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─── 日が傾いて空が暗くなり始めた頃、名前達は八木邸へと戻って来た。
名前「 ─── それで、次の角を左…?」
原田「いや、次は右だな。左に曲がるのは右に二回曲がった後だ」
永倉「さっきも間違ってたぞ、それ」
名前「うわあああ、わかんないぃぃぃっ…!!」
玄関で草履を脱ぎながら、名前は頭を抱えた。
八木邸までの道順を空覚えで確認していたのである。
京の地形は碁盤の目とも言われており、慣れるまでは非常に分かりにくい。
特に道を覚えるのが苦手な名前にとっては困難である。
頭を抱えて叫ぶ名前を見て、原田と永倉は吹き出していた。
藤堂「俺もまだちょっと自信ねえなー…」
名前「平助!!私が出かける時はついて来てね、迷う時は一緒に迷おうね!!」
藤堂「いや迷うなら駄目だろ!誘う人選間違えてんぞ!!」
名前「左之さん新八さん〜っ!!」
原田「わかったわかった、暫くは一緒について行ってやるからよ」
永倉「おう、いつでも言えよな」
名前「本当っ!?二人共優しいありがとう〜っ!!」
原田の腰に抱きついて二人に懇願すれば、二人は笑って快く承諾してくれた。
名前の困り顔は一転し、花が咲いたような笑顔になる。
そんな彼女につられるように三人も笑みを浮かべた。
しかし、その時である。
?「 ─── 貴様!誰に向かってものを言ってるのかわかってるのか!!なんだ、その口の利き方は!!」
外から聞こえてきた怒鳴り声。
聞き覚えのある声に、名前達は顔を見合わせた。
藤堂「今のって…」
原田「芹沢さんの声だな」
永倉「…様子見に行くか」
名前「私も行く」
お互いの顔を見ながら頷き、名前達は急いで声のした方へと向かう。
駆けつけてみれば、そこには芹沢鴨と対峙する土方歳三の姿があった。
彼等の会話の内容から察するに、芹沢はここ数日島原に入り浸って酒を掻っ食らっているらしい。
そんな彼に対して土方は堪忍袋の緒が切れたようだ。
土方「 ─── 水戸天狗党の出身だか何だか知らねえが、武士だ何だって威張りくさるなら、俺達に文句付けられるような真似はしねえでくれ」
芹沢「っ貴様ァァァッ!!!」
土方は芹沢を恐れている様子はなく、はっきりと物を言う。
そしてその言葉は案の定芹沢の癪に障ったらしく、彼は普段から肌身離さず持っている大きな鉄扇を振り上げた。
名前「あっ ─── !!」
咄嗟に体が動きそうになった名前だが、そんな彼女の肩をガシッと掴んで止める手。
それは隣にいた原田の手であった。
「手を出すな」と言わんばかりに肩を掴まれて動きを止めた名前だが、土方に向かって勢い良く振り下ろされる鉄扇を見て、思わず目を瞑る。
…しかし、鉄扇で人を殴るような鈍い音はしなかった。
芹沢「…何故避けなかった?俺が途中で止めるだろうと気取っていたか?」
芹沢の鉄扇は、土方の頭に当たるすんでのところで止められていた。
しかし土方は一切物怖じせず、微動だにせずに芹沢を睨みつけていた。
土方「止めようが止めまいが避けたりはしなかったさ。俺は間違ったことは言ってねえからな」
土方には、己の誠を貫く強さが備わっている。
その強さは誰にでもあるものではないだろう。
彼の強さが現れた本紫色の瞳は、まるで青い炎のように静かに燃えていた。
芹沢も、土方の瞳から何かを感じ取ったのだろう。
スッと鉄扇を降ろして土方の横を通り過ぎて行く。
芹沢「我々はお前達と行動を共にせずとも困ることはない。俺のやり方が不満ならいつでも江戸に戻るんだな。行くぞ新見」
新見「お、お待ちください芹沢先生!」
堂々とした佇まいでその場から去って行く芹沢を、新見錦が焦ったように追いかけて行く。
やはり対照的な二人である。
名前はその一連の光景を、息を潜めて見守っていた。
