銀桜録 黎明録篇 | ナノ


3

その日の夕餉の後。

名前が壬生寺へ向かえば、約束通り斎藤はそこで待っていた。
すぐ近くには巻藁が置かれている。
薄暗い中で、蒼色がゆっくりと名前を捉えた。


斎藤「……やめるのならば今のうちだ」

名前「ううん、やめないよ。よろしくお願いします」

斎藤「……そうか」


名前の瞳に現れているのは僅かな恐怖心と、そして大きな覚悟の色である。
斎藤は静かに目を伏せると、名前に刀を抜くよう指示した。


斎藤「……初太刀で首を落とすには延髄と頸動脈を切断する必要がある。その為には首の骨の関節を斬る、首の皮一枚を残すなどいくつかの作法が存在する。が、後者は達人の業である故、関節を斬る方が現実的だろう」


斎藤は名前の背後に立つと、刀を持つ彼女の手に自分の手を重ねた。
名前の体に据え物斬りの斬り方を覚えさせるためである。

闇夜の中で白刃が月光に煌めき、スパッと巻藁が真っ二つになった。


斎藤「……動きはこうだ。介錯人ですら本番前には練習を繰り返してから臨むという。あとは練習あるのみだ」

名前「うん。ありがとう」

斎藤「……次は、あんたが一人でやってみろ」


名前は斎藤に指示された通りにもう一度刀を構えた。
しかし ─── 。


斎藤「……怖いのか」

名前「……っ、」

斎藤「……その手では刀など振るえまい。一旦下ろせ」

名前「……っ、ごめんなさい……」


構えられた刀は、カタカタと僅かに震えていた。
斎藤が気付かぬ筈がない。
名前は刀を下ろすと、小さく息を吐いた。
やはり普段とは心持ちが異なり、負荷が掛かっているのだろう。

浪士組は不逞浪士を見つけた際、まず何よりも捕縛を優先する。
浪士組が刀を抜くのは、抵抗する不逞浪士に応戦する場合だけだ。

しかし不運なことに、彼女が刀を交えるのは不逞浪士ではなく羅刹ばかり。
名前の刀が斬るのは何故か羅刹ばかりなのだ。
現段階で羅刹を止める方法は殺害以外には無い。
そして名前自身も、今後も羅刹を斬る覚悟をしているのだろう。
名前が相手が苦しまない斬り方を学びたいと思ってしまうのは必然だったのかもしれない。
それでも、相当の勇気を必要とする筈だ。


名前「……ごめん、もう大丈夫。もう一度お願いします」


何度か深呼吸をした名前は、再び斎藤に頭を下げて刀を握り直した。
その刀はもう震えていない。
名前はこの数ヶ月でかなり成長している。
精神統一や気持ちの切り替えが上手くなっているのは、斎藤の目から見ても明らかであった。

手に力を込め、先程のように白刃が空間を切り裂く。
見事真っ二つとなりバサリと落ちた巻藁だが、切り口はかなり歪だ。


斎藤「……角度の問題だろう。斬る直前で止めてみろ」

名前「はい」


斎藤が名前の寸止めされた刀の角度を細かく調整する。
しかし、その作業を何度か続けていた時であった。


井吹「 ─── 斎藤!名前!すまない、ちょっといいか!?」


切羽詰まった様子の井吹が駆け寄って来た。
何やら急ぎの用があるらしい。


斎藤「如何した」

井吹「実はさ、新見さんの部屋に縄で縛られて閉じ込められている男がいるんだ。それで話を聞いたら芹沢さんに無理やり連れて来られたみたいで、助けてほしいと頼まれたんだが……俺一人の判断じゃどうにも出来ないんだが」


新見の部屋に閉じ込められている男、という時点で何やら怪しい匂いがするが…。
井吹の説明を聞いても、斎藤は眉を顰めるばかりであった。


斎藤「……あんたは、何を言っているのだ。そんなものは、助かりたいからでたらめを言っているだけに決まっているだろう」

井吹「だが…話だけでも聞いてやった方がいいんじゃないのか?」


井吹の言葉に、斎藤と名前は顔を見合わせる。
結局二人は井吹の頼みを了承した。
そして、新見の部屋へと向かったのであるが ─── 。


名前「……あれ?彼処、新見さんの部屋だよね?障子戸が開いてる……」

井吹「えっ?おかしいな、障子戸なら閉めたはずなんだが……」

斎藤「……名前、井吹。俺の後ろに下がれ」


何かを察した斎藤が、念の為二人を部屋から遠ざける。
そして斎藤が部屋へ入れば、そこには誰も居なかった。
扉が開きっぱなしの押入れ付近に落ちているのは、解かれたらしい縄であった。


