銀桜録 黎明録篇 | ナノ


3

名前「ああ、緊張した……」

山崎「お疲れ様でした」

名前「山崎さんもお疲れ様でした。ありがとうございました」


最後の交渉を終えて商家から出てきた名前は、ようやく緊張から解放されて安堵の息を吐いた。
どの商家も好感触で、手応えがあった。
土方には良い報告が出来そうである。


斎藤「……あんたでも緊張するのだな」


ほっと息を吐いて疲れたような表情をしている名前を見て、斎藤は少し意外そうな顔をしている。


名前「そりゃするよ、こんなの大役だし…。私だって普通の人間だもん」

斎藤「……ああ、そういえばそうだったな。上覧試合の際もこの世の者とは思えぬほど顔面蒼白で、何故か屈伸運動ばかりしていたな」

名前「……待って、もしかしてさっきのこと根に持ってる!?」

斎藤「……さあな」

名前「ねえごめんってば、一君!」


どうやら演技のことで名前に揶揄われた事をまだ根に持っていたらしく、珍しく斎藤から反撃が来た。
斎藤は小さく笑っており、それを意外そうに見ているのは山崎である。


山崎「……斎藤さんも、笑うことがあるのですね」


それは思わず声に出てしまったらしい。
山崎の方を見れば、しまったとでも言いたげな表情を浮かべていた。


名前「ぷっ、あはははっ!」

斎藤「……俺とて感情が無いわけではない」

山崎「も、申し訳ありません…!」

名前「一君は結構笑ってくれますよ。ね、一君!あははは」

斎藤「……笑いすぎだ、名前」

名前「ごめんごめん。だけどもしかして、三番組の人達にも感情の無い人間だと思われてない?大丈夫?」

斎藤「……余計なお世話だ」

名前「わっ、ごめんってば!歩くの早いよ、一君!」


斎藤は珍しくムキになっているらしく、せめてもの反抗なのか急に足早になった。
慌てて彼の後を追いかけながらも、名前は笑顔を浮かべていた。


……しかし。
宿に着いた途端、名前の顔からその笑顔は跡形もなく消え去った。


名前「ひっ、……!!?」


そこは宿屋とは思えぬほどの血の海で、台風が通り過ぎたかのように物が散乱していた。
巨体が何名か倒れており、噎せるような血の匂いが漂っている。
その匂いには、斎藤ですらも思わず顔を顰めてしまう程であった。


斎藤「……何があった」


息を飲んだ名前を背中に隠すように立つ斎藤。
そんな彼が尋ねたのは返り血に染まる沖田と永倉である。


沖田「仕方ないじゃない、芹沢さんが斬れって言ったんだから。元はと言えば喧嘩売ってきたのはあっちの方だし」


沖田から事情を聞けば、どうやら先程の力士が仲間を引連れて報復に来たのだという。
しかし刀を持った浪士組に敵うはずもなく、三名が死亡、十四名に怪我を負わせたところ、力士達は逃げて行ったらしい。

道を譲らなかっただけで、刀を持っていない相手に対してここまでやるとは。
沖田は全く悪びれる様子はない。
対して永倉は、やはり罪悪感があるようで弱りきっている。

これでまた浪士組の悪評が広まったことだろう。
先程行った地盤固めが、一瞬で水の泡になったような気分に名前は襲われた。


斎藤「……無駄にはさせん」


ふと名前が隣を見上げれば、蒼い瞳と目が合った。


斎藤「…無駄には、させん」

名前「……うん」


もう一度、はっきりと告げる斎藤。
名前が途方に暮れていた事に斎藤は気づいたのだろう。
"あんたの働きを無駄にはさせない" と言いたげな口調であった。

しかし……。
その蒼い瞳には普段は彼から感じられない、やるせない色が微かに浮かんでいた。

<< >>

目次
戻る
top
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -