銀桜録 新選組奇譚篇 | ナノ


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名前「 ─── 山南さん、名前です。お昼ご飯を持ってきました、入ってもいいですか」

山南「ええ、どうぞ」


襖の向こうから聞こえてきた声は、いつも通りの山南の声。
部屋へ入れば、しゃんと背筋を伸ばして机に向かう山南の背中があった。


山南「ありがとうございます。そこに置いておいてください」


山南はちらりと名前を振り返ると、優しく微笑んだ。
しかしその顔は青白く、笑顔も力無い。
そして彼の近くに置かれているのはおにぎりと味噌汁。
おそらく朝ご飯だったのだろうが、手を付けた様子は無かった。


名前「……具合はどうですか」

山南「ええ、ようやく痛みが引いてきたところです」


"痛みが消えても、動きはしませんが。"
自嘲するような笑みで付け加えられた言葉に、名前はキュッと口を結ぶ。
何も、言えなかった。

本当にもう、彼の腕は動かないのか。
今まで当たり前のように稽古を付けてくれて、優しく背中を押してくれた手は、もう元に戻らないというのか。
山南は勿論のこと、名前自身も未だ受け入れ難い現実であった。


名前「山南さん。……召し上がってもらえませんか」


名前から視線を外して再び文机に向かっていた山南。
しかし、名前の言葉にもう一度彼女を振り返る。


山南「……食欲が無いのです。死なない程度には食べますから、大丈夫ですよ」


何が、大丈夫なものか。
名前は立ち上がると、ゆっくりと山南の隣に足を運んで腰を下ろす。
山南の顔にそっと触れて此方を向かせれば、彼の瞳が驚いたように揺れた。


名前「顔色が良くありません。今の時期は寒いですから、体力をつけなければ風邪を引いてしまいます。風邪は万病の元ですよ、本当に倒れてしまいます」

山南「……自分の体の事は自分が一番分かっています。どうか、放っておいてください」

名前「いいえ、そういう訳にはいきません」

山南「っ、名前さん」


ほんの一瞬、山南の瞳に鋭さが見えた。
山南の頬に添えられていた名前の手を、彼の右手がぐっと掴み、引き離す。
しかしその手は、微かに震えていた。


山南「……早く行きなさい。私が余計な事を言わぬ内に。……貴方を傷付けたくはありません」


今でも山南は、心の内で葛藤していた。
今にも爆発しそうな己への苛立ちと、自分の弟子のように可愛がっている名前への愛情。
二つの感情がせめぎ合っていた。


名前「いいえ」


しかし名前は、頑なに首を振らない。


名前「山南さんが食事をして下さるまで、私は此処から動きません」


一瞬、山南の瞳が揺らぐ。
しかし同時に、彼の堪忍袋の緒が切れた。


山南「っ、いい加減にして下さい!放っておいてほしいと何度言えば分かるのです!?私の苦しみなど、貴方にわかるはずがないでしょう!寄り添う素振りを見せて、結局は貴方も善人である事を示したいだけなのでしょう!?非常に不愉快なんですよ、そういったものは!」


山南が、名前の前で初めて声を荒らげた。
普段の山南からは想像もつかぬほど、物凄い勢いで捲し立てられる。
彼自身も息を切らしてしまうほどの勢いだった。

しかし名前は一切の動揺を見せず、ただじっとその棘のある言葉に耳を傾けている。
焦茶色の目が曇ることなく真っ直ぐに山南を見つめていて、山南はハッと我に返った。
やってしまった、と山南自身が傷付いたような表情であった。


山南「……申し訳ありません。ついカッとなって言いすぎてしまいました」


この状況でも冷静に己の非を認められるのが、山南が人格者であると言われる所以なのかもしれない。
しかし、山南から辛辣な言葉を浴びたとは思えない程、名前はきょとんとした表情を浮かべていた。


名前「……え?今ので全部なんですか?」

山南「……どういう意味です?」

名前「もう他に吐き出したい事はないんですか?あれが気に食わないとか、これに苛つくとか、こう思ってしまって苦しいとか」


山南は、珍しく面食らった表情になっていた。
名前はそれを見て、困ったように眉を下げる。


名前「山南さんって、いつも心に響く助言をして下さいますよね。私にも昔、『一人で溜め込むな』って言ってくださって。なのに、自分は全然吐き出さないで溜め込んでるじゃないですか。私の方が数倍多く吐き出せますよ、鬼副長の愚痴とか」


何なら今やってみせましょうか、と悪戯っ子のような笑みを浮かべる名前に、山南は呆気に取られている。
そんな彼の右手を、名前はそっと握った。


名前「……今の山南さん、昔の私にそっくりなんです」

山南「……昔の貴方……?」

名前「はい。何もかもが信じられなくて色々一人で溜め込んで……差し伸べられる手が、全て偽善に見えていた時の私に」


山南は小さく息を飲んだ。
己の心の奥深くで芽生えていた感情を、見事に言い当てられたからである。
同時に、彼女にもそんな時期があったのかと。
いつも笑顔で人懐っこくて、愛に満ち溢れている彼女に。

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