銀桜録 新選組奇譚篇 | ナノ


1

─── 文久四年 一月。

年が明け、千鶴が屯所で暮らすようになってから早十二日が経過していた。
しかし、新選組の生活はこれといって変わらない。
ただ毎日ひたすら隊務をこなすのみである。


永倉「にしても最近入った奴らは弱っちいったりゃありゃしねえ!すぐに根を上げちまってよ」


どうやら今日も隊士達がヘロヘロになるまで稽古を行ったらしい。
底無しの体力を誇り、幹部の中でもずば抜けて剣術馬鹿な永倉の指導は、あまりにも厳しいと隊士達の間でも恐れられている。


原田「そりゃ、休憩もさせねえでぶっ続けでやるからだろうが」

永倉「ンなもん要らねえだろ、勿体ねぇ」

原田「皆が皆、お前みたいな体力馬鹿じゃねえんだよ。育てるどころか潰しちまったら元も子もねえだろうが」

永倉「つってもそもそもの体力がなきゃ、いざって時に持たねえじゃねえか。体力付けるには慣れるのが一番なんだよ」

原田「それはそうかもしれねえが……段階ってもんがあるだろ、最初から何でもできる人間なんていねえんだ」


永倉と原田は隊士達の稽古に関して意見を交わし合っている。
特に永倉の方は、人に仕えるよりも人の上に立つ方が能力を発揮できるのかもしれない。
非番の度に島原に入り浸ってはいるものの、永倉も原田も今となっては威厳ある組長だ。
こうして真面目に意見を交わすのは良い事なのだろうが……。


名前「……あのー、お二人さん?井戸端会議なら他でやってくれる?」


永倉と原田が会話をしている場所は炊事場の入口。
勿論手伝っている訳では無く、突っ立って話しているだけだ。
炊事の方は名前と斎藤が二人で行っていた。


永倉「いいじゃねえか、暇してんだよ」

名前「あのね、炊事場は溜まり場じゃないの。ほら、狭いんだから。手伝う気がないならあっちに行った行った」

原田「……なんつーかお前、最近母親みてえな言い回しするようになってきたな……」

名前「そう?……あ、待ってても味見はさせないからねー」

永倉「なんだよ、バレてんのか」

名前「あれの何処が味見なの、四人分の沢庵掻っ攫っていってさ」


名前の脳内にあるのは数日前の出来事である。
巡察帰りであまりにも腹を空かせた永倉がやってきて味見係を名乗り出たかと思えば、沢庵の入った碗を四個も持って行ってしまったのである。
いっそ清々しい程の泥棒っぷりであった。


名前「しかもあれ、何故か私が土方さんに怒られたんだからね!?」

永倉「おっと、そりゃすまなかったな。ってな訳で、何か食えるもんねえか」

名前「ありません。そんなに我慢できないなら生の大根でも齧る?」

永倉「生の大根は流石にキツイが……まあ、いけねえ事はねえな」

名前「……えっ、冗談だからね!?食べないでね!?」


置かれている大根を見る永倉の目が獲物を狙うように光っており、名前は慌てて大根を取り上げた。
あれは本当に一本食べようとしている目だった。


原田「斎藤。さっきから凄い形相で味噌汁混ぜてるが、今日はちゃんと味のするやつ頼むぜ?」

斎藤「……文句があるのならばあんた達が作れ」


原田の揶揄い口調に、斎藤は些か不機嫌そうに返した。
斎藤は先程から黙ったまま味噌汁を混ぜていた。
しかし何故かその目付きは巡察の時と殆ど変わらない、鋭い目付きである。