芹沢の怒鳴り声を聞きつけたのか、いつの間にか他の皆も集まって来ていた。
山南「大丈夫ですか、土方君」
土方「…山南さん?なんだ、皆揃って…」
近藤「芹沢さんの声が聞こえたから、また何かあったのかと思ってな」
名前達が来ていた事に気付いていなかったらしく、土方は一瞬驚いたような表情になる。
そして先程の事を思い返したのか、苦い表情になった。
土方「何かあったも何も、あの人の場合ただ生きてるだけで周りとぶつかるだろ」
山南「それはそうでしょうが、君ももう少し上手く受け流さなくては」
土方「…そいつは、一遍死んで生まれ変わりでもしねえと無理だな」
正義感に溢れ己の信念を貫こうとする土方が、芹沢のような粗暴な者を受け流せるはずがない。
何事も黙ってはいられないのが彼の性格なのである。
それは試衛館で共に過した者ならば誰もがわかっていることであり、土方の言葉に笑い声が巻き起こった。
すると、土方の視線がとある人物へと移る。
土方「…ん?なんだ、てめぇは」
井吹「えっ…」
土方「八木さん所の客人じゃねえよな?」
井吹「あ、お、俺は…」
土方の視線の先には井吹。
恐らく騒ぎを聞きつけて、皆につられてやって来たのだろう。
見慣れない顔があり、土方はただ疑問に思っただけであった。
しかし土方の目つきは元々鋭い上に口調はお世辞にも丁寧とは言えないため、責められたように感じたのか井吹は明らかにたじろいだ。
何と説明したものかと口篭る井吹に助け舟を出したのは近藤勇である。
近藤「此処に来る途中倒れていた彼だよ。芹沢さんにお礼を言いたいと帰りを待っていたんだ」
土方「…成程」
近藤の説明で、納得したように土方は井吹から視線を逸らした。
永倉「…なあ龍之介。芹沢さん随分呑んでるみてえだし、礼を言うなら明日にした方がいいんじゃねえか?」
藤堂「そうそう。芹沢さん、あんまり酒癖が良くないからさ」
芹沢の酔い具合を見た永倉と藤堂が井吹に助言をする。
二人の酒癖の悪さも相当だけどね、と思った名前だったがそれは言わなかった。
近藤「よし、取り敢えず戻って夕飯にしよう」
沖田「そうですね」
原田「さっ、飯だ飯!」
井吹「え、ええ…?」
近藤がその場を仕切り、皆は屋敷の中へと戻っていく。
戸惑ったように声を上げる井吹は原田に捕まり、そのまま連行されて行った。
そんな彼らを見ながら名前も屋敷の中に戻ろうとすれば、不意に隣に立つ人の気配。
見なくても隣にいるのが誰なのか、気配だけでわかる。
沖田「ねえ、何処に行ってたのさ」
名前「いひゃいいひゃい!」
名前の隣を歩くのは沖田総司である。
沖田は歩きながら名前の頬を軽く摘んでおり、彼女の頬はみょーんと伸びた。
沖田「あはは、お餅みたい」
名前「ひふへいは!!(失礼な!!)」
離せ離せと沖田の手をペシペシと叩く名前だが、沖田はケラケラと笑っている。
沖田「で、何処に行ってたの?」
名前「いだっ……左之さん達とお散歩」
沖田「えー、僕も行きたかったなぁ」
名前「ねえごめんって!重い重い、歩きにくいよ」
名前の頬を離したかと思いきや、今度は彼女の背後に回り込んでダラッと体重を預けてくる沖田。
名前が後ろから抱き締められているようにも、名前が沖田をおぶっているようにも見える光景だ。
どちらが歳上なのか分からなくなるほどの沖田の甘えようである。
土方「…何やってんだお前ら」
名前「そう思うなら助けてください!」
土方「遠慮しておく」
名前「何故!!?」
沖田「土方さんもやります?この子の背、丁度いいんですよ」
土方「断る」
名前「だから何故!!?」
相も変わらず何やら言い合っている三人。
そんな彼等の様子に、再び周りからは笑い声が上がったのであった…。
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