銀桜録 黎明録篇 | ナノ


4

その日の夜。


名前「すみませんでした」


夕餉と風呂を済ませた名前は、土方の部屋を訪れていた。
そして、これでもかという程に深く頭を下げる。
こんなに頭を下げるのは、浪士組へ参加したいと願い出た時との二回目である。


名前「出過ぎた事を言いました、本当にすみませんでした。罰はしっかりと受けます」


良くても数日の謹慎、最悪あれが私闘に含まれるのならば切腹だろう。
しかし名前自身はその覚悟はできていた。
髪を切ったあの日の時点で、自分の運命がどんなものになろうとも受け入れる覚悟をしている。


土方「…もういい。顔上げろ」


恐る恐る名前が顔を上げれば、落ち着いた様子の土方の顔が目に入る。
だがそれは、落ち込んでいるような表情にも見えた。

反省しきった様子の名前の顔を見た土方は、フと表情を和らげる。


土方「…考えてみりゃ、初めてかもしれねえな。お前があんだけ噛み付いてくるのはよ」

名前「…本当にすみません」

土方「いいっつってんだろ、いちいち頭下げんな」


土方の声は、昔を懐かしむようなものであった。
遠い目をしており、きっとその瞳には試衛館での暮らしが蘇っているのだろう。


土方「皆が皆、上の言いなりじゃつまらねえ。お前みたいな威勢のいい奴も必要だ」

名前「…それは…土方さんも、人の事を言えないと思いますけど」

土方「うるせえな…」


今の名前の発言は、土方が芹沢の元へ怒鳴り込みに行ったのを見抜いた上での発言である。
自分の分の怒りも土方が芹沢にぶつけてきてくれたことを、名前は分かっていた。
それに気づいた土方は、苦い顔をしている。


名前「…あの人は、何か言ってましたか」

土方「…江戸に帰るべきは総司じゃなくて俺と近藤さんの方だと、すっぱり言われちまった」

名前「…そうですか」


それだけで、名前は土方達が何を思い知らされたのか大体を察した。
彼らは芹沢のもとへ怒鳴り込みに行ったはずが、却って己の甘さを痛感するような事を言われたのだろうと。


土方「…やることも物言いも、とことん気に入らねえのに…どうしてなんだろうな。あの人に言われると、何故かグサッとくるんだ。突き刺さるんだよ。あの人と話してると…今までの俺達の考えが、どれだけぬるくて甘かったのか…思い知らされちまう」


まるで独り言のように語られたそれを、名前は静かに聞いていた。


名前「…わかります。私もあの人は苦手ですけど…あの人の言葉の節々に、"武士" を感じる事があるんです。正直、あんな風にはなりたくないですけど…戦があった頃の武士は、あんな風だったのかなって」

土方「…同感だな。元が百姓の俺や近藤さんとじゃ、根っから違うってわけか」


土方はそう言って大きく息を吐くと、ぼんやりとした表情で天を仰ぐ。


土方「…甘いと言われようが、どうしても考えちまうんだ。もしあの時、俺があんなことを言わなきゃ…総司は人殺しなんてしなかったんじゃねえかって」


憂うような表情と、弱音。
それは四年の時を共に過しながらも、名前が初めて目にするものであった。


土方「…俺は、一生武士になんてなれねえのかもしれねえな」


かなり気が滅入っているようで、その声は力無い。
土方も人間なのだから、時には弱音を吐きたい時もあるだろう。
だがそうだとしても、彼が名前に対して弱っている姿を見せるど、普段ならば有り得ないことであった。


名前「…お言葉ですが、」


名前の目が細められ、凛とした声が部屋に響く。
土方は驚いたように視線を下ろし、名前を見た。


名前「確かに私は今、"戦があった頃の武士は芹沢さんのようだったのかもしれない" とは言いました。でもだからと言って、皆が皆、芹沢さんのようである必要がありますか」

土方「……」

名前「貴方や兄様が武家の生まれではないからこそ、わかることや出来ることがあるんじゃないですか」


お節介であることは承知している。
その辺の女子より剣の扱いが多少上手いだけの平凡な自分が、口を出せる立場にはないことも。
今はただ土方に寄り添うのが一番正しいともわかっている。
しかしそれでも、言わずにはいられなかった。
それが名前の質というものである。

