銀桜録 黎明録篇 | ナノ


1

─── それは、力士との乱闘騒ぎから数日後のことであった。


名前「……監察方?」

土方「ああ」


浪士組に『監察方』という新しい役職が出来るらしい。
浪士組の内外を探る役目を担うのだという。


土方「山崎と島田に任せる事にした」

名前「なるほど…。それは適任ですね」


新入隊士の中でも山崎と島田は既に頭角を現し始めている。
どちらも腕が立ち、口が堅く忠実だ。

監察方は隊士が法度に反する行為を行った場合や間者が紛れていた場合に、土方に内密に報告する役割を担う。
そのため二人は適任だろうと名前は考えたのである。

力士との乱闘騒ぎがあった後だ。
恐らく芹沢一派の行動を見張るという目的もあって作ったのだろう。


名前「……大丈夫ですか」

土方「……あ?何がだ」

名前「何がって……」


ここ数日、土方の眉間には皺が寄りっぱなしであった。
恐らくまた芹沢関係だろうとは予想できた名前だが、それにしても普段よりも険しい雰囲気が漂っている。


名前「……三十路にして眉間の皺取れなくなりますよ」

土方「あ?余計なお世話だ」

名前「……」


やはり、土方はいつもの調子ではないらしい。
第一、土方は先程から名前の方を見向きもしないのだ。


名前「……すみませんでした。私、一旦稽古に行って来るので、もし何か仕事があれば呼んでください」


もしかしたら、今は彼を一人にした方がいいのかもしれない。
そう思った名前は部屋から去ろうと立ち上がる。


土方「 ─── 待て」

名前「…わっ、!?」


突然ガシッと手を掴まれたかと思うと、無理やりその場に座らされる名前。
その時名前は、今日初めて土方の瞳を見た。

─── まるで何かに苦しんでいるような、迷いのある本紫。


名前「ひ、じかたさっ…!?」

土方「……すまねえ。お前に当たったってどうにもならねえのにな」


力なく笑う土方のその様子は、ますます名前を困惑させた。


土方「……芹沢さんにまた言われちまった。俺には泥を被る覚悟が足りねえってよ」

名前「……」

土方「……熱意が足りねえんだと。情けねえ話だよな」


その笑みは、己を嘲笑っているかのようなものだった。
京に来て二度目になる、土方の弱音だった。
しかし名前は、今度は何かを言うことは無く黙ってその独り言に耳を傾けていた。


土方「 ─── 鬼になれ、だとよ」


"鬼になれ" ─── 。
他の全てのものを敵に回しても、全ては自分の信念を貫く為に。
浪士組の為に "鬼" になれ、と芹沢は土方に言ったのだ。


土方「…わかってんだよ、そんな事は。俺は ─── 近藤さんに不憫な思いをさせるのは、もうまっぴらなんだ」


近藤は、己の出自に劣等感を抱いている部分がある。
生まれによって不運を蒙ったことも少なくないからだ。

数年前の話になるが、近藤に幕府講武所の教授方に推薦したいという話が舞い込んできたことがある。
皆で大喜びしていたが、暫くしてその推薦の話は取り消されてしまった。
近藤は、自分が百姓の生まれだから推薦が取り消されたのではないかと酷く落ち込んでいたのである。
そして土方が近藤にそんな思いを二度とさせたくないと思っていることを、名前は知っている。

だから土方は剣を握っているのだ。
全ては、尊敬する近藤の為に。
近藤を、日本一の武士にする為に。


土方「……すまねえ。情けねえよな、お前といると何故かはわからねえが、つい弱音を吐きたくなっちまうんだ。今のは全部独り言だ、忘れろ」


土方は名前の手を離すと、再び文机に向かって何やら書状を書き始めた。

何と言ったものか、と名前は頭を巡らす。
彼に言いたい事は、以前に全て言ってしまった。
だから今、名前に何か言えることがあるとするならば。


名前「土方さん」

土方「なんだ?」


浪士組の為に、土方は鬼になっていくのだろう。
芹沢に言われたような、本物の鬼に。
全てを敵に回してでも、近藤の為に。
ならば、名前に言えることは、出来ることは。


名前「 ─── 信じています」


" 貴方の全てを、信じる。"

