銀桜録 黎明録篇 | ナノ


1

文久三年 七月某日。

合併興行の準備が着々と進む中、芹沢を始めとした数名が大坂へ出張した。
目的は幕府の要人警護の為である。
だが佐伯の捜索もある以上幹部全員が出向くわけにもいかず、山南と藤堂、原田、そして名前が京に残ることとなった。


名前「ふあ……」


人手が足りない分、名前は普段よりも多く巡察に参加していた。
しかし、日中の隊務の後に幹部四人で夜通し佐伯の捜索をこなすのはなかなか厳しい。
流石の名前も欠伸が止まらない。

確か土方達が帰ってくるのは明日の筈。
もう一日の辛抱だ。
顔でも洗って来ようと名前は庭へ向かう。


山崎「 ─── 近藤さん!!」


顔を洗っていると、山崎の声によく似た声が聞こえた。
しかし山崎は土方達と共に大坂へ行っているはずだ。
そして出張には近藤も同行しているはずだが…。


山崎「近藤さん!!」

名前「うわっ!?」


疑問に思いながらも顔を拭いていると、ガシッと肩を掴まれる。
慌てて其方を向けば、息を切らした山崎が居た。
そこでようやく、"近藤" とは自分の事だったのかと名前は気づく。
慣れない呼び方をされると反応できないものである。


名前「私ですか!?」

山崎「貴方以外に、いないでしょうっ……」

名前「ごっ、ごめんなさい!ああびっくりした、どうなさったんですか!?というか、帰ってくるのって明日じゃ、」

山崎「山南さんは、何処です!?」


何やら山崎は酷く焦っている様子である。
相当急いで来たようで、ゼェゼェと息を切らしていた。


名前「山南さんなら今は巡察ですけど…」

山崎「っ、そうですか……ならば貴方にこれを、」

名前「……?これ、一君から?」


軽く噎せている山崎から手渡されたのは、一通の文であった。
宛名は山南宛、差出人は斎藤一と書かれている。
その文に目を通していくうちに、名前の目は徐々に見開かれていった。


名前「なっ……芹沢さんが、芸妓さんの断髪を!?」


驚きで目を見開く名前に、山崎がゆっくりと頷いた。

文の内容を要約すれば、芹沢がとある店で二人の芸妓の断髪を行ったという内容であった。
芹沢に肌を許さなかった芸妓に対して、芹沢が腹を立てたらしい。
芹沢が土方に命令し、芸妓の髪を切らせたのだという。


名前「……っ、」


怒りで拳が震えた。

芸妓は体ではなく芸を売っている。
芸妓が「肌を許さなかった」など当然の事なのだ、吉原ではないのだから。
それを自分の思い通りにならないからと、髪を切らせたとは。

髪を切られたら、芸妓は御座敷に上がることはできなくなる。
客を取れなくなった芸妓は店を追い出されてもおかしくはない。
居場所を失った彼女達は、生きていくのも困難になる。
女にとって、芸妓にとって、髪は命に等しいのだ。


山崎「……近藤さん」


自分がここで怒りを露わにしても何も変わらない。
山崎は事の重大さを知らせる為に急いで戻ってきてくれたのだ。
名前は深呼吸をして何とか怒りを鎮めた。


名前「……すみません。山南さんが戻ったら伝えておきます」

山崎「よろしくお願いいたします。では、俺はこれで」


恐らく大坂へ戻るのだろう。
山崎は名前に一礼をすると、キビキビとした足取りでその場から去っていった。

残された名前は再び文に視線を落とす。
手元に残ったのは、己の無力を恨むやるせなさであった。


******


数日後。
井吹が前川邸で食器を洗っていると、「龍之介」と小声で自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


井吹「…?ああ、あんたか。どうかしたのか」

名前「ちょ、静かに!」

井吹「は、はあ…?」


人差し指を口に当てて、声を潜める名前。
井吹が困惑した表情を浮かべると、名前はきょろきょろと周りに人の気配が無いか気にしながら口を開いた。


名前「ちょっとね、聞きたいことがあって」

井吹「ああ、別に構わないが……なんでそんなにこそこそしてるんだ?」

名前「ちょっと訳ありなの。…あ、それで本題なんだけどね。この間芹沢さんが断髪を命じた芸妓さんの名前と店ってわかる?」

井吹「芸妓の名前と店……?」


なんでそんなことを聞くんだと疑問に思った井吹だが、とりあえずあの晩のことを思い出してみる。
正直井吹にとっては思い出したくもない光景だったが…。


井吹「店は吉田屋って場所だったな。芸妓の名前は…確か小寅と…」

名前「吉田屋の小寅さん?」

井吹「ああ、それともう一人いたんだよ。何て言ってたかな……ああ、思い出した!確かお鹿だよ、お鹿!」

名前「小寅さんと、お鹿さんね。わかった、ありがとう!助かった!」


名前はバシバシと井吹の背中を叩きながら礼を言うと、瞬く間にその場から去って行ってしまった。
まるで嵐のような勢いである。


井吹「……なんだったんだ?」


今の名前は明らかに不自然だ。
しかし最近の名前は仕事が忙しいのか神出鬼没で、探そうと思ってもなかなか見つけられない。
そのため井吹は後を追うことはせず、食器洗いに専念することにしたのである。

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