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小寅とお鹿を呼んでほしいと山崎が店の主人に告げたところ、初めは断られた。
当然だ、二人は髪を切られて店に出られなくなってしまったのだから。
しかし客ではないと告げて何とか名前と山崎が頼み込むと、主人は渋々といった様子で了承してくれたのであった。
名前が山崎と共に案内された部屋に入れば、二人の女性が頭を下げて待っていた。
その髪には、かつてあったであろう豪華な芸妓の髷の面影は一切無くなってしまっている。
名前が先に名を名乗り、浪士組の者だと告げれば、二人は名乗るのも忘れて顔を真っ青にした。
そして、「どうか命だけは」と涙ながらに名前に訴えてくる。
恐らく、名前は芹沢に遣わされた者だと勘違いをしているのだろう。
これが、芹沢が二人に与えた恐怖なのだ。、
それは名前の胸を酷く締め付けた。
名前は刀を床に置いて自分に敵意が無いことを示し、床に額をつける勢いで頭を下げた。
名前「この度は、浪士組の芹沢筆頭局長が乱暴を働き、大変申し訳ございませんでした」
小寅とお鹿よりもさらに深く頭を下げた名前を見て、二人は目を丸くしている。
名前「芹沢がお二人の人生を奪ってしまったこと、深くお詫び申し上げます。つきましてはお二人にお渡ししたい物があり、参上した次第にございます」
そう言って名前が懐から取り出したのは、帛紗に包まれた金子。
それは、数日前に浪士組の隊士達に支給された給金であった。
名前「端金ではございますが、私の全財産です。少しでもお役に立てればと存じます。お金などでは替えのきかないものであるとは百も承知にございますが、お恥ずかしながら私にはこれが精一杯なのです。来月の給金が入りましたらまたお持ち致しますので、それまではこれでどうかご容赦願います」
小寅「まあ……」
小寅とお鹿は驚きのあまり、目を見開いていた。
明らかに男装をした女子とはいえ、武士のような格好をした者が頭を下げて金まで渡してきたのである。
それも、自分が犯した過ちではないというのに。
驚くのも無理はないだろう。
小寅「……一つ、お聞きしてもよろしおすか」
名前「はい」
小寅「……これは、浪士組の皆はんのお気遣いいう事やろか」
名前「いえ、私の独断の行動です」
小寅「ほんなら尚更……なんでここまでしてくれはるんどすか?あんさんはあの時、居らへんかったのに……」
小寅の声は震えていた。
武士に髪を切られてしまったのだから、武士を恐れるのは当然である。
名前が何を考えているのか読めず、それを探ろうとしているのだ。
名前「……私は、」
名前は静かに顔を上げて、二人を見据えた。
名前「私は、人には誰にでも幸せになる権利があると思っています。男だろうが女だろうが、この世に生まれたからには誰でも幸せになってほしいと思っています。ですが私たちは、お二人の人生を奪ってしまいました。人の人生を奪う罪は非常に重いものです。ただの主我だと言われればそれまでですが、これは私なりの償いなのです。ですから、どうか受け取っていただきたく存じます」
しんと静まり返った空間に、名前の強かな声と言葉が響く。
言い終えるなり、名前は再び深く頭を下げた。
小寅「……分かりました。せやけど、このお金は受け取れまへん」
名前「……そう、ですか」
名前とてよく分かっている。
こんな端金では取り返しのつかないことであるくらい。
芸妓達には自分が金で解決しようとしている人間だと思われても仕方の無いことだと、腹を括ってここまで来たのだ。
受け取って貰えないことなど、想定内であった。
やはり駄目か、と名前は唇を噛み締めた。
小寅「どうか頭をお上げください」
名前はゆっくりと顔を上げる。
しかし待っていたのは予想外の光景で、名前は目を見開いた。
小寅「……すんまへん。うちらの事をそこまで思うてくだはるお方、今まで出会った事なかったさかい、嬉しゅうて……」
小寅とお鹿の顔からは、恐怖の色は完全に消え去っていた。
そして、泣き笑いのような笑みを浮かべていたのである。
お鹿「うちら、小さい頃に此処に売られてきたさかい……あんさんのように、うちらの事をそこまで考えてくだはるお方、初めてなんどす」
名前「……そう、でしたか。それでも、受け取っていただけませんか」
小寅とお鹿は顔を見合わせると、優しげな笑みを浮かべた。
小寅「……実はうちら、身請けして頂けることになっとるんどす」
名前「えっ……!?」
お鹿「ほんの数日前の話どす。小寅はんは町人のお方に嫁ぐ事になりました。ほんでうちは、浪士組の永倉はん言うお方に、縁組のお話を紹介して頂いたんどす」
