1
文久三年 八月二日。
相も変わらず相撲の興行と日中の隊務、佐伯の捜索に明け暮れる中、遂に事件が起こった。
土方「隊士の佐々木が、女と一緒に朱雀の千本通りで殺された。下手人は、羅刹になった佐伯と思われる」
今朝早く、隊士の一人である佐々木愛次郎が恋人のあぐりと共に死体で発見された。
その報告に、幹部達の間にはどよめきが走った。
藤堂「証拠はあるのか?」
山南「近在の者が獣のような声を聞いたと噂しています。しかも遺体にはほとんど血が残っていなかったようです」
永倉「血を啜ったってのか、異常だぜ……」
綱道が言っていた、『羅刹は人の生き血を好む』というのが最悪の形で証明されてしまった。
最早人間とは呼べぬ所業に、皆が息を飲んで眉を顰める。
斎藤「佐々木は娘を庇うようにして倒れていたそうだ」
原田「……守ったんだな、女を。最後の最後まで……」
胸が痛くなり、名前は思わず視線を畳に移す。
皆も悲痛な表情を浮かべていた。
土方「一刻も早く佐伯を見つけ出し、始末しなきゃならねえ」
近藤「今晩からは手分けして市中で探索に当たってもらう」
山南「永倉君、原田君は下京を。藤堂君、井上さんは中京を。沖田君と名前は河原町をお願いします」
河原町……。
名前と沖田は顔を見合わせた。
沖田「河原町って長州藩邸がある所でしょう?そんな危険な所に行かせるんですか?」
河原町には浪士組と敵対している長州藩邸がある。
沖田の口ぶりからして怖がってる訳ではなさそうだが、確かに一番危険な場所なのである。
山南「……危険だからこそ、貴方達にお願いするんですよ。羅刹を見つけたら必ず殺してください」
沖田「わかりました、もちろんですよ」
名前「……承知しました」
沖田はともかく、山南は何故名前を危険な場所に行かせる気になったのか。
疑問を抱かなかった訳ではないが断る理由もなく、名前は深く頭を下げて了承したのであった。
沖田「やれやれ、またさらに忙しくなるね」
解散して部屋から出るなり、沖田は普段通りの飄々とした口調でそう言った。
名前「それにしても、これだけ探してもまだ見つからないなんて……しかも、私達の見回りをすり抜けて事に及ぶなんてね。案外理性が残ってるのかも」
沖田「うん。だけど前みたいに理性を失ったあれを相手にするよりはマシかな」
連日の捜索で幹部達に疲れが見えているとはいえ、全員が目を光らせて捜索をしている。
それを掻い潜るとは、それだけ頭が働いているということだ。
沖田「名前。捜索の時は、絶対僕よりも前に出ないで」
名前「うん、分かってるよ。絶対足引っ張らないようにするから」
沖田「……そうじゃない。そうじゃないよ」
ガシッと大きな手が名前の華奢な手首を掴む。
名前が驚いて足を止めて振り返れば、沖田の顔が目に入った。
沖田「……心配なんだ、君が」
それは、今にも消えてしまいそうな表情で。
揺れる淡萌黄に、名前は思わず息を飲んだ。
名前「……総ちゃ、」
沖田「君は、強がりだから。大丈夫だって笑いながら、君は絶対に皆について行く。どんなに怖くても、どんなに疲れていても、それを隠して何処までもついて行く。……そんな君を見てると、不安になるんだ。いつか君が、酷い怪我を負うんじゃないかって」
名前「……」
沖田「君は浪士組である前に女の子で、僕の大切な親友なんだよ。だから、」
沖田が言い終える前に、名前は彼の体を抱きしめた。
よく知っている互いの香りが、互いの鼻を掠め合う。
名前「……ごめん。心配かけてごめんね、総ちゃん」
沖田「……名前」
以前にも沖田は、自分よりも先に死ぬなと名前に言っていた。
京に来てから沖田の心が些か不安定になっているような節があったが、今の彼の言葉で名前はそれを確信する。
血に塗れる事も厭わず、全ては近藤達の為にとひたすら進み続ける名前を見て、沖田は不安に思っていたのかもしれない。
いつか名前が、死んでしまうのではないのかと。
名前「……皆の足を引っ張らないようにしなきゃって、必死だったのかも。だから、突っ走らないようにちゃんと気をつける。総ちゃんを不安にさせないように気をつけるから」
沖田「……うん」
沖田に、孤独を感じさせてはいけない。
そうしなければきっと、昔のように沖田は心を閉ざしてしまうから。
それだけは、何としてでも避けなければならない。
名前「夜の捜索、ちゃんと気をつけるから。一緒に頑張ろう」
沖田「……うん」
沖田の淡萌黄の瞳がゆっくりと閉じられて、名前の小さな体をぎゅっと抱き締める。
彼女を解放した時には、既に普段の沖田に戻っていた。
沖田「名前、これから巡察だよね?」
名前「うん、今日は左之さんの所に参加してくる」
沖田「そっか。気をつけてね」
名前「うん、ありがとう!行ってくるね」
ひらひらと互いに手を振りながら、その場を去っていく。
その去り際、名前はちらりと一瞬沖田の顔を窺ったが、先程のような消えてしまいそうな儚さは無い。
それに安堵した名前は浅葱色を身に纏い、巡察へと向かうのであった。
<< >>
目次