銀桜録 黎明録篇 | ナノ


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沖田「 ─── で、何で僕らが良い気分でいる時に限って…君の顔面が見苦しい程に腫れ上がってるわけ?」

井吹「うるさいな、余計なお世話だ!」


あれから名前と沖田が目を覚ました時には、既に夕方になっていた。

そのまま二人で夕餉を作り、久しぶりに他愛もない話に花を咲かせて、良い気分で食卓につけば。
名前と沖田の向かいの席に座る井吹の頬には、見事なほどの赤い手形があったのである。

自然と視界に入ってくる、井吹の腫れ上がった頬。
沖田がそれを指摘すれば、井吹はムキになったように言い返した。


名前「でも、凄い腫れてるよ…?何かあったの?」

井吹「別に何も無い」


そう言う割には明らかに不機嫌である。
すると、その隣にいた永倉と原田が揶揄い口調で井吹に絡んだ。


永倉「その顔で何でもないって事はねえだろ」

原田「そうそう。頬の手形、よく似合ってるじゃねえか。いつもより男前に見えるぜ。女の尻でも触って殴られたのか?」

井吹「そんな事するか!!」


原田の一言で井吹はますます不機嫌になってしまった。
普段ならばここで「食事中に騒ぐな!」と土方の怒号が飛んでくる所であるが、運良く今日の夕餉に土方の姿は無い。
何やら急ぎの仕事があるとかで、土方だけではなく近藤や山南の姿も無かった。


藤堂「じゃあ、何でそんなに不機嫌なんだよ?何かあったんだろ?」

井吹「…そんなに聞きたいんなら答えてやるよ。実はな ─── 」


しつこく理由を聞いてくる藤堂達に耐えかねたのか、井吹は渋々と口を開いた。

井吹の話によると、町を歩いていた時にたまたま顔見知りの舞妓に会ったらしい。
その舞妓は小鈴という名前で、以前芹沢が猪口を投げつけて怪我を負わせた舞妓だったという。

井吹が庇ってくれた事を覚えていた小鈴はその時の礼を改めて告げ、その後は少しの間楽しく会話をしていた。
しかし井吹のちょっとした一言が原因で口論へ発展してしまい、ムキになった井吹が「金さえ貰えれば誰とでも寝るくせに」と言ってしまったらしい。
その結果が頬の手形というわけであった。


名前「それは龍之介が悪い」


話を聞き終えるや否や、間髪入れずに名前はそう言い切った。

もし井吹が反省しているようならばここまで鋭い物言いをする事は無かっただろうが、その出来事を語る井吹にはまるで反省の色が見えなかったのである。
恐らく彼は、何故自分が頬を殴られたのか理解していないのだろう。

名前に続くように、沖田も井吹に冷たい目を向ける。


沖田「本当、君って情緒に欠けるよね。人の機微に鈍感すぎっていうか」

井吹「…お前にだけは言われたくない」

沖田「生憎、僕は鋭い方だよ。人の気持ちが手に取るようにわかるから、人を揶揄うのが好きなの」


なかなか腹黒い事を言っている沖田だが、あながち間違いではない。
ぐうの音も出ずに井吹は押し黙ってしまった。


原田「誰とでも寝るって…舞妓の嬢ちゃんにそんなこと言ったのか?お前」

藤堂「そりゃ怒るのは当たり前じゃん」

永倉「言っていい事と悪い事ってもんがあるだろうが」


他の者達からも次々と責められ、さすがに井吹にも酷い事を言ってしまった自覚が芽生えて罪悪感が募ったらしい。
井吹は肩を落としており、その様子は何だか珍しいように思える。


井吹「…俺だって、あんなこと言うつもりじゃなかったさ。ただ、何ていうか…間が悪かったんだよ」

藤堂「間が悪かった?」

井吹「ああ。実はさ…店をあちこち回ったんだが、どの店でも俺を見下した様な目をする奴等ばかりだったんだよ。それが頭にきていて…」


井吹の言葉で、部屋の空気が沈んだ。
何故ならそれは、その場にいる皆も経験済みの事だったからだ。

名前も何度か町の見回りに参加をした事があるが、不逞浪士の横暴を止める度に町の人からは白い目で見られる。
浪士組の悪評が広まってしまっているのである。

名前からすれば、赤の他人からの冷たい視線など慣れたものだ。
試衛館にいた頃も、女の身で天然理心流を学んでいるというだけで白い目で見られることは多かったからだ。
それを跳ね除ける強さは、日々の生活で培ってきている。
しかし慣れていない者からすると、やはりそれは耐え難いものらしい。
藤堂も井吹に共感できるものがあるようで、まるで自分の事のように落ち込んだ顔をしている。


藤堂「…そっか。龍之介も、店の人にそういう対応されたのか」

原田「まあ、芹沢さんがあちこちで騒ぎを起こしてることもあって…評良くねえからな、俺達。でもだからって、舞妓の嬢ちゃんに八つ当たりすんのは筋違いってもんだろ」


次に会った時に謝れよ、という原田の言葉に、井吹は気まずそうな表情を浮かべて頷いた。
…その後も何だか居心地の悪そうな表情を見せる井吹に、名前は気づいた。

すると、カタンと静かに箸を置いた斎藤が無言で立ち上がった。


藤堂「お、一君早いな。何処か出かけるのか?」

斎藤「…庭で、稽古をしようと思っている」

藤堂「あ、そうなんだ」


普段は食事を終えるのはそれ程早くない斎藤。
しかし他の者達とは違って一言も言葉を発しておらず手を止めていなかったからか、今日は終えるのが早いようだ。

そして斎藤のその言葉にいち早く反応したのは名前である。
名前は急いで残っていた味噌汁を飲み干すと、慌てて斎藤に声をかけた。


名前「あっ、一君!私も行ってもいい?」

斎藤「ああ、構わん」

名前「ありがとう!よーし、行こうか龍之介!」

井吹「…はっ?えっ、なんで俺が!?」


まさかここで名前に名指しされるとは思っていなかったのだろう。
予想外の飛び火を食らい、井吹は素っ頓狂な声を上げた。


名前「だってご飯食べ終わってるじゃん。ほら、行こうよー」

井吹「た、食べ終わってるのなら原田と永倉だって、」

名前「いいからいいから!ほら、早く!一君が待ってるから!」

井吹「え、ええぇ…!?」


名前はにこにことした笑みを浮かべながら半ば強引に井吹を立たせると、その背中を押しながら部屋を出る。
パタン、と静かに障子戸が閉まった。


沖田「…世話焼きだよね、名前って」


斎藤と名前と井吹が居なくなった部屋に、ぽつりと沖田の言葉が響く。
その言葉に原田達三人は、「全くだ」と頷いたのであった。

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