銀桜録 黎明録篇 | ナノ


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─── 文久三年 四月四日。

沖田が殿内を斬った件については、二心を抱く隊士を局中法度の下静粛したという事になり、沖田が何か処罰を受けることは無かった。

皆が安堵の息を吐く間もなく、四月二日に芹沢と近藤、土方、新見、沖田、永倉と芹沢の付き添いの井吹の七名は、大坂へと向かった。
浪士組の隊服を作るという話が出ているらしく、その為の資金調達が目的なのだという。

しかし、その日のうちに帰ってきた土方達は酷く沈んだ顔をしていた。
まるで不逞浪士のような押借りをする芹沢を非難したところ、「何人からも恐れられる覚悟を持て」と反対に咎められてしまったらしい。
芹沢の行動は褒められたものではないが、その言葉には一理あり、土方や近藤は何も言い返せなかったのだという。

その二日後である今日、ようやく永倉から事のあらましを聞いた名前は、縁側に腰掛けて物思いに耽っていた。


名前「…覚悟、か」


芹沢は土方達に、「悪を演じる覚悟が無い」と言い放ったのだという。
「武士は民から畏怖される存在であれ」とも。

自分はあの日、覚悟を示した。
己が運命を受けいれ、何があっても近藤達に尽くし、己の成すべき事を成す覚悟を。
それが名前にとっての『誠』であった。

しかしそれは、所詮平凡な女子の小さな覚悟に過ぎなかったのかもしれない。
芹沢は、もっと大きな覚悟を持っているのだと名前は考える。
成すべき事を成す為に、鬼になる覚悟があの男にはあるのだ。
土方のような優しい鬼ではなく、誰もから忌み嫌われる鬼になる覚悟が…。


名前「…わかっていても、なれないよなぁ…」


頭では分かっていても、言葉には表わせても、そんな人物になる事は実際には難しい。
口と心と行い、この三つが揃って真の誠となる。
浪士組の名を挙げる為に忌み嫌われる鬼になる事が、芹沢の貫く真の『誠』なのではないかと、彼の発言を耳にする度に思い始めている自分がいた。

芹沢は、『誠』を貫く武士なのかもしれないと。
…勿論、彼を好きになる事は出来ないのだが。


沖田「何ブツブツ言ってるの?」

名前「う、わっ…!?」


突然ひょいと顔を覗き込んできたのは、淡萌黄の瞳であった。
驚いて思わず名前が飛び退けば、沖田は怪訝そうな表情を浮べる。


名前「…総ちゃん」

沖田「…何、その幽霊でも見るような目は」

名前「そ、そんなんじゃないよ」


沖田と仲違いのようになってしまったあの日から、名前は彼とろくに会話をしていなかった。
勿論避けているわけではないのだが、沖田が落ち着くまでそっとしておくと決めてから、良い機会が全く訪れなかったのである。
機会を誤ればさらに沖田の機嫌を損ねてしまう可能性もあり、慎重な判断が必要だったのだ。

しかし、今までの名前の苦労は何だったのか。
沖田はいつも通りに平然とした様子で、堂々と名前の隣に腰掛けている。
そんな彼に呆気に取られて、名前は目をぱちくりとさせていた。

暖かな日差しが降り注ぐ中、何も言わずに縁側に並んで座る二人。
少しの間続いた沈黙を破ったのは、沖田の方であった。


沖田「…別に、人を斬った事を謝りに来たわけじゃないよ」


その言葉を聞いて思わず名前が沖田の顔を見るが、視線は合わない。
淡萌黄の瞳は、庭を…否、何処か遠くを見つめていた。


沖田「…僕、間違った事をしたつもりはない。近藤さんの為なら、僕は誰でも何人でも斬る。僕にはそれしか出来ないから」


きっとこれからの沖田は、近藤の為に人を斬って生きていくことになる。
それが沖田の生き方となるのだ。

彼の口からその覚悟を聞いてしまった以上、撤回させることは不可能である。
名前には、覚悟を決めた沖田の生き方を否定する権利は無いのだ。
だから今、名前が言えることは限られている。


名前「…私も謝らない。あの時の言葉は撤回しないよ、私も間違った事を言ったつもりは無いから。あれが、私の価値観だから」


自分が沖田に言った言葉が間違っていたとは思わない。
人を斬りたいという考え方は、人の倫理に反する事であると名前は考えているから。
あの時自分が言い放った言葉に対して、謝罪を入れるつもりは名前にはなかった。


名前「…だけど、」


価値観が、生き方が、異なっていようとも。


名前「…総ちゃんと、お話出来ないのは寂しい。総ちゃんがいないのは、寂しい」


本音を言葉に乗せて紡ぐのと時を同じくして、鼻を掠めた大好きな香り。
背中に回された腕と頬に当たる硬い胸板から体に伝わるのは、名前が大好きな温もりで。


沖田「…僕も、同じ。寂しかった」


耳元に降ってくる低い声が擽ったくて少し身を捩れば、その動きすらも包み込むように、名前を抱き締める沖田の腕に力が籠る。


沖田「…突っぱねて、突き飛ばしてごめん。冷たくして、酷い事言ってごめん」


…ああ、昔と同じだ。
変わってしまったのかと思っていた彼の中身は、あの時と同じ。
彼の中にある優しさは、何一つ変わっていない。


名前「…私も…一人にしてごめん。気づいてあげられなくて、ごめん」


目を閉じて彼に身を預ければ、頬に伝わってくる彼の心音。
それはまるで子守唄のように優しくて、温かくて。


名前「総ちゃんは、一人じゃないよ。総ちゃんがどんな生き方をしても…総ちゃんの居場所は、此処だよ」


沖田の額がコツンと名前の額に当たる。
目の前に迫る沖田の顔を見れば、淡萌黄は優しく細められていて、それでいて微かに潤んでいた。


沖田「ありがとう、名前」


やっと沖田が、名前の名を呼んでくれた。
見えない壁が取り払われ、再び繋がることが出来たのだ。

元に戻れたのが嬉しくて仕方がなくて。
二人はずっと、互いの温もりを味わっていた。


******


土方「 ─── ったく…こんな所で何やってやがんだ、此奴らは」


暫く経った後、その場を通った土方が目にした光景。
それは、沖田が名前を守るように抱き締めながら、二人ですやすやと昼寝をしている様子であった。
縁側に柔らかく降り注ぐ光は二人を温め、優しく吹き抜ける風は二人の髪を揺らしている。

少し呆れたように溜息を吐き、その場を去った土方であったが。
その後、眠る二人の体には、土方の大きな羽織りが掛けられていたという ─── 。

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