銀桜録 黎明録篇 | ナノ


2

(名前視点)


斎藤「……名前」

名前「あれ、一君。どうしたの?」


風呂から上がって部屋に戻れば、部屋の前に一君が立っていた。
そのまま話すのもどうかと思い、彼を部屋に通す。


斎藤「……大事は無いか」


「どうしたの」と聞いておきながらも、彼が待っていた理由は何となく分かっていた。

"斎藤「俺は…あんたのこの手を、血に染めたくはない」 "

こんな私のために、あんな悲痛な表情を見せてくれるくらい、一君は優しいから。
一君は、いつも私を助けてくれる。
そんな優しい彼に、心配をかけたくなかった。


名前「うん、思ってたよりも平気かな」


これは、本心だ。
肉を貫くあの感覚は、今でも手に残っている。
自分の手を切り落としてしまいたいくらいに、気持ち悪くて仕方がない。

だけど私は、私欲の為にあの人を殺したわけじゃない。
あの時私がやらなければ、龍之介が死んでいたかもしれない。
殺らなければ、殺られていたのだ。

土方さんの人の言葉が、唯一私の正気を保たせてくれていた。
私のした事は、仲間を助けるため。
仲間を守るために、彼を殺さなきゃいけなかった。
私の行動は、絶対に間違ってなどいなかったはずだ。


斎藤「……嘘をつくな」


一君の言葉に、思わず肩が跳ねた。
驚いて一君の顔を見れば、彼は真っ直ぐに私を見ていた。


名前「……別に、嘘なんかじゃないよ?」

斎藤「…それは、怯えた表情で言う言葉ではないだろう」


思わず自分の顔を両手で覆う。
顔には笑顔を貼り付けていたつもりだったのに。
何故彼は、私の本心を簡単に見透かしてしまうのだろう。


斎藤「…すまぬ。俺は生来無骨者の故、気の利いた言い回しなど思い付かぬのだ。あんたが何に怯えているのかも…言ってもらえねば、俺には分からぬのだ」


……ああ、またあの表情だ。
苦しそうな…今にも消えてしまいそうな、一君の表情。
どうしてそんな顔、するの。


斎藤「…あんたが強がりなのは知っている。仲間を思うが故の強がりなのは、よく分かっている。だが…俺は、あんたが一人で苦痛を溜め込む方が苦しいのだ」


一君は以前、自分を口下手だと言っていた。
一君から口を開くことは少ないし、それは本当なんだと思う。

だけど、この手の交渉は上手いと思ってしまった。
意識的か無意識か、私の弱い部分を的確に突いてくるような説得。
"あんたを助けたい"、ではなく、"自分が苦しい" に言い換えている。
あくまでも自分の都合を主張するという、一君らしくもない説得だ。
勿論それが、彼の優しい心から来る言動なのはよく分かっている。

頭では、そう理解していても。
悲鳴を上げていた心が、私の口を動かした。


名前「……怖いの。これからが、怖い」


…本当に怖いのは、これからだと思う。
私はきっと、今後も手を血で染めることになるから。


名前「この感覚に慣れてしまう日が、いつか来るのかなって……そう考えると、怖くて」


罪人だろうがなんだろうが、相手にも大切な人がいるはずだ。
家族や恋人、仲間、恩師、弟子…。
当人の死が、彼等に知らされることはない。
自分の仲間を守るために戦ったとはいえ、残された彼等の事を考えなかったわけではない。

それに対して、何とも思わなくなる日が来てしまうのだろうか。
自分の手で殺した相手の顔をすぐに忘れてしまう日が、いつか来てしまうのだろうか。
ぽつりぽつりと零した言葉を、一君は黙って聞いてくれていた。

どうしてこんなにも怖いのか。
なぜなら、なんの躊躇いもなく人を斬る自分を想像できてしまったから。
仲間の為に、躊躇いもなく人を斬る自分を。


名前「私は……凄く冷たい人間だね」


乾いた笑いが口から零れたのと同時に。
私の両手は、温かいもので包まれる。


斎藤「そんな筈はない」


私の両手を包んだのは、一君の両手だった。
私よりも大きくて骨ばっていて、それでも温かくて優しい手だ。


斎藤「あんたが冷たい人間であったならば…そのような考えには至らぬはずだ。先程のあんたの言葉は、冷たい人間ならば思い付く筈のない言葉だ」


一君の言葉に、思わず目を見開く。
凍りつきかけていた心が、穏やかな灯火で溶かされていくような感覚がした。


斎藤「俺は…あんたを春のような人だと思っている。あんたの人柄も言動も全て、春の日差しのように温かい。あんたの心は、桜のように綺麗だと思う。そんなあんたが、ただの人斬りに成り下がる筈がない」

名前「一君……」


なんだか柄にもなく泣きそうになって、ぐっと唇を噛み締める。
ありがとう、と笑顔で礼を伝えたいのに。
口の端が震えて、上手く笑顔を作れない。


名前「ありがとう……」


彼の言葉が嬉しくて仕方がなくて。
自分でも笑っているのか、涙を堪えているのか分からない表情を浮かべてしまった。

幸いにも涙は零れていない。
人前では絶対に零れてこない自分の涙に、これほど感謝したことは無いかもしれない。


斎藤「……俺も、あんたに謝らなければならない。俺が間に合っていれば、あんたにそのような思いを抱かせることは無かった筈だ。すまない」

名前「…えっ、どうして一君が謝るの…!?」


一君のせいじゃないのに、私が自分の意思でやったことなのに。
どうして彼が謝るのだろう。


斎藤「……俺の主我だ」


一瞬、何のことを言っているのか分からなかった。
だけどふと、一君が酔っ払ってしまったあの夜の事を思い出す。

一君は、私の手を守りたいと言ってくれた。
だけどそれが私の覚悟に対する侮辱になるから忘れてほしい、とも言っていた。
主我とは、その事を言っているのかもしれない。
だけど、そう言った一君の表情はやっぱり少し苦しげに見える。

それは彼の中での葛藤のせいだったなんて、私は思いもしなかったのだ ─── 。

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