本紫色の瞳が見開かれた。
しかし、それは直ぐに好戦的な色を浮かべる。


土方「……ったく、一丁前に言うようになりやがって……」

名前「いたっ」


コツッと肩を小突かれる。


土方「……ありがとよ」

名前「っ!はい!」


それは、普段通りの土方であった。
照れくさいのか、名前からは顔を背けているが。


土方「……そういや、この間の事なんだがよ」

名前「……この間?」

土方「……俺はやっぱり、丸腰の力士を無礼打ちにして、詫びの一つも入れねえのを武士のやり方だとは思えねえんだ」


この間の事、とは力士との乱闘騒ぎの事だったようだ。


名前「……私もそう思います。もし謝罪を入れに行くのでしたら、私も連れて行って下さい」

土方「……お前も、頭下げるってのか」

名前「勿論です。あの時あの場に居なかったとはいえ…止められなかったことを後悔しています。ですから土方さんが頭を下げるなら私も下げます。副長補佐ですから」


名前は真っ直ぐに土方を見つめた。
自分に出来ることならば何でもする、という意志を込めて。


土方「……そうか」


土方の口角がフ、と上がる。
名前はなんだかその表情に妙な安心感を覚えた。


名前「……あっ、そうなると何かお見舞いの品が必要になりますよね。ちょっと外に出て色々見てきてもいいですか?」

土方「ああ、すまねえな。頼む」

名前「はぁい」


何がいいかなぁ、と名前はブツブツ呟きながら土方の部屋を後にする。
しかし部屋を出て、ふと。

"土方「情けねえよな、お前といると何故かはわからねえが、つい弱音を吐きたくなっちまうんだ」"

先程の土方の言葉が頭を過ぎった。
土方が何故名前といると弱音を吐きたくなるのかは分からない。
しかしあの言い方は、少なくとも色々抱え込んでいるということだ。
そして、本当はそんな自分を見せたくないという抵抗も含まれているのだろう。


名前「……別に弱音くらい、いいのに」


土方は不器用だ、と名前は思う。
強がりだ、とも。
勿論名前自身も器用では無いし、言ってしまえばそんな所は土方に近いものがあるのだが。

だが、十も年下の妹に弱っている姿を見せたくないと思うのは分からないわけではない。
何故なら、もし名前が土方の立場ならきっとそう考えるから。

しかし、副長補佐となった為に土方と過ごす時間は格段に増えた。
彼は目に見えて助けられるのは好きではなさそうだから、裏でこっそりと支えるのが一番かもしれない。
そしてそれが一番出来るのは、名前自身のはずだ。


名前「……頑張らなきゃ」


やる事は沢山ある。
山南に言われた通り、今必要とされている事をしなければならない。
ふう、と深く深呼吸をして、名前は歩き始めたのだった。

……のだが。


井吹「 ─── 俺の進む道は、俺が決めるさ!あんたなんかに口を出される謂われはない!」


門を出ようとした所で、井吹の怒鳴るような声が聞こえた。
かと思うと、

─── ドタドタドタッ


名前「おわっ!!?」


まるで何かから逃げるように物凄い勢いで井吹が走って来たかと思うと、彼は名前には見向きもせずに邸内へと入って行ってしまった。
一体何事だろうか。


名前「……あれ、一君?」

斎藤「……あんたか」

名前「何かあったの?龍之介が台風みたいな勢いで帰って来たけど」


門の外に立っていたのは、意外にも斎藤だった。
名前が斎藤を視界に入れた時、彼は珍しく溜息を吐いており、井吹と何かあったらしいのは明白であった。


斎藤「……彼の者に今後どうするつもりなのか聞いた次第だ」

名前「…あー…それでか」


先程井吹は、自分の道は自分で決めると叫んでいた。
大方、斎藤に今後の事を問い詰められて井吹の方が居直ってしまったのだろう。


名前「……でも、そうだよね。芹沢さんから解放してもらえないとはいえ…今後もずっと此処に居れば、色々と巻き込まれたりするかも…」

斎藤「ああ。…今後我々の事情に深入りすれば、命を落とすことも有り得る」

名前「そうだよねぇ……」


隊士でもない井吹が浪士組に巻き込まれて命を落とすのではあまりにも不憫だ。
何としてでもそれは裂けたい。
斎藤もそれを心配して井吹を問い詰めたのだろう。


名前「私からも今度話してみるよ。上手く話せるかはわからないけど……」

斎藤「……すまぬ」

名前「ううん。…一君ってさ、本当に優しいよね」


井吹の身を心配しているのは斎藤の優しさの表れだろう。
名前が笑いかければ、斎藤は目を背けてしまった。


斎藤「……何処かへ行くのか」

名前「うん、ちょっとお見舞いの品を見に」

斎藤「…見舞い…?」


斎藤は怪訝そうな表情を浮かべたが、名前が困ったように笑ってみせれば大体の事情を察してくれたらしい。
頭の回転の速さと推理力は流石である。


斎藤「……俺も付き合おう」

名前「本当!?ありがとう!何をあげればいいか丁度迷っててさ。菓子折りか果物だよね」

斎藤「……今の時期に果物は傷みやすいのではないか」

名前「あっ、そっか!じゃあ菓子折りだね。何がいいかなぁ」


暑い日差しが注ぐ中、名前は斎藤と共に町へ向かってのんびりと歩く。
何だか試衛館にいた頃に戻ってきたようで嬉しかったのは、名前だけの秘密である。

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