銀桜録 黎明録篇 | ナノ


5

─── その翌日、三月二日。


藤堂「犬として置いてやるって…ひでぇ言い方じゃねえ?」


井吹からとある話を聞いた藤堂は、怒ったような口調になった。
原田や永倉、名前もその言葉に頷き、眉を顰めている。

井吹が話した内容とは、暫く芹沢の下で働く事になったというものであった。
しかし芹沢の井吹に体する対応にかなり問題があるようで、井吹は芹沢に犬呼ばわりされたのだという。
おまけに鉄扇で殴られたり投げ飛ばされたりと散々な目に遭ってきたようだ。


原田「…まぁ、あの人なら言いそうだな」

永倉「芹沢さんはこの浪士組の中じゃ一番名が通ってる人んだが…色々と、難しい人だからな」

原田「新八は、芹沢さんと同門の神道無念流だからまだマシだろ。俺達なんざ虫けらみてえに思ってるぜ、あの人」


実際芹沢は同門である永倉を多少気に入っているようで、時々声を掛けているところを見かけることがあった。
しかし永倉や近藤、土方や山南以外の試衛館の者達は、芹沢の眼中にすら入っていないのだろう。
女の身で実戦剣術を学ぶ名前など、一体どう思われていることか。


名前「私なんて多分金魚の糞みたいに思われてるよ…」

永倉「ンなことねえって、お前さんは近藤さんの妹なんだからよ」

名前「でもこの間、ごみを見るような目で見られたよ。まあ、慣れてるから良いんだけどさ」

原田「近藤さんの妹なら、まあ悪いようにはされねえさ」

名前「うーん。私はともかく、左之さん達が心配だよ。それに龍之介も…」


名前の発言で、原田や永倉、藤堂の視線が井吹へと移る。
何やら先程から喋っていない井吹。
彼は、困惑したような表情を浮かべていた。


原田「ん?どうした、龍之介」

井吹「い、いや、その…近藤さんの、妹って…?」

名前「…あ、そっか!龍之介にはまだ言ってなかったね。私は近藤勇兄様の妹なの」


言い忘れててごめんね、と手を合わせて謝る名前。
しかしそんな彼女の謝罪は全く聞こえていない様子で、井吹は口をパクパクさせて名前を凝視していた。


井吹「ちょ、ちょっと待ってくれ!あんた…女…なのか…!?」

名前「えっ」

藤堂・永倉・原田「「「そこかよ!!?」」」


どうやら井吹は名前の事を男だと思い込んでいたらしい。
名前としては性別を偽って生きているつもりはないものの、一応男の格好はしていて腰には大小を差している。
そのため男と間違えられてもおかしくはないのだが、藤堂と原田と永倉はゲラゲラと大笑いし始めた。


藤堂「ぶっ、ははははっ!此奴の何処が男なんだよ!」

原田「小せぇし細っこいし、どう見ても男の体格じゃねえよな」

井吹「だ、だって!刀差してるじゃないか!服装も男のモンだろ!」

永倉「だとしても、此奴を男だと思い込むのはお前くらいだろうな」

名前「なんか皆酷くない!?私の渾身の男装をそこまで言う!?」


口々に名前の男装を下手くそだと言い出した三人に、名前は猛抗議を始める。
しかしこれで渾身の男装だと言うのだからそれがまた藤堂達の笑壺に入ったらしく、三人はヒーヒー言いながら爆笑していた。

先程まで少し重かった空気は、風に流されて飛んで行ってしまったようだ。
爽やかに晴れた青空に、笑い声が響き渡る。

ふと顔を撫でた柔らかい風に、名前はぴくりと反応を見せた。
鼻を掠めた風が、大好きな匂いがしたのである。


原田「…ん?どうした、名前」

名前「…今、ちょっとだけ春の匂いがしたの」

藤堂「春の匂い?」


藤堂や永倉もスンスンとその場の匂いを嗅いでいるが、よく分からなかったようで首を傾げている。
名前はというと、青空を見上げながら気持ち良さげに深呼吸をしていた。


原田「そういや、裏庭の桜がほぼ咲いてたぜ。明日には満開になるんじゃねえか?」

名前「えっ、本当!?ねえねえ、見に行こうよ!」

藤堂「そうだな、行こうぜ!」

永倉「お前さんは本当に桜が好きだなぁ」

名前「ほら、龍之介も!早く行こ!」

井吹「あ、いや、ええっ!?」


ぐいぐいと井吹の腕を引っ張りながら、嬉しそうな表情で庭へと向かう名前。
そんな彼女を三人は穏やかな表情で見守っている。

─── 春はもう、すぐそこまで来ていた。

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