銀桜録 黎明録篇 | ナノ


1

─── 数日後、近藤と土方は名前を連れて大坂へと向かった。
大坂相撲の力士への見舞いと謝罪の為である。

土方達の誠意ある謝罪により、無事に和解を果たした。
その和解の証として、浪士組が取り仕切る形での相撲興行の話が持ち上がった。
この調子ならば、今後大坂相撲の力士達とは良好な関係を続けられそうだ。
帰り道、喜びを露わにする近藤と土方を見て、名前にも嬉しさが募るのであった。

翌日、名前達は八木邸へ到着する。
しかし壬生寺の前を通って偶然視界に入った光景に、名前は驚きで目を見開いた。

なんと、井吹が斎藤に指導されながら剣術を学んでいたのである。
一体何があったのか聞かずにはいられず、名前は近藤達に断りを入れて、井吹と斎藤の元へと向かった。


名前「一君、龍之介!ただいま!」

井吹「あっ、名前」

斎藤「…帰ったのか」

名前「うん、ちょうど今帰ってきたところ!それより一体どうしたの?龍之介が剣術の稽古なんて…どういう風の吹き回し?」


名前の問いに、井吹は苦い顔を浮かべた。
どうやらあまり乗り気ではないらしい。


井吹「自分の身を守る術くらい覚えておけって斎藤がさ……」

名前「ああ、そうだったんだ!それは名案かも」

井吹「それよりも名前、あんたから何とか言ってくれよ!斎藤の稽古、厳しすぎるんだよ!いきなり素振り千本とか、出来るわけ無いだろ!?」


確かに井吹の剣術を見る斎藤の目はかなり厳しい。
井吹の刀を握る手や足運びはかなりぎこちないものであった。
おまけに斎藤の稽古は群を抜いて手厳しい、と隊士の中では有名になっている。
相変わらずの容赦の無さに、名前は思わず苦笑いを零した。


名前「いきなり千本、は……結構凄いね。一君、ぶっ通しでやるんじゃなくて、たまには休憩させてあげてね?」

井吹「いやそこじゃなくて!初心者に素振り千本は無茶すぎるだろ!」

名前「でも、一君に教われば絶対すぐに上達するよ。確かに厳しいけど凄くわかりやすいし。だからもう少し頑張ってみて!」

井吹「……」


名前も斎藤側の人間だと察したのだろう。
井吹は絶望に満ちた表情を浮かべると、「もうやってられるか!」と自棄になったように吐き捨てた。
そんな井吹を睨むのは斎藤である。


斎藤「一旦、稽古を受けると決めたからには基本を身につけてもらわねばならぬ」

井吹「基本だと…!?何言ってやがんだよ!だったら、あんたが右に刀を差してるのはどうなんだ!?」

名前「っ!?ちょ、ちょっと、龍之介…少し落ち着いて、」


まさか話がそこに飛躍するとは思わず、目に見えて名前は慌てた。
急いで井吹を宥めようとする名前であったが、それは斎藤によって止められた。


斎藤「俺の構えが右だろうと左だろうと、あんたの未熟さには何の関わりもあるまい」


井吹の指摘に動じる様子は一切見せず、斎藤は冷たい声で言い放つ。
何も言い返せないのが悔しいのか、井吹は刃引きした刀を地面に投げつけると、斎藤達に背を向けた。
カシャンッ、と地面に落ちた刀が無機質な音を立てる。


井吹「俺は、武士になりたいなんて思ったことは、ただの一度もない!どんなに食い詰めても、人を斬って名を上げる野蛮人になりたいなんて思わないからな!」

斎藤「……では、あんたは一体何になりたいというのだ。人が信ずる道を貶めたのだから、進むべき道はとうに見えているのだろうな?」


珍しく斎藤から怒りが迸っている。
それを敏感に感じ取った名前は二人の言い合いを止めるに止められず、黙り込んでしまった。
一方井吹も井吹で、斎藤の問いに答えられずに沈黙している。


斎藤「今まで生きてきて、本当にただの一度も『何かをしたい』と思ったことがないのか」

井吹「……っ、」


井吹は、困惑したような表情を浮かべていた。
斎藤の言葉が図星である事に気付いたのだろう。
井吹は一瞬苦しげな表情を浮かべると、その場から走り去っていってしまったのだった。


名前「……」


名前は何も言わずに、地面に落ちている刀を拾い上げ、砂を払う。
斎藤もただ黙って井吹の走り去った方向を見つめていた。
その瞳の蒼は、なんだか物悲しげであった。


名前「……私、一旦戻るね。荷物置きたいし。一君はどうする?」


何と声をかけていいのか分からず、名前はその場を去ることを告げる。
すると斎藤は一瞬目を伏せた後名前に向き直り、微かな微笑みを浮かべた。


斎藤「……いや、俺は自分の稽古をするつもりだ」

名前「……そっか。頑張ってね」

斎藤「かたじけない」


名前は刃引きした刀を斎藤に預けると、その場を去った。
壬生寺を出る直前、足を止めて後ろを振り返れば、居合いの稽古をする斎藤の姿が目に入る。

その光景を見ていると、ふと名前はある事を思い出す。
それは、あの夜 ─── 羅刹を藤堂と共に殺害した時の事だった。
脳裏に蘇るのは、首を中途半端に斬られて悶え苦しんでいた羅刹の姿。

そして次に思い出したのは、『どの流派の居合いにも介錯の術が存在する』という斎藤の言葉。


名前「……」


その場に佇み、何かを考え込む名前。
そして暫くしてから八木邸へと戻っていったのであった……。

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