銀桜録 新選組奇譚篇 | ナノ


1

元治元年 四月下旬。


名前「 ─── 潜入捜査……ですか」


名前は思わず、彼の言った言葉を繰り返していた。
彼女にそれを命じた張本人、土方は「そうだ」と言わんばかりの顔で頷く。


土方「……監察方から、長州の奴らが変装して市中に入り込んでいるらしいとの報せがあった。中でも枡屋にいる商人のもとに、長州の奴らの何人かが潜伏しているらしい。何やら企んでるとの報せだ」

名前「……つまり枡屋に潜入せよ、って事ですか?」

土方「ああ、奴らの謀を調べてほしい。内部に入り込まなければ得られねえ情報になるだろう。……やってくれるか?」


土方の鋭い眼差しが名前を捉える。
一方で名前はきょとんとした顔をしていた。


名前「命令なら勿論やりますけど……そもそも、なんで私なんですか?私みたいな素人で大丈夫ですかね?」


そもそも潜入捜査は監察方の仕事の筈だ。
山崎や島田の方が場数を踏んでおり、その辺の立ち回りは名前よりも遥かに上手いだろう。
だからこそ何故その役目が自分に回ってきたのか、名前は不思議で仕方がなかったのである。


土方「……お前にその意識が無くても、女っつうのは男の油断を引き出せる。信頼さえ築いちまえば『此奴になら話しても問題ねえ』と奴等に思わせられるんだよ、ただの町娘が敵と繋がってるなんて普通は考えつかねえからな」

名前「はあ……そう上手くいきますかね」

土方「お前なら相手の懐に入るくらい朝飯前だろ、その阿呆っぽさで何とか付け入ってこい」

名前「いや阿呆っぽいって失礼な!!……って、ちょっと待ってください」


今、土方は何と言った?
……"町娘" と、確かにそう言った。


名前「……あの、土方さん。まさかとは思うんですけど……」

土方「そのまさかだ。町娘の格好で行ってこい」

名前「ええええっ!!」


名前も今となっては刀の無い生活など考えられぬ程になっていた。
自分の身は勿論、新選組を守る為に必要不可欠な存在なのだ。


土方「お前も何度か巡察に出てんだ、そのまま行ったらバレるかもしれねえだろ」

名前「だからって敵地に丸腰で入るのは怖いですよ!いや、女の人は丸腰が普通なんでしょうけども……」

土方「山崎と島田が店の周りで張ってる。何かあったら助けを呼べ」


どうやら潜入捜査をするのは名前だけではなく監察方も同じだったらしい。
しかし名前は監察方よりも、さらに内部へ潜入するのだ。
正直、自分に出来るか分からなかった。


名前「でも私、前の着物は試衛館に置いてきちゃいましたよ」

土方「あ?着物ならこの間仕立てに行ってただろうが」


その言葉に、名前はぎょっとして土方を見た。
名前はひと月ほど前、着物を仕立て屋に出した。
出したのは、芹沢を暗殺した翌日に菱屋から貰った反物だ。
そしてつい数日前にようやく完成して、その着物は名前の手元にやって来たのである。
しかし試しに着ることもなく、箪笥の中に大切に仕舞っていた。


名前「鬼ですか」

土方「あ?何当たり前の事言ってやがる」


そうだった、この人は鬼副長だ。
思わず頭を抱えた名前だが、副長命令ならば従うしかない。


名前「……分かりました。近藤名前、しっかり務めを果たしてきます」

土方「ああ、頼んだぞ。気をつけて行け」


やるしかないと腹を括り、名前は頭を下げて任務を引き受ける。
そして土方の部屋から出る頃には既に、名前は頭の中で計画を練っていたのである。


******


千鶴「えっ……!」


土方からの命を受けた後、名前が最初に向かったのは千鶴の元であった。
明後日にでも此処を発ち潜入捜査を行うこと、そして暫く屯所を離れるということを伝えるためである。
そんな話を聞いた千鶴は、衝撃を受けたような顔になった。


千鶴「潜入捜査、って……」

名前「……ごめん、詳しくは言えなくて。とにかく、明後日から屯所を空けることになるの」

千鶴「そう、なんだ……。どのくらいかかるの?」

名前「んー、情報を得られない限りは戻れないし……ひと月になるか、ふた月になるか……」

千鶴「……ふた月……」


明らかに千鶴の顔に影が差した。
伏せられた目は酷く寂しげで、そんな悲しそうな顔されると名前としてもかなり心苦しい。


名前「本当にごめんね、千鶴ちゃん。本当は貴方の傍に居てあげたいんだけど……」

千鶴「うっ、ううん!お仕事なんだから、私の事は気にしないで。本当に気を付けてね……」


千鶴は慌てたようにそう言ったが、その顔はやはり浮かない表情だ。
名前としても、千鶴と暫く会えなくなってしまうのは寂しかった。
だが千鶴に悲しそうな顔をさせたまま此処を去るのは気が引けた。
何とか元気づけられないかと思っていると、ふと自分の腰に差してある大小が目に入る。
その瞬間、妙案を思いついた。


名前「ね、千鶴ちゃん。お願いがあるんだけどいいかな」

千鶴「うん、なあに?」


千鶴の返事を聞いた名前は腰に差していた本差と脇差を抜き、彼女へ差し出す。


名前「私が帰って来るまで、これを預かってもらいたいの」

千鶴「えっ……!?」


目の前に差し出された二本の刀を見て千鶴は不思議そうに首を傾げていたが、名前の言葉に彼女の大きな瞳はまん丸に見開かれた。


千鶴「えっ、でも…持っていかないの?」

名前「うん。実は、町娘の格好をして潜入する事になっててさ。だから刀は持って行けないの」

千鶴「そう、だったんだ…。でも、私なんかが預かってもいいの?斎藤さんとか沖田さんの方が……」


名前の提案に、千鶴はおろおろとしていた。
千鶴の目にも、名前が斎藤や沖田と特に仲が良いのは明らかなようだ。
しかし名前は首を横に振ると、千鶴に微笑みかけた。


名前「私は、千鶴ちゃんに預かってもらいたいの。気休めにしかならないかもしれないけど、私の代わりとして刀だけでも貴方の傍に置いておけたらなって。御守りだと思って?」

千鶴「名前ちゃん……」


すると、千鶴の小さな手が伸びてきて二本の刀をしっかりと握った。


千鶴「名前ちゃん、本当にありがとう。名前ちゃんが戻ってくるまで、私が預かっておくね」

名前「うん、よろしくね」


名前の刀を受け取った千鶴。
しかし彼女は少しの間、何かを考えているような顔つきでその刀を見つめていた。
そして、何かを決意したような色を瞳に浮かべる。


千鶴「……あの、私からもお願いがあるんだけど……」

名前「ん?どうしたの?」

千鶴「えっと……厚かましいお願いだとはわかってるんだけど……もしよければ、この名前ちゃんの脇差を私が身に付けることを許してもらえないかと思って……」

名前「千鶴ちゃんが……?」


名前は目をぱちくりと瞬かせた。
つまり名前が此処に帰って来るまで、千鶴は自分の小太刀ではなく名前の脇差を身に付けたいと言っているのだ。


名前「勿論!千鶴ちゃんがそれでいいのなら、私は全然構わないよ」

千鶴「ほ、本当!?ありがとうっ!」


これで少しは、元気を出してもらえたのではないだろうか。
嬉しそうに目を細めて笑う千鶴。
その手には、本当に大事そうに名前の刀が握られていた。

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