斎藤「……逃げたようだ」

名前「えっ!?」


廊下から様子を窺っていた名前は、斎藤の言葉に思わず声を上げた。
すると、井吹がサッと青冷める。


井吹「す、すまない!俺が押入れの扉の鍵を閉め忘れたのかもしれない……」

斎藤「悔いても仕方あるまい、探すぞ。名前、あんたは井吹と前川邸付近を捜索してくれ。俺は八木邸付近を探す」

名前「わかった。龍之介、行こう!」

井吹「あ、ああ!」


こうして三人は二手に別れて、逃亡した浪士を探すことになったのであった。

名前と井吹はまず、部屋から一番近い庭を探す事にした。
井吹が部屋を離れてからそう時間は経っていないため、まだ近くにいるのではないかと予想したのだ。
そして二人で庭を捜索していると、突然ガサッと不自然な茂みの擦れの音が聞こえた。


名前「っ誰!?今すぐ出てきて!!」


井吹を腕で後ろに押しやり、名前は瞬時に刀を構える。
すると次の瞬間、


「うおおおぉぉぉっ!!!」

名前「っ!!」

井吹「名前っ!!」


茂みから見知らぬ男が姿を現したかと思うと、名前達に向かって刀を振り上げながら襲いかかってきたのである。

だが不意の襲撃とはいえ、普段から斎藤や沖田などの強者達と稽古をしている名前からすれば、その攻撃は遅いものであった。
名前は得意とする『月波剣』で男の刀をいとも簡単に受け流し、さらには男の腕を斬りつける。
男の腕に深手を負わせた感触が、名前にはあった。

怪我を負った浪士は瞬時に名前達から距離を取る。
しかし刀を構え直すでも逃げるでもなく、ただじっと己の腕に滴る血を見つめていた。


名前「……?」


何かがおかしい。
浪士が己の血を見る表情は、恍惚としたものに変わっていく。
あの様子は、まさか。


名前「龍之介、一君を呼んできて!!」


名前が叫ぶように告げた瞬間、


「血……血だぁ……ひゃははははっ!!!」


みるみるうちに白く染まっていく髪と塞がる腕の傷、そしてギラギラと怪しい光を放つ赤い瞳。
羅刹だ。
どうやら既に薬を飲まされた後だったらしい。


名前「龍之介!!行って!!」

井吹「わ、わかった!!絶対死ぬなよ!!」

名前「当然!!」


名前が羅刹の注意を引き付けている間に、井吹は急いで八木邸にいる斎藤の元へと駆けていく。

その場に残された名前は、ひたすら羅刹の攻撃を避けていた。
どうやら羅刹の身体能力には個人差があるらしく、以前戦った羅刹よりも格段に動きが速いのである。
羅刹になると戦闘能力が爆発的に向上するというが、恐らく元の身体能力が高ければ高いほど強い羅刹が生まれるのかもしれない。

弱点である首や心臓を狙う余裕などなく、攻撃を避ける事しかできない程に羅刹の動きは速かった。
しかし、羅刹と戦うには庭は狭すぎる。
いつの間にか名前は壁と羅刹の間に挟まれて追い詰められていた。

羅刹との鍔迫り合いは、どうしても名前が避けなければならないことであった。
腕力が増大した羅刹の斬撃を刀で受け止めれば、男よりも腕力に劣る名前では一溜りもない。
しかし追い詰められたこの状況で生き残るには、真っ向勝負をするしか道は残されていなかった。


「ぐわあああああっ!!!」

名前「っ!!」


覚悟を決めて、刀を握る手に力を込めた。
しかし、その時である。

─── ヒュンッ……!!

電光一閃、白い刃が煌めいた。
同時に名前の視界は紺色で埋め尽くされる。


名前「……っ!!一君!!」

斎藤「すまぬ、遅くなった」


駆けつけた斎藤が間一髪で名前と羅刹の間に割り込み、羅刹に向けて一閃を見舞ったのである。

しかし羅刹の動体視力と身体能力は凄まじく、斎藤の攻撃は交わされてしまった。
斎藤も今までの羅刹よりも強さが増している事に気づいたようで、僅かに顔を顰めた。


斎藤「……名前」

名前「了解、援護するね!」

斎藤「すまぬ」


一瞬だけ会話を交わし、すぐさま斎藤が羅刹に斬りかかっていった。
だが羅刹の並外れた体力と敏捷さ故に、斎藤は得意の居合いを仕掛ける事ができない。

しかし、羅刹の注意は完全に斎藤へと向いていた。
隙を見計らい、名前は咄嗟に羅刹の背中目掛けて刀を振り下ろす。
すると、それと同時にもう一本の白刃が現れ、二本の太刀が羅刹を襲った。


名前「っ、龍之介!?」

井吹「人は多い方がいいだろっ!?」


羅刹の腕に振り下ろされたもう一本の刀の主は、いつの間にか戻ってきていた井吹であった。


「ぐぬああああっ……!!」


不意打ちで背中と腕に深い傷を負った羅刹は、一瞬動きが鈍る。
その一瞬の隙を突き、斎藤が羅刹の首めがけて鋭い居合いを放った。

誰もが確実に仕留めたと思った瞬間であった。
しかし ─── 。


井吹「なっ、……!!?」

名前「っ!!」


危機を察したらしい羅刹は咄嗟に体を逸らし、斎藤の攻撃を回避したのである。
恐ろしい程の反射神経だ。
『居合いならば、初太刀を外さなければ、ほぼ確実に相手を仕留めることができる』という斎藤の言葉を思い出したのか、井吹は絶望的な表情を浮かべていた。

一方で名前は即座に刀を構え直していた。
狙うは首だ。
先程斎藤から叩き込まれた角度に刃を傾けて、羅刹の首めがけて刀を振るう。
しかし、


斎藤「下がれ、名前!!」


突如響いた斎藤の声に、名前は脊髄反射で後ろへ飛び退いた。
反応出来たのは名前の反射神経故だろう。
それと同時に斎藤の刀が羅刹の心臓を貫き、その剣尖は背中にまで貫通した。

斎藤が居合いを躱されてから仕留めるまで、全ては一度瞬きをするのと同じくらいに短い時間で行われたものだった。


斎藤「……【居合いの大事は突くことにあり】という言葉が存在する。たとえ初太刀を躱されたとて、動揺してはならぬ。技量を持った使い手というのは、躱された瞬間にはもう既に、次どう打つかを考えているものだ」


斎藤が刀を引き抜けば、ドサッと羅刹の体が倒れる。
その瞬間に緊張から解放され、名前は全身からドッと汗が吹き出すのを感じていた。


斎藤「あんたらが隙を作ってくれたお陰で、この浪士を倒すことができた。……感謝する」


律儀に頭を下げて、二人に礼を告げる斎藤。
そんな彼を見て、名前は井吹と顔を見合わせる。
そして安堵の息を吐き、小さな笑みを浮かべたのであった。

その後、死体は斎藤と井吹が新見の部屋へと運び、名前は土方と山南へ報告に行った。

そして明け方近くになって、ようやく帰って来た芹沢と新見を土方が問いただした。
それによると、どうやら羅刹となった浪士は浪士組の名を騙って押し借りを働いていたらしい。
その不逞浪士を捕まえたのは確かに芹沢だったが、新見が芹沢に無断で変若水の実験体にしていたのだという。

結局新見は芹沢に厳しく叱責され、土方と山南からも厳重注意を受けた。
そして新見は仕方なく、今後は浪士を実験に使わないと約束したのであった。

そして芹沢の命令で、浪士の首を町中に晒す事になる。
首を晒す事で、浪士組を騙って押借りをすればどうなるか、見せしめにする魂胆なのだろう。
そんなことをすればますます評判が下がりそうだが、芹沢の命令に逆らえる者などいなかったのである。

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