そんな彼の作る料理は、味がかなり薄い。
料理によっては殆ど味が無い時がある。


名前「……あ、今日は私が付きっきりで調味料入れたから多分大丈夫だよ(コソッ)」

原田「お、それなら安心だな(コソッ)」

斎藤「聞こえているが」

名前「げ」

原田「うおっ、地獄耳だな」


小声で話していたつもりだが、斎藤には丸聞こえだったらしい。
名前は慌てて大根の皮剥きに専念した。


斎藤「塩分の摂りすぎは体に毒だ」

永倉「だからってお前のは味が薄すぎるんだよ、ほぼ皆無だぞ?んでもって総司のは塩っ辛くて食えたもんじゃねえし、平助のは壊滅的だし……」

名前「自分の事棚に上げなーい」

原田「確かに、俺と新八も大概だな」

永倉「違ぇよ、名前の飯はいつも美味えって言ってんだ」

名前「……そんなこと言ったって味見はさせないからね?」

永倉「くそ、駄目か」


やはり味見はさせてもらえないと諦めたのか、二人はわいわい騒ぎながら炊事場を出て行った。
結局手伝ってくれないのか、と名前は内心ではあの二人に悪態をついている。


名前「……怒ってる?」

斎藤「怒ってなどいない」

名前「(あ、怒ってる……)」


恐る恐る斎藤の顔を覗き込めば、相変わらずの鋭い目付き。
なんだかムッとしているようにも見えるし、これは確実に怒っている。


名前「……ごめんね?」

斎藤「怒っていないと言っているだろう」


普段よりも語気が強い。
怒ってるじゃん、と内心思うが触らぬ神に祟りなしだ。
ここは話題を変えようと話を切り出す。


名前「……そういえば、千鶴ちゃんの事なんだけどね?」

斎藤「如何した」

名前「そろそろ綱道さんを探しに行きたいんだって。元々千鶴ちゃんはその為に遥々京に来たんだし、何とかならないかな」


昨日名前は千鶴から、綱道を探しに行きたいと相談を受けていた。
千鶴に外出禁止令を言い渡した土方は今は大坂へ出張中でいない為、彼が戻るまではとりあえず保留ということになったのだが。
何か良い手がないかと名前も昨日から考えているのだが、いまいち思いつかない。


斎藤「……それならば今朝、彼の者から巡察に同行したいという旨の相談を受けた」

名前「えっ、千鶴ちゃんから!?」


どうやら千鶴も自分なりに色々と考えたらしい。
それにしても、斎藤に直談判に行くとは。
幹部の中でも斎藤は特に話しかけづらい空気を纏っている。
実際話せばちゃんと返事は返ってくるし、頷きながらしっかりと話を聞いてくれるのだが、幹部一の真面目な性格と鋭い目付きのせいか、新入隊士達からすればやはり話しかけづらいのだという。
そんな彼に直談判に行くとは、大人しそうに見えて千鶴もなかなか肝が据わってると思う。


名前「でも、巡察はちょっと危なくないかなぁ…。それで、何て返したの?」

斎藤「……あんたの言う通り、巡察は命懸けだと告げた。しかし護衛術ならば心得ているとのこと故、彼の者の腕を試した」

名前「……え、誰が?」

斎藤「俺がだ」


名前は顔を引き攣らせて斎藤を見る。
成り行きとはいえ、斎藤と刀を交えたとは。


斎藤「……案ぜずとも手加減はした」


一君の手加減はあんまり手加減じゃないよ、と喉まで出かけた名前だがそこは黙っておく。


名前「えっと……それで、どうだったの?」

斎藤「少なくとも、外を連れ歩くのには不便を感じない腕だった」

名前「えっ、そうなんだ!一君のお墨付きなら間違いないね」


それにしてもなんだか意外な一面である。
千鶴はただのお淑やかな少女という訳でもないらしい。
ふと視線を感じて顔を上げれば、斎藤がじっと名前の顔を見ていた。


斎藤「……あんたの剣に、よく似ていた」

名前「……私に?」

斎藤「ああ。曇のない剣だ」

名前「……そ、そうなんだ」


不意に合った彼の瞳が、あまりにも優しくて。
目が合う事など日常茶飯事なのに、何故かドクンと心臓が飛び跳ねる。
不意打ちだったからだろうか。
なんだか気恥ずかしくて名前は思わず目を逸らしてしまい、そんな彼女を斎藤は不思議そうに見ていた。


名前「……じゃっ、じゃあ後は土方さんに頼みに行くだけだね!」

斎藤「ああ、そうだな」


うんうんと大きく頷きながら、名前は炊けた米を掻き混ぜる。


名前「……早く見つかるといいね」

斎藤「……それは、本心か?」

名前「……正直言えば、五分五分」


痛い所を突かれて、名前は苦笑いを浮かべた。


名前「千鶴ちゃん、表には出さないだけで凄く不安だろうし、早く再会させてあげたいんだけどさ……」

斎藤「……薬の事か」


見事に言い当てられて、名前は困ったように目を伏せた。


名前「機密だからっていうのもあるけど……あれは、あの子が知らなくてもいい物。知っちゃいけない物だと思うの」


あんな純粋な子に、穢れた世界を見せたくない。
わざわざ目を汚す必要はないのだ。


斎藤「……名前。彼の者にあまり深入りはするな」


以前にも一度聞いた忠告だ。
それと同時に斎藤に心配されていることに気づき、名前は苦い笑みを零す。


名前「前に新八さんにも言われた。気をつけてるつもりなんだけど……なんか、気になっちゃうんだよね」


炊けた米の出来は申し分ない。
茶碗によそいながら、そんな事を呟く。


斎藤「……あんたは、優しすぎるのだ」


それは一君の方だよ、という言葉は飲み込んで、名前は困ったような笑みを浮かべただけであった。

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