2
名前と原田は井吹を連れて、前川邸の庭へと向かう。
邸内からは、絶えず獣のような唸り声が聞こえていた。
名前は刀を、原田は槍を構える。
しかし正体不明の相手に、二人の手はじっとりと汗ばんでいた。
すると突然前川邸の扉が内側から突き破られ、誰かが吹っ飛んできた。
永倉「うわあああっ!!」
原田「新八!?」
名前「新八さん!大丈夫!?」
中から吹っ飛んで来たのは永倉であった。
何処かを殴られたのか、永倉は地面に倒れ込んで呻き声を上げている。
沖田や斎藤と並ぶ剣術の腕を持つ永倉を、いとも簡単に殴り飛ばすような敵……。
一体何者なのか。
倒れ込んだ永倉を庇うように、名前と原田は立ちはだかった。
視線を邸内の闇の中に向ければ、赤い光が二つ。
一体何だ、あれは。
人間か動物なのかも分からない。
眉をひそめて敵を見据えていると、敵を追ってきたらしい斎藤と沖田が駆け付けた。
斎藤「気をつけろ、左之!名前!」
沖田「其奴、普通じゃないよ!」
二人の叫ぶ声が聞こえたのと同時に、それは地を蹴った。
まるで野生の獣のような跳躍力。
老人のように白い髪に怪しく光る赤い瞳、そして着物を濡らす赤黒い血。
姿形は人だが、その動きはまるで動物のようだ。
姿を現したそれに、名前は思わず息を飲む。
その男は原田目がけて飛びかかり、刀を振りかざした。
名前「左之さんっ!!」
原田「っ!!」
原田は応戦して槍を振るい、その槍の矛先は男の腕を貫く。
…確かに、貫いた所を目にしたはずだった。
原田「 ─── なっ、!!?」
藤堂「左之さんっ!?」
藤堂が駆け付けたのとほぼ同時。
男は腕に刺さった槍をものともせず、あろう事か突き刺さったその槍ごと原田を持ち上げてしまったのである。
足が宙に浮いた原田は為す術なく振り回され、地面に投げ出される。
人間一人をいとも簡単に投げ飛ばしてしまう程の怪力。
倒れ込む永倉と原田を庇うように、名前は男の前に立ちはだかった。
……しかし、名前達は信じられない光景を目撃する。
男は腕に刺さった原田の槍を自ら引き抜いた。
そこに確かにあったはずの貫通痕が、みるみるうちに塞がっていったのである。
名前「っ!!?」
原田「傷が……!!」
皆がぎょっとして目を見開く中、名前の心臓がドクリと飛び跳ねた。
異常なまでの治りの早さ……。
まるで、自分の体を見ているようだったからだ。
少なからずその場にいた者は、動揺を隠しきれていなかった。
男はそれを見逃さず、その赤い瞳で標的を定める。
鋭い眼光が射抜くのは……井吹。
原田「逃げろ、龍之介!!」
原田が叫ぶのとほぼ同時に、名前は地を蹴っていた。
斎藤や沖田、藤堂も反応したが、誰よりも早く井吹の元へ辿り着いたのは名前であった。
震える手で刀を構えた井吹を、名前は力の限り突き飛ばす。
そして、名前に降り注ぐ影。
男が先程のように飛びかかってきたのである。
沖田「名前っ!!!」
響く沖田の声が、名前には何故か遠く感じた。
井吹を助けなければと無我夢中だった。
構えた刀は下段ではなく中段。
男の左胸に狙いを定め、相打ち覚悟で間合いに踏み込み、思い切り刀を突き刺す。
ドスッという鈍い音とゴポッという液体の音が混じり合う。
男が大量の血を吐き、それが名前の体に血の雨となって降り注いだ。
名前の手には、確かに肉を貫いた感触があった。
斎藤「名前、離れろ!!」
名前が男から刀を引き抜くよりも早く、斎藤が名前を男から引き離した。
男がまた傷を回復させるのを警戒したのだろう。
血まみれになった名前を、斎藤が守るように抱き締める。
そんな二人を庇うように、沖田が刀を構えて立ちはだかった。
…しかし。
「うが…があぁあっ……」
刀が胸に突き刺さったまま、男は苦しげな呻き声を上げる。
そしてふらふらと二、三歩よろけると、力尽きたように地面に倒れたのであった。
土方「 ─── お前ら、無事か!?」
原田「土方さん!此奴は一体、」
足音が聞こえてきて、土方が姿を現した。
それに続き、山南も姿を現す。
山南「それは心臓を刺すか、首を落とせば死ぬそうです」
全員の視線が倒れた男へと注がれる。
左胸に深く突き刺さっているのは、名前の刀だ。
斎藤に抱き締められている血まみれの名前を見た土方は、瞬時に全てを察した。
近藤「皆、怪我はないか!?」
沖田「近藤さん!」
そこへ近藤も姿を現し、沖田が安心したような声を上げる。
しかし近藤は、血にまみれた名前の姿を見て血相を変えた。
近藤「名前!?その血はっ、」
名前「……いえ、私は平気です。この血はその人のものです」
近藤「そ、そうか…!良かった…本当に良かった…!!」
初めて人を殺めたというのに、彼女の声色は冷静であった。
斎藤が名前から離れると、近藤は安堵の息を零しながら名前を抱き締める。
永倉「……全く、何なんだ其奴は」
信じられないと言いたげな表情で、永倉が呟く。
一方、名前に突き飛ばされた井吹は、尻餅をついたままガタガタと震えていた。
そんな彼を、土方がキッと睨みつける。
土方「何の覚悟もねえ奴が、戦場へのこのこ出てくんじゃねえ」
龍之介「……っ、」
土方の厳しい言葉に、井吹は悔しげに唇を噛んだ。
その間に山南が倒れた男の検分を行う。
眼球や脈などを調べているが、どうやら確かに絶命したらしい。
原田「……此奴の顔、何処かで見たことがあるぞ」
その検分の様子を見守っていた原田が眉を顰めた。
土方「……原田、新八。すまねえが此奴を中に運び込んでくれ」
原田「っ、ああ」
永倉「おう」
土方「皆は広間に集まってくれ、話がある。……お前もだ、井吹。見ちまったからな」
張り詰めた空気を、土方の険しい声が重なる。
その場にいる者の表情は硬く、固まっていた。
名前「……土方さん、すみません。血を落としてからでもいいですか」
土方「ああ、構わねえよ。綺麗にしてこい。斎藤と総司は名前を頼む」
沖田「言われなくても」
斎藤「承知しました」
一人でも血は拭けるが、斎藤と沖田を残したのは土方の配慮だろう。
名前を気にする近藤は土方に促されて、名前に手拭いを渡してから後ろ髪を引かれるようにその場を去っていった。
名前と沖田、斎藤以外もそれに続く。
斎藤が絶命した男に突き刺さった刀を引き抜く間、沖田は名前の血を拭っていた。
互いに何も話さず、体の血を拭き取る二人。
名前の頭を過ぎっていたのは、初めて人を殺めたことよりも、あの男の傷の再生力であった。
名前と同じような回復力を持つ男。
あの狂った男が、自分と重なってしまったのだ。
すると、不意に沖田が名前の腕を掴んで自分の胸元へと引き寄せる。
沖田「大丈夫。君とは似ても似つかない」
斎藤に聞かれぬよう、この体勢は沖田が気を使ってくれたのだろう。
耳元に降ってきた声は、名前の心を確かに救った。
<< >>
目次