銀桜録 黎明録篇 | ナノ


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やはり予想通り、不逞浪士の首を市中で晒してから浪士組の評判はますます落ちた。
巡察の度に「壬生狼だ」、「壬生狼が来た」と陰口を叩かれるのである。

藤堂や平隊士達は相当気落ちしているようで、屋敷内の空気はあまり良いものではない。
一方で名前はというと、いつもの如く全く気にしていないので、全くもって普段通りである。


名前「……あっ、一君!おはよう」

斎藤「あんたか。おはよう」


名前がひらひらと手を振りながら駆け寄れば、斎藤も小さな笑みを浮べて挨拶をした。


名前「何処かに行くの?」

斎藤「いや、井吹の所だ」

名前「あっ、稽古か。ねえ、私も参加していい?」

斎藤「それは構わんが……副長の仕事を手伝わなくても良いのか?」

名前「それがさぁ、聞いてよ!土方さんってば酷いんだよ!」


笑顔を浮かべていた名前は、途端に眉を顰めて怒ったような表情になる。
くるくると変わる彼女の表情はまるで百面相のようで、斎藤も見ていて飽きない。


名前「今日ね、この間の大坂相撲の親方さんが来るんだって」

斎藤「…大坂相撲?何故…」

名前「あっ、それはこの間謝りに行った時の話なんだけどね?和解の証って事で、浪士組が仕切る形での相撲興行をしないかって話になったんだ。まだ確定じゃないから公表はされてないんだけどね」

斎藤「……成程」

名前「だから多分、その話をしに来るんだと思う。でね、『じゃあ話し合いには私も控えてましょうか』って聞いたら、土方さん何て答えたと思う?」

斎藤「……いや、分からぬな」


斎藤が首を横に振ると、名前はプクッと河豚のように頬をふくらませた。


名前「『お前は今日一日何処かに行ってろ。大事な話し合いの最中に自分の袴の裾でも踏んづけて目の前ですっ転びでもされたら、たまったもんじゃねえからな』だって!酷くない!?私、流石にそこまで鈍臭くないんだけど!?」


予想外の内容に、斎藤は思わず小さな笑いを零した。
おまけに名前は土方の口調を真似ているらしく、しかもそれが絶妙に上手い。
それがまた斎藤の笑壺を刺激していた。

一方で名前は、ぷりぷりと怒っている。


名前「ああ、思い出したらまた腹が立ってきた!今日の夕餉のお味噌汁、土方さんの分だけ七味入れてやろうか」

斎藤「それはよせ」

名前「わっ、ごめんって!やらないから怒らないで!」


そんな他愛もない会話をしながら、二人は井吹の部屋へと向かう。


名前「おはよう龍之介!一緒に稽古に、」


スパーンッと爽快に障子戸を開けた名前であったが、途中で言葉を切った。
その隣にいた斎藤も、目を見開いている。


斎藤「これは……一体、何をしていたのだ?」


井吹は既に起きていた。
しかし、その部屋の中はなかなかの惨状であった。
書き損じの紙が部屋の床を埋め尽くしており、井吹自身も顔やら手やらが墨で汚れていたのである。


井吹「『眠れなかったから、絵を描いてた』って答えたら、信じるか?」

名前「……絵を?龍之介が?」


名前が不思議そうに首を傾げる一方で、斎藤は怪訝そうな顔をしながら畳の上の絵を一枚拾い上げる。


斎藤「これは……あの時の浪士か?」

名前「わっ、凄い!上手だね」


紙には殴り書きのような乱雑な絵が描かれていた。
しかしそれが寧ろ味を出していて、思わず見入ってしまうような絵であった。
描かれた人物は狂気的な笑みを浮かべており、しかしその瞳からは何故か物悲しさを感じるような、不思議な絵である。
一目で、数日前に殺した羅刹だとわかるものであった。


井吹「……あれ、わかったのか?ってことは……少なくとも、何を描いたのかわからないほど下手糞ってわけじゃないんだな」


井吹が乾いた笑いを浮かべると、斎藤の表情が目に見えて冷たくなった。


斎藤「……こんなものを描いて、どうするつもりだ。瓦版屋にでも売りつけて、浪士組の内部事情を暴露しようというのか」

井吹「……別に、そんなつもりはないさ。どの絵も納得できる代物じゃないから、人目に晒すつもりなんてないしな。ただ、何ていうか……実験台になって殺されたあの浪士のことを、俺くらいは覚えててやってもいいんじゃないかって思ってよ」

斎藤「……」


斎藤の問いに対して、意外にも井吹は淡々として答えた。


井吹「……安心しろよ。この絵は、後でちゃん焼き捨てるから」


名前がこっそり斎藤を見上げると、彼はじっと井吹の顔を見つめている。
恐らく井吹の言葉に偽りが無いか、見定めているのだろう。


斎藤「……もうすぐ稽古の時間だ」


どうやら特に問題は無いと判断したらしい。
斎藤はあっさりとそう告げて、さっさと歩いて行ってしまった。
しかし名前は斎藤を追いかけず、その場に残っていた。


名前「凄いね、龍之介!絵が得意だったんだね!全然知らなかった!!」


興奮したように表情を明るくして詰め寄る名前に、井吹は困り果てたような顔になった。


井吹「得意っていうか……昔、絵を描く事が好きだったんだ。それを思い出したら無性に描きたくなってさ」

名前「へえ、そうだったんだ!なんだか意外かも。だけど凄く上手だと思うよ、惹き付けられる感じがする。自信持ちなよ!」

井吹「……まあ、少なくとも剣術よりかは得意だな」


井吹も多少の自覚はあるらしい。
彼の言葉に、名前はくすくすと笑った。


名前「よし、じゃあ一君を待たせるわけにもいかないし、稽古に行こうか!私も片付け手伝おうか?」

井吹「いや、いいよ。あんたは先に行っててくれ」

名前「そう?じゃあお先に」


井吹が散らばった紙を片付け始めるのを横目に、名前は壬生寺へと向かうのであった。

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