土方は何かを言うでもなく怒るでもなく、ただじっと名前の言葉に耳を傾けていた。


名前「貴方は私に言いましたよね、『世間から後ろ指をさされようとも、何事も貫けば誠になる』と。私は今、貴方のあの言葉を信じて此処に居ます。例え貴方がどんな風になろうとも、貴方について行く覚悟があります。貴方と兄様は、私の道標なんです。だから、」


名前は、真っ直ぐに土方を見据えた。


名前「 ─── 私が信じた貴方が抱く夢…それを否定するのだけは、どうかやめて下さい」


スッと土方の瞳が澄んだ。
まるで、雨上がりの空のように。

暫くの間沈黙が続く。
その後、ゆっくりと口を開いたのは土方の方であった。


土方「…まさか、お前に尻を叩かれる日が来るとはな…」

名前「…無礼は承知です。追加の罰ならば受けます」

土方「ンなこと言ってねえだろ、頭上げろ」


再び畳に額を付けるが如く頭を下げた名前は、土方に促されて顔を上げる。
名前が目にした彼は、口元に笑みを浮かべていた。


土方「…この間、山南さんが言っていた。お前はもっと学を積めば、優秀な論客者になれるとよ」

名前「…え?私がですか?」

土方「ああ。あん時は買い被りすぎだと思ったもんだが…今、実感した。お前の言葉は人の心を動かす。知識で上から捩じ伏せてくるわけじゃねえ、お前の言葉は心に訴えかけてくるもんがある」

名前「はぁ…そうですかね」


土方の前で今見せている彼女のきょとんとした顔は、いつものあどけなさが残る表情だ。
しかしそんな彼女は何かを語る時、人を諭す時、表情を一変させる。
真っ直ぐ凛々しい表情をして、誰もが聞き入ってしまうような言葉を紡ぐのだ。


土方「…すまねえ。みっともねえ姿を見せちまった。弱腰になっちまってたみてえだ、俺も偉そうな顔して説教なんざ出来たもんじゃねえな」

名前「いえ、私の方こそ。さっきは八つ当たりしてしまいましたし」

土方「…お相子、ってわけか。…っつうわけで、今回の事はお咎め無しだ」

名前「……えっ!?」


最低でも謹慎は食らうだろうと覚悟して来た名前だが、予想外の出来事に素っ頓狂な声を上げた。


土方「…何だ、不満か?だったら俺の横で書簡整理でもするか?」

名前「えっ、なんですかその拷問は」

土方「拷問とは何だ!!」

名前「ごめんなさい口が滑りました!!」


「さっさと戻って寝ろ!」と怒鳴られて、名前はそれ逃げろとばかりに慌てて立ち上がる。
しかし、障子戸に手をかけた名前を見て、土方は咄嗟に名前を呼び止めた。


土方「名前」

名前「はい、なんですか?」

土方「……いや、何でもねえ。忘れろ」


何かを言いかけた土方だったが、一瞬躊躇いの色を浮かべた後、そのまま口を閉じる。
きょとんとした表情になった名前であったが、すぐに小さな笑みを浮かべた。


名前「…総ちゃんの所になら、今は行きません。もう少し落ち着いたら、ちゃんと話してみようと思います」

土方「っ!…そうか」

名前「はい。では、おやすみなさい」


余計なお節介かと思って言いとどまった内容を見事に当てられ、土方は苦い顔になった。
そんな彼に向けて名前は穏やかな…それでいて少し寂しげな笑みを浮かべると、もう一度深く頭を下げて部屋を出て行った。


土方「…ったく…いつからあんなに鋭くなったんだ、彼奴は」


彼女はまだまだ幼いと思っていた。
よく喋り、よく騒ぎ、よく食べてよく怒る。
土方の中の名前は、未だ昔のままであった。

しかし、実際はどうだろう。
知らぬ間に彼女は誰よりも成長していた。
己の覚悟を示し、時には仲間を諭し、必死に自分について来てくれている。
いつまでも、ただの幼い妹分ではないのだ。


土方「…もう子供扱いはできねえってか」


嬉しいような、少し寂しいような。
なんとも言い難い感情に支配されて、土方は眉を下げて溜息を吐いたのであった…。

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