名前「新八さんに……!?」
名前は驚きで目を見開いた。
まさか髪を切られた芸妓を引き取りたいという者がいるとは思わなかったのである。
しかも、永倉がそこに関わっていたとは。
名前「……そう、だったのですね。よかったぁ……」
彼女達の人生は、道を絶たれた訳ではなかったらしい。
むしろ、これからだと言っても過言ではないだろう。
名前が嬉しさのあまり山崎の方を見れば、山崎も小さな笑みを浮かべて名前の方を見ていた。
名前は安堵の笑みを浮かべながら、もう一度二人に向き直る。
名前「でしたら……どうか、お幸せになってください。お二人の心の広さを、私は一生忘れません」
小寅「うちらも、あんさんの事は決して忘れまへん。あんさんのように心の美しいお方……。本当に嬉しおす」
お鹿「ほんまに、うちらのためにありがとうございました」
初めは恐怖と緊張に包まれていた空間。
しかし名前と山崎が去る頃にはその空気はすっかりと消え去り、幸せに包まれていたのである。
******
名前「すみません、最後まで付き合って頂いて……」
山崎「いえ、構いませんよ」
吉田屋を出た名前と山崎は、その足で大坂相撲の親方の元へと向かっていた。
しかし、話題は自然と先程の名前の行動についてになる。
山崎は、先程の名前の行動を思い出しながら口を開いた。
山崎「まさか、ご自分の給金を差し出すとは思ってもいませんでした」
名前「……私に何か出来ることがないか、考えたんです。そうしたらこれしか思い浮かばなくて。それに新八さんに一歩越されちゃったてたみたいでしたし」
山崎「ですが、あの二人からすれば近藤さんの思いは相当嬉しかったかと」
名前「そうだったら嬉しいですね」
山崎の隣を、のんびりとした足取りで歩く名前。
その足は来る時よりも軽やかである。
山崎は、名前が斎藤と共に商家と関わりを持つための交渉に出向いた時から、彼女に一目置いていた。
若いのに目上の者に対して臆さない態度。
決して刃向かうような事はせず、しかし言いなりになる訳ではなく自分の意見をしっかりと言う。
そして、自分で考えて誰も思いつかぬような行動を起こしてしまうその発想と行動力。
それらは全て、彼女の優しさからくる行動なのだろうと山崎は思う。
山崎「……副長が、何故貴方を傍に置きたがるのかよく分かりました」
名前「えっ、土方さんが?やだなぁ、置きたがるだなんてそんな大層な。もう、土方さんの私の扱いはそりゃあ酷いんですから!この間なんて ─── 」
名前はムスッとした顔で、自分がいかに土方に扱き使われているのかを話し出す。
山崎は土方を尊敬して止まないのだが、何故か名前の愚痴は聞いていても嫌な気分にはならない。
山崎も名前と土方の間には強い信頼関係がある事はしっかりと分かっており、まるで小さな兄弟喧嘩を見ているような、穏やかな気分になるのである。
名前「そういえば山崎さんってお幾つなんですか?左之さんくらい?」
山崎「今年で三十ですが」
名前「へえ、三十……三十!!?」
山崎を二度見する名前。
まさか山崎が、土方や近藤よりも歳上だったとは思わなかったのである。
名前「……歳よりも若く見えるって言われません?」
山崎「よく言われます。俺としては、もう少し年相応の威厳のある顔立ちになりたいのですが……」
名前の言葉に山崎は苦笑いしながら答えた。
しかしそれならば、名前としては山崎に敬語を使われるのは何だかむず痒い。
名前「それなら、私なんかに敬語なんて使わないでください。何だか変な感じがしますし」
山崎「しかし、それは流石に……貴方は副長補佐なのですから」
名前「いやいや、私なんてただの使いっ走りでしかないですから!名前も呼び捨てで構いません!」
さあどうぞ!とばかりに両手を広げて頷く名前。
それを見た山崎は困ったような顔になった。
山崎「……で、では……近藤、くん……?」
兄の近藤と紛らわしいような気もするが、山崎からしてみればかなりの妥協案であった。
忠誠心の強い山崎は、組織内での役職を重んじる人物なのである。
名前としては名前で呼んでほしいところでもあったが、山崎が相当妥協しているのは伝わったらしい。
名前「はい!それで大丈夫です!」
山崎「そ、そうか……」
笑顔で大きく頷いた名前を見て、山崎は僅かに表情を緩めた。
名前もふわっと穏やかな笑みを浮かべる。
名前「よーし!急いで親方さんの所に参りましょう!」
山崎「……ああ」
軽やかな足取りで進む名前の背中を、山崎は穏やかな気持ちで見つめていたのだった。
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