それは、屯所で留守番をしていたはずの千鶴だった。
名前を認識したのは千鶴の方が早かったらしく、聞こえてきた声に名前は驚いて声を上げた。
千鶴は息を切らしながら全速力で走って来て、勢い余ったのか名前の胸に飛び込んでくる。
名前「なんで千鶴ちゃんが此処に!?っていうか、一人で来たの!?」
倒れ込むように突っ込んできた千鶴を難なく受け止めて名前が尋ねれば、千鶴はゼェゼェと酷く息を切らしながら頷いた。
千鶴「でっ、伝令でっ……っ本命は、池田屋っ……!!」
息も絶え絶えに告げられた内容に、名前は息を飲んだ。
やはり池田屋の方だったか、どうりで静かな訳だ。
池田屋は近藤達が張っているから、もしかしたら既に討ち入りが始まっているかもしれない。
名前「千鶴ちゃん、まだ走れる!?」
千鶴「っうん、大丈夫っ……!!」
名前「此処をずっと真っ直ぐ進めば四国屋があるの、そこに土方さん達がいるからそっちにも伝えてほしい!」
千鶴「うんっ、分かった…!!」
名前「あと、『近藤名前は先に加勢に向かいます』って事も伝えて!」
千鶴「うん、気をつけてねっ……!」
名前「ありがとう、千鶴ちゃんも!!」
千鶴に無理をさせて走らせるのは気が引けたが、今は一刻を争う事態だ。
近藤率いる隊は選りすぐりの隊士を引き連れているとはいえ、多勢に無勢であればいずれ限界が訪れるはずだ。
手短に言葉を交わすと、名前と千鶴は反対方向へ走って行く。
己の役割を果たすため、二人の少女はひたすら走った。
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