銀桜録 黎明録篇 | ナノ


3

八月十日、夕方。
その情報は、山崎によって突然もたらされた。


土方「 ─── 島原に佐伯が?」

山崎「はい。まず間違いないかと」


土方を訪ねて部屋へやってきた山崎。
聞こえてきた内容に、名前は弾かれたように二人の方を見た。
それに気づいたようで、本紫色の瞳が名前を捉える。


土方「……名前。行けるか」

名前「勿論です。確か総ちゃんが非番だった筈なので、一緒に行ってきます」

土方「ああ、俺も彼奴らに伝えたらすぐに向かう。見つけたら必ず仕留めろ」

名前「分かりました」


名前は筆を置いて刀を差すと、沖田の元へと寄って即座に八木邸を出た。
向かうは勿論島原である。


名前「まさか島原にいるだなんて……」

沖田「本当、厄介だよね」


花街である島原は、夕暮れ時からが朝のようなもの。
つまり、羅刹が動き出す時間帯に島原も賑わいを見せるのである。
羅刹の存在を公にする訳にはいかない為、細心の注意を払って仕留めなければならない。
人や狭い路地の多い島原は羅刹の格好の餌食であり、名前達からすればこの上なくやりづらい場所なのである。

島原へ着けば、番頭や着飾った芸妓、客で既に賑わいを見せていた。
這い上がる嫌悪感を封じ込み、名前は周囲に全神経を集中させる。

すると ─── 。


名前「……?」

沖田「……今、見られたね」

名前「やっぱり?」


一瞬だけ名前達へ向けられた視線。
そこには僅かだが、確かに殺気が含まれていた。
名前達が足を止めて視線を向けたのは、通り過ぎようとしていた薄暗く狭い路地である。
何故こうもやりづらい場所にいるのだろう。


沖田「名前」

名前「うん、行こう」


息を潜めてその路地へと入っていけば、もう一つの呼吸音が微かに聞こえてくる。


沖田「そこにいるんでしょう?前に屯所から逃げ出した羅刹と同じ匂いがするんだよね」


その言葉に反応するように、遠くでむくりと人影が起き上がる。
暗闇で紅の光を放つ瞳……間違いなく羅刹であった。
名前と沖田はほぼ同時に刀を抜く。


沖田「名前、作戦通りにね」

名前「了解、気をつけて」


名前達は予め、羅刹を見つけた際の立ち回りを考えていた。
まずは沖田が斬りかかり、羅刹を仕留める。
それで終われば一番良いが、万が一それを外した場合は沖田が羅刹の後ろ側に回り込み、名前と沖田の二人で羅刹を挟み撃ちにして仕留める作戦である。

一瞬だけ目を合わせ、手筈通りに沖田が羅刹に向かっていく。


佐伯「血だ!!血をよこせぇぇえ!!!」

沖田「御免だね」


剣技では明らかに沖田が勝っている。
型もなく無茶苦茶に振り回される刀を的確に避け、沖田の剣尖が佐伯の中心部を突いた。

……しかし。


沖田「っ、外した!?」

名前「総ちゃんっ!!」


どうやら沖田の剣は僅かに心臓を逸れていたらしい。
佐伯は瞬時に傷を回復させて人間離れした跳躍力で高く飛び上がり、勢いよく剣を振りかざす。
闇夜できらりと輝きを見せたそれは、沖田をしっかりと狙っていて。

考えるよりも早く、名前の体は動いていた。
一瞬反応の遅れた沖田を守るべく、名前は近くに転がっていた小石を思い切り投げつけた。
その石は見事佐伯の左目に命中し、空中で体勢を崩した佐伯は地面に転がり落ちる。
その隙に沖田は佐伯の背後に回り込み、名前は正面に立ち塞がった。

そこからは、僅か一瞬の出来事。
どちらからともなく佐伯に立ち向かっていき、沖田の刃は首を、名前の刃は心臓を狙う。

今度は外すことは無かった。
同時に急所を攻撃された佐伯からは勢いよく血飛沫が上がり、ドサッと地面に倒れる。
回復する様子もなく、ぴくりとも動かない。
長かった戦いは終わったようだ。


