銀桜録 黎明録篇 | ナノ


2

それから数日後のことである。


名前「すみません、お待たせしました!」


ばたばたと慌てたように玄関に現れた名前は、軽い旅支度をしていた。
それを待っていたのは山崎である。


山崎「いえ、今日はそれ程急ぎではありませんので」

名前「そうですか!?ああ、よかった!」


名前は、ほっと安堵の息を吐きながら雪駄を履いた。
そして「早く行きましょう」と山崎の手を引きながら、せかせかと八木邸を出る。


山崎「それ程焦らずとも大坂は逃げませんよ」

名前「それは分かってますけど、土方さんに見つかったら面倒ですし」


山崎と名前の行先は大坂である。
しかし二人の目的は別だ。

山崎はここ数日は毎日のように大坂と京を行き来している。
相撲の合併興行の為だ。
それは今日も例外ではなかったようで、名前はある目的を果たす為に非番を利用して同行させてもらったのである。


山崎「……本当に良いのですか、副長に無断で出てくるなど……」

名前「私は今日は非番なので大丈夫ですよ、私も子供じゃないですから一日居なくても気にしないと思いますし。それに、兄様にはちゃんと理由も言ってありますから大丈夫です」

山崎「は、はぁ……そういうものですか」

名前「そういうもんです」


些か山崎は不安気だ。
しかし名前は、山崎に迷惑をかけるつもりなど毛頭ない。
あくまでも大坂までは山崎と共に行くだけで、そこから先は一人で行動するつもりだ。
大坂と京は日帰りが可能な距離だが、やはり女が一人で歩くには不安がある。
そこで山崎に同行させてもらうことにしたというわけだ。


名前「よーし、早速大坂まで行きましょーっ!!」

山崎「近藤さん、あまり走ると転びますよ」

名前「……山崎さんって、時々土方さんみたいな事言いますよね」

山崎「そうでしょうか」


並ぶとそれ程身長差の無い二人は、肩を並べて大坂までの長い道のりを歩き始めたのであった。


******


山崎「 ─── この店です」


到着したのは、例の吉田屋である。
名前はゴクリと唾を飲み込んで、その豪華な建物を見上げた。

名前は、芹沢に髪を切られた芸妓二人に会いに来たのである。
しかし名前の心臓は、バクバクと暴れていた。
例によって手首には、あのまとわりつくような縄の感覚が蘇ってきている。
ああ、今すぐにでも逃げ出したい。


名前「……すみません、ここまで案内して下さってありがとうございました。ここからは私一人で大丈夫ですので、失礼します」


だが逃げ出す訳にはいかない、自分で決めた事なのだから。

……しかし。
ではまた後で、と頭を下げて店に入ろうとした名前の手は、ガシッと掴まれた。


名前「……山崎さん?」

山崎「俺も行きます」


名前は驚きで目を少し見開いた。


名前「……でも、」

山崎「俺の用事でしたら問題ありません、また刻限までは時間がありますので。……そんなに真っ青な貴方を、此処に一人置いて行くことはできません」


どうやら名前の様子は、傍目から見てもわかる程に異様だったらしい。
真っ青な顔で微かに体が震えている少女を、正義感の強い山崎が置いていけるわけがなかったのである。


山崎「例の芸妓に何か用があるのでしょう?俺が話をつけて呼んでもらいますから、貴方はついて来てください」


名前は山崎に、具体的な目的は教えていない。
ただ、「吉田屋に連れて行ってほしい」とだけ伝えていた。
しかし山崎からすれば、名前が吉田屋に行こうとする目的にはそれとなく気づいていたようだ。


名前「……すみません、ありがとうございます」


結局山崎の申し出に甘えることになってしまった。
己の情けなさに溜息が零れそうになったが、ひとまず気持ちを切り替え、名前は気を引き締めて山崎の後をついて行ったのである。

<< >>

目次
戻る
top
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -