銀桜録 黎明録篇 | ナノ


2

翌日、四月十六日。

浪士組は会津藩本陣の金戒光明寺を訪れた。
重役と思しき男に案内されて、中へと入る。

全員で挨拶を済ませれば、あれよあれよという間に試合の時間が近づいてくる。
第一試合を行う土方と藤堂は、既に木刀を持って庭の中央で待機していた。
土方は普段通りであるが、藤堂は緊張した面持ちである。


「それでは始め!」


低い太鼓の音が重く響く。
それと同時に土方と藤堂が互いに木刀を打ち鳴らし、瞬時に身構えた。


井吹「なんだ、あれ…?」


試合の様子を見守る井吹は不思議そうに首を傾げた。
その視線の先には、ゆらゆらと鋒が揺れる藤堂の木刀。


名前「"鶺鴒の剣" っていうんだよ」

原田「ああやって常に動いて、溜めの動作を悟られないようにするんだ」

井吹「へえ…」


そんなものがあるのか、と目を丸くした井吹。
激しく木刀がぶつかり合う音が響く。
怪我も恐れず果敢に攻め込んでいく藤堂と、その動きを読んでいるかのように受け流す土方。

第一試合の勝者は、土方であった。


藤堂「くっそー、もう少しだったのにな…」


悔しそうに呟きながら控え場所に戻って来た藤堂。
そんな彼を見て、名前と原田は苦笑いを浮かべた。


名前「あはは、お疲れ様」

原田「いい試合だったぜ」

藤堂「…?」


どうやら彼は気づいていないようだが…。
藤堂の右目付近は赤く腫れ上がっており、まるで目にぶち模様のある犬のようになってしまっていたのであった。

第二試合は斎藤と永倉。
流石は実力者の二人で、激しい攻防が炸裂している。


永倉「流石だぜ斎藤、また腕を上げたんじゃねえか!?」

斎藤「あんたもな…!」


ギラギラと鋭い眼光を放つ斎藤と永倉。
まるで真剣で斬り合いをしているかのように、凄まじい程の殺気が迸っていた。
会津藩の役人達は息をするのも忘れて試合に見入っている。

木刀を振り上げて、永倉が勢いよく斎藤の懐に突っ込んで行く。
しかし斎藤は瞬時にそれを避けて、永倉の胴に木刀を打ち付けた。
第二試合の勝者は斎藤である。

控え場所に戻ってきた永倉はやはり悔しそうであったが、本人にとってもなかなか手応えのある試合だったらしく清々しい顔になっていた。

第三試合は沖田と山南である。
鶺鴒の剣で鋒を揺るがせ沖田に打ち込む山南だが、沖田はそれを難なく弾き返した。


沖田「読めてますよ、山南さん」

山南「…君は強くなりましたね、沖田君」


その瞬間、沖田の得意技である三段突きが炸裂した。


永倉「…総司の太刀筋、やっぱりちょっと変わったな」


試合の様子を見ていた永倉が、ポツリと呟いた。
沖田と何度も打ち合いをした事のある試衛館の者達からすれば、沖田の太刀筋の変化は明らかであった。

その時、ふと名前はある事を思い出す。
それは、八木邸で斎藤と再会してから壬生寺で手合わせをした時の事。
斎藤の打ち方が変わったように名前と沖田が思った事があった。

的確に急所を狙い、そこを一発で仕留める技術。
それは簡単には培えないものである。
何故なら、人を斬った事がなければ一生分からないはずの感覚であるから。
…あの時感じた斎藤の太刀筋の変化は、彼が人を斬った経験をしたからだったのだろうか。


斎藤「…どうかしたのか」


いつの間にか名前は斎藤の顔をじっと見つめてしまっていたらしい。
斎藤が姿を消していた間、一体彼の身に何があったのか。
触れてはいけない部分に足を踏み込みかけた気がした名前は、「なんでもない」と慌てて誤魔化す。
そして名前は沖田達の試合に意識を集中させたのであった。


沖田「決めさせてもらいますよ、山南さん!」


下段青眼で山南の攻撃を誘い、打ち込んできた山南の攻撃を摺り上げてから、沖田は上段から山南の胴に打ち込んだ。

第三試合は、沖田の勝利であった。


名前「総ちゃん、お疲れ様!かっこよかったよ!」

沖田「ん、ありがと」

名前「ねえねえ、最後のってもしかして龍尾剣!?」

沖田「そうだよ、よく分かったね」

名前「やっぱり!もう出来るんだ、凄いなあ!」


控え場所に戻って来た沖田に労いの言葉をかけ、きらきらと目を輝かせて彼を見上げる名前。
名前が沖田の剣術を見る眼差しは、いつでも尊敬の念が篭っている。

するとそこへ、最初に浪士組を案内してくれた役人の男がやって来た。


「失礼。近藤殿の妹君というのは何方か」


ビクッと名前の肩が飛び跳ねた。
考えるよりも早く体の方が動く。


名前「私にございます。近藤勇の妹、近藤名前と申します」

「ふむ、其方か」


"局長である近藤勇の妹が浪士組に参加しているらしい。"
その噂は会津公の耳にまで入っているようだ。

成程、と言いながらその役人は名前の姿を頭から爪先まで見ている。
確かに男には見えん、と言いたげな表情であったが名前がその事に気づくことは無いだろう。


「上様が其方の腕前をご覧になりたいそうだ。相手と道具は此方で用意する故、打ってはくれぬだろうか」


「えっ」と驚きで声を上げるよりも早く、名前は誰かの手によって無理やり頭を下げさせられた。


土方「承知致しました。喜んでお引き受け致します」


いつの間にか隣に来ていたらしい土方が受け答えをし、名前の頭を下げさせながら自分も頭を下げていた。
名前も土方の真似をして「承知致しました」と答えれば、その役人は「準備が整ったら声を掛けてほしい」という言葉を残して去って行く。


名前「…えっ、どうしよう」


役人が完全にその場から去ったのを確認してから、名前は初めて動揺した声を出した。


土方「どうしようったってやるしかねえだろうが」

名前「土方さんが勝手に引き受けたんじゃないですか、なんて事してくれるんですか!」

土方「ンなもん断れるわけねえだろうが!死ぬ気でやってこい!」

名前「そんな無茶な!」


こんな時でもいつものような言い合いを繰り広げる二人。
今回は勿論、かなりの小声である。
しかし土方の言う通り、断るわけにはいかない。
殿様からの要望は命令と変わらないのだ。

どうしよう、と名前は頭を抱えていた。
会津公に自分の剣術を披露出来るのは光栄な事。
しかしいくら何でも急すぎる。
名前も人並みに緊張はするし、心の準備というものが必要だ。
しかも相手はよく知る試衛館の者達ではなく、流派も実力も全く未知の人物。


名前「ど、どうしよう…殺される…負けたら土方さんに殺される…!!」

藤堂「おおお落ち着けって名前!だ、大丈夫!大丈夫だから!多分!」

名前「多分!!?」

永倉「馬鹿、平助!余計な事言うんじゃねえ!」


名前の顔は見たことも無いほど真っ青である。
しかも、藤堂の励ましは却って彼女の緊張を高めてしまったようだ。
というのも、藤堂の方も緊張が伝染してしまったらしく真っ青なのである。
説得力の欠片もない励ましで、名前はかつてないほどの慌てっぷりだ。


原田「おいどうすんだよ、名前がガチガチじゃねえか!土方さん、何とか励ましてやってくれって!負けても殺さねえと一言言ってやってくれ!」


何処まで本気なのかよく分からない説得である。
原田に縋りつかれガクガクと体を揺さぶられた土方は、眉を顰めて名前を見下ろした。


土方「…分かった。負けても殺しはしねえ」

名前「ほ、本当ですか…!?」

土方「その代わり素振り五千本だ」

名前「五千んんんっ!!?」

土方「当たり前だ、お前に全てがかかってんだぞ!!」

名前「うわあああああ!!!」

原田「おい何言ってんだ土方さん、逆効果じゃねえか!!」

沖田「ぷっ、あはははは!頑張れー」


何故か高速で屈伸運動ばかりしている(本人は準備運動のつもり)半狂乱の名前に、オロオロと歩き回る藤堂と井吹、焦る原田と永倉に素知らぬ顔の土方、カラカラと笑っている沖田、それを黙って眺めている斎藤。
上覧試合の控え場所とは思えぬ程、混沌とした状況である。
(勿論全て小声のやり取りである。)


原田「さ、斎藤!お前が頼みの綱だ!名前を落ち着かせてやってくれ!」

斎藤「!?…そ、そのような事を言われても…何と言葉をかけるべきか…」

沖田「あはははは!」

永倉「おい総司笑ってる場合か!斎藤、何でもいいんだよ、何でも!何か一言でいいんだ!」


遠くから傍観していた斎藤は、原田と永倉によって無理やり名前の元へと引っ張ってこられた。

そもそも斎藤は激励というものが得意ではない。
ただでさえ口下手だというのに、こんな場面でかけるような言葉を即興で言うなど至難の業。
そんな彼に、原田でも匙を投げるほど半狂乱になっている名前を落ち着かせるなど、最早不可能に近い。


名前・藤堂「「一君んんんん!!!」」

永倉「いやなんでお前もそんなになってんだ平助!!」

斎藤「……ひ、一先ず落ち着け」


名前は、何故か藤堂と一緒にヒィヒィと悲鳴を上げていた。
…これをどうやって落ち着かせろというのか。

斎藤は若干顔を引き攣らせながらも(勿論傍から見れば殆ど分からないが)、苦肉の策を絞り出す。


斎藤「……名前。今度、甘味処にでも行かぬか」

永倉「物で釣るのかよ!?」

名前「行きます!!」

原田「乗りやがった」

名前「頑張ってくる!!」


…一体今までの慌てようは何だったのだろうか。
斎藤の誘いに途端に目を輝かせた名前は、何やら意気込み始めた。
斎藤に褒められたいがためか、瞳は闘志で燃え上がっている。
現金な奴だ、と皆に呆れられたのは言うまでもない。


名前「準備出来ました!!絶対勝ってきます!!」

原田「お、おう!行ってこい!!」

永倉「頑張れよ!!」

沖田「がんばれー」


先程までの緊張は何処へやら。
木刀を持って宣言した少女は勇ましい。
だが、名前が控え場所から庭に出ようとした時である。


斎藤「…名前」


スッと斎藤が隣にやって来たかと思うと彼の手が名前の肩に添えられ、一瞬彼女の動きを止めた。
名前が驚いて振り返れば、目と鼻の先に斎藤の端麗な顔がある。
固まる名前だが、斎藤の視線は庭に控えている対戦相手と思しき人物を捉えていた。


斎藤「…普段通りでいい。あんたの腕ならば何も心配は要らぬ」


身元で囁くように言われた言葉。
焦茶色の瞳が大きく見開かれ、美しい蒼と視線が交わる。


名前「 ─── うんっ!行ってきます、斎藤先生!!」


ニヒッと悪戯っ子のような笑みを見せた名前は、堂々とした足取りで出て行ったのだった。


沖田「…一君ってさ、人たらしだよね」

原田「それも無自覚のな」

斎藤「…?」

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