名前「……っ、」


やはりまだ血の匂いには慣れない。
顔に飛び散った返り血を手の甲で拭い、白刃に付着した血を和紙で拭き取っていると、沖田が名前の刀をじっと見つめていた。


沖田「……ちょっと刃こぼれしてきてない?脂も酷いし」

名前「わ、本当だ。ちゃんと手入れしてるんだけど……」

沖田「こればっかりは仕方ないよ」


名前は京に来てから四度、人を斬っている。
全員が羅刹であり、この刀で心臓を貫いたのがそのうち二回。
それ以外にも羅刹の体に何度も傷を負わせている。
刀の質が落ちてしまうのは当然であった。


沖田「これで徹夜からは解放されるだろうし、明日にでも研ぎに出しなよ」

名前「うん、そうしようかな」


沖田と会話をしながら、名前は絶命した佐伯に手を合わせる。
彼が悪事を働いた罪は、羅刹の実験台になった事で償われたはず。
だからせめて極楽浄土に行けるようにと、名前は静かに祈ったのである。


永倉「 ─── 総司、名前!!」


その時、永倉の声が聞こえた。
どうやら騒ぎを聞きつけたらしく、駆けつけてくれたようだ。
土方を先頭にその場にやって来た皆は、絶命した佐伯を見て眉を顰めた。


土方「……誰も此処へ近付けるな」

原田「わかった」

土方「よくやった、総司、名前」

沖田「別に土方さんに褒めてもらうためにやったわけじゃないですから。……行くよ、名前」

名前「ちょっ、待って総ちゃん!」


相変わらず沖田はつんけんとした態度である。
名前の手を引っ張る沖田だが、名前は慌てて踏ん張って土方に簡潔に報告をした。
それを聞いた土方は、いつも通りの険しい表情で頷く。


土方「……そうか、分かった。怪我はねえか」

名前「大丈夫です。すみません、先に戻っていてもいいですか?」

土方「ああ、構わねえよ。ゆっくり休め」

名前「ありがとうございます」


名前が頭を下げるのと同時に、沖田が名前をもう一度引っ張る。
名前はまるで沖田に引きずられるようにして、その場から去っていったのだった。


******


山南「お疲れ様でした、二人とも」


名前と沖田が八木邸に戻ると、山南が出迎えてくれた。
名前が安堵したような表情で頷く一方で、沖田は山南の顔をじっと見つめていた。


沖田「山南さん。どうしてあの時僕達に、わざわざ『殺せ』なんて念を押したんですか?」


その言葉に僅かに沈黙した山南であったが、静かに口を開く。


山南「沖田君には……この浪士組の【剣】になってもらわなければならないからです」

沖田「浪士組の、剣……?」


沖田が名前と顔を見合わせる中、山南はゆっくりと言葉を続けた。


山南「不逞浪士達は沖田総司の剣を恐れ、浪士組に畏怖を抱く。君の剣は、今後益々血にまみれていくことになるでしょう」


まるで予言するかのように言葉が紡がれる。
そして彼の言葉は現実となるのだろう、と名前には思えてならなかった。

【浪士組の剣】─── 。
これ程沖田にぴったりな言葉は無いだろうと、思ってしまったからなのかもしれない。


山南「……名前さん。沖田君が浪士組の剣ならば、貴方は【盾】です」

名前「盾……?」


聞き返した名前に、山南は頷いた。


山南「貴方はきっと、守るものがあればある程強くなります。貴方の剣は、人を守る剣です。貴方の剣で、浪士組を守ってもらいたいのです」


名前は、大きく目を見開いた。
人を守る剣。
それは、名前が理想としていた自分そのものだったからである。

浪士組の、剣と盾。
対照的な言葉だが、それが自分達が一番力を発揮出来る在り方であることを、名前も沖田もよく分かっていた。


山南「そして時には、浪士組の局長たる近藤さんが望まないものも ─── 君達の剣で、斬り捨ててもらうことになる。……そう思います」


"望まないもの" ─── 。
その言葉に名前の頭には何故か芹沢の顔が過ぎってしまい、まさかとその思考を振り切る。

山南の冷徹な声に、不穏な予感が拭いきれない名前なのであった……。

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