銀桜録 新選組奇譚篇 | ナノ


1

─── 文久三年 十二月半ば。

土方達は、とある問題に直面していた。


?「私、何も見てません!」


新選組幹部達の集う部屋に放り込まれてそう主張するのは、まだ齢十五程のあどけない顔立ちをした少年だった。

事の発端は昨晩。
羅刹化した隊士が二名、屯所を脱走した。
変若水の研究は未だ大きな進展は無く、飲まされた隊士達は血に狂っていた。
そこで彼らを始末する為に、すぐさま幹部だけで捜索に出たのだが。
羅刹化した隊士が狂ったように不逞浪士を惨殺し、更には土方達がその羅刹を斬り殺すという修羅場に、この少年は運悪く居合わせてしまっていた。
現場を目撃したということで、一先ず屯所に連行された少年。
その処遇を早朝から話し合っているのである。

昨晩の報告をする幹部達の話を聞いて、自分は何か見てはいけないものを見てしまったのだと少年は察したらしい。
その少年は、自分は何も見ていないと主張した。
当然だ、殺されるかもしれないのに自分が不利になるような発言をする筈がない。
しかしそれに反応したのは永倉である。


永倉「あれ?総司の話じゃ、お前が隊士どもを助けてくれたって話だったが」

?「ち、違います!私はその浪士達から逃げていて、そこに新選組の人達が来て……だから、私が助けてもらったようなものです!」

永倉「……じゃあ、隊士共が浪人を斬り殺してる場面はしっかり見ちまったわけだな?」

?「えっ……」


どうやら根が素直なようで、見事なまでに墓穴を掘ってしまっている。
殺しちゃいましょうよ、と本人の前でとんでもない事を沖田が言い出し、土方から一喝された。
冗談ですよとヘラヘラ笑う沖田であったが、全くもって冗談には聞こえない。
現に少年は真っ青になってしまっていた。


?「お願いです!私、絶対誰にも言いませんから!」

土方「もういい。連れていけ」


必死に懇願する少年であったが、土方が冷たく言い放つ。
土方からの命令を受けた斎藤が、少年の着物の襟を掴み上げて連行しようとする。
しかし、その時であった。

スパーンッ!!と勢いよく障子戸が開いたかと思うと、現れたのはひと月弱程屯所を空けていた人物。


名前「おはようございます!近藤名前、ただいま戻りましたー!!」


久しく耳にしていなかった底抜けに明るい声が響き渡り、それは会議をしていた事を幹部達から忘れさせる程のものであった。


斎藤「っ!?」

沖田「名前っ!」

藤堂「えっ、名前!?早くねぇか、まだひと月経ってねえだろ!?」

近藤「名前!!帰って来たのか、よく無事だった……!!」


目を見開く斎藤に、パッと表情を明るくした沖田、驚愕した表情の藤堂に、安堵のあまり目を潤ませている近藤。
三者三様の反応を見せる彼らを見て、未だ旅装束を纏っている名前はニッと天真爛漫な笑顔を浮かべる。
相変わらず太陽のようなその笑顔は、殺伐としていた空気を一気に吹き飛ばしてしまった。


土方「なんだ、随分早いじゃねえか。よく帰ってきたな、道中は何ともなかったか」

名前「大丈夫でしたよ、山崎さんもいましたし!十回くらいすっ転びましたけど」

原田「いや転びすぎだろ」

沖田「そういえば、初めて京に来た時も名前だけ異常に転んでたよね」

藤堂「年寄りなんじゃねえの、何もねえ所で転ぶって言うじゃん」

名前「久しぶりに会って早々酷くない?」


土方までもが名前に労いの言葉を掛けており、その場は一気に賑やかになった。
名前はどっかりとその場に腰を下ろすと、困ったような表情を浮かべた。


名前「もう、それより聞いてくださいよ!めちゃくちゃ運が悪くって!文にも書きましたけど、あっちに着いた時には……って、ん?」


江戸での出来事を話し始めた名前だが、途中ではたと言葉を切った。
斎藤に襟を掴まれている少年の存在に気づいたのである。


名前「……あ、えっと……ごめんなさい。お客様、ですか?」


名前の言葉を聞いた途端全員が顔を見合わせ、苦虫を噛み潰したような表情になった。


沖田「……まあ、招かれざる客ってところかな」


沖田の表現は的確であった。
しかし、状況の詳細を知らない名前にとってはあまりにも抽象的な説明である。
首を傾げて名前が見たのは斎藤であり、説明を求められた斎藤は静かに口を開いた。


斎藤「……昨晩、前川邸の隊士らが市中にて不逞浪士と遭遇した。斬り合いとなった為に此方で処理したものの、この者に目撃された」


前川邸、斬り合い、処理、目撃。
斎藤の言葉の裏に隠された意図を読み解き、名前は瞬時に状況を理解した。


名前「……そう、だったの」


名前はそれ以上何も言わなかった。
下手に何か此方から事情を漏らしてしまえば、その皺寄せは少年に行く。
少年を殺さなければならない理由が増えてしまうのだ。
相槌以外の反応は見せず追及もせずに口を噤んだのは、少年の身を考えての事なのだろう。


土方「其奴の処遇については今から話し合うところだ。斎藤、連れて行け」

斎藤「承知致しました」

?「わっ、!?」


斎藤は少年の腕を掴むと、部屋の外に連れ出した。
少年を敵視しているせいなのだろうが、それは普段の斎藤からは想像出来ない程の乱雑すぎる扱いで、見兼ねた名前は思わず声を上げていた。


名前「あっ、ちょっと待って、一君!!」

斎藤「……如何した」


少年を無理やり引っ張る斎藤の動きがぴたりと止まった。


名前「この子は私が連れて行くよ。土方さん、何処に連れて行けばいいんですか?」

土方「……お前の部屋の隣の空き部屋だ」

名前「あっ、ほら丁度いい!私、どっちにしろ着替えて来なきゃいけないし。一君は詮議を続けた方がいいんじゃない?」


斎藤の瞳が何かを探るように名前を見て、そしてその視線を土方へ移す。
土方が頷いたのを確認すると、斎藤は「分かった」と返して少年を名前に預けた。


名前「じゃ、ちょっと行ってきますね」

土方「……さっさと着替えてお前も参加しろ」

名前「はぁい」


のんびりとした返事に紛らせて。
少年に気づかれぬよう、名前と土方は一瞬目配せをする。
パタンと障子戸が閉まり、その場は途端に静まり返ったのである。

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