銀桜録 黎明録篇 | ナノ


2

─── 文久三年 三月一日。


名前「散々だったねぇ」

原田「全くだ」

永倉「おっ、ありがとよ」


原田左之助と永倉新八に茶の入った湯呑みを差し出せば、二人は笑ってその少女に礼を言う。
その少女・近藤名前は二人の隣に座り、自分の湯呑みで温かい茶を啜りながら一息ついた。


浪士組が何とか入京を果たしたのが先月の二月二十三日。
江戸を経ってから今までのひと月は、正に怒涛の日々であった。

まずは道中での芹沢鴨の横暴。
本庄宿という場所で不具合があり、近藤が芹沢の宿を取り忘れてしまうという事態が発生した。
そこで怒った芹沢は近くにあった建物を壊し、火を付けてしまったのである。
本庄宿の夜は天を焦がさんばかりの篝火かがりびに照らされた。
結局近藤が土下座をして詫びを入れた事でその場は収まり、何とかそのまま入洛を果たしたのであるが、芹沢一派と近藤一派の間には蟠りが出来てしまったのだった。

そして入洛したその日の夜、再び問題が発生する。
なんと、徳川家茂公が上洛した際の警護の為に浪士組を結成したはずの清河八郎が「浪士組は天朝の志士となり、外国勢力を打ち払う」という尊皇攘夷論を演説したのである。

実はこの清河という男、倒幕論を掲げる者であり、倒幕の為の数多くの志士を求めていた。
つまり「朝廷を擁立させて日本を狙う外国勢を打ち払い、その勢いに乗じて倒幕を行う」というのが清河の本当の目的だったのである。
彼は幕府を上手く出し抜く事で浪士組という組織を結成し、己の野望を果たす為に腕の良い人材を集めたのであった。

幕府によって集められた浪士組だが、清河の一連の行為は幕府への裏切りである。
また清河は江戸で攘夷を実行するため、浪士組東下希望の上書を朝廷に提出している。
それが二月三十日、つまり昨日の出来事だ。

しかし江戸へ戻る事に反対する者も多くおり、
芹沢一派と近藤一派は京へ残る方向で話を進めていて、現在に至るのである。


今はひとまず、壬生村の八木家の屋敷を借りる形でどうにか住処は確保出来た。
このひと月の間、こうして周りの者達に散々振り回され、名前達は心身共に疲れきっていたのであった。

しかし名前達よりも疲れているのは近藤と土方と山南だろう。
京に残って尽忠報国の目的を果たすため、奔走しているはずだ。
その手前彼等の前では疲労など見せることが出来ず、こうして原田や永倉と共に一息つくことが多くなってきている名前であった。


名前「…これからどうなっちゃうんだろう」


正式な拝命も支度金も無く、京へ残る為の後ろ盾も無い。
給金も無いため完全に八木家に居候している状態であり、いつ追い出されてもおかしくはない。
その現実は名前も把握しており、ついポロッと不安を零してしまう。
完全に独り言のつもりだったのだ。

ハッとして原田と永倉の顔を見れば、二人は少し驚いたような表情で名前を見ていた。


名前「…あっ、ごめん!何でもないから、今のは聞かなかった事にして!」


今の状況を不安に思っているのは皆同じはず。
だから近藤達が現状を打破するために奔走しているのだ。
そんな中、自分だけが弱音を吐くなど、それはただの甘えである。

慌てて先程の発言を撤回した名前であったが、原田と永倉は顔を見合わせてから困ったように微笑んだ。


原田「別に不安くらい吐いたって罰は当たらねえよ」

永倉「そうそう。体に毒だぜ、吐ける時に吐いときな」

名前「…でも、」

原田「いいんだよ」


原田の大きな手が伸びてきて、名前の頭をわしゃわしゃと豪快に撫でた。


原田「お前は "不満" ならとことんぶつけて話し合うのに、"不安" となると途端に溜め込んじまうからな。我慢するこたァねえよ」

名前「…うん」


やはり原田や永倉は名前よりも大人だ。
伊達に名前よりも数年長く生きていない。
優しく面倒見のいい彼らには、わかっていてもつい頼ってしまうのだ。


原田「ただ待つ身ってのも辛えよな。だが、きっと何とかなる。近藤さん達に頼るしかねえ今の状況で、俺が言っても説得力はねえかもしれねえが…。案外世の中は何とかなるもんだぜ」

永倉「そうだぜ名前。もし仮に思うようにならなかったって、お前さんだけ置いていくような真似はしねえさ。まあ、俺も待つのは得意な方じゃねえけどよ、気長に待ってみようぜ」


二人の温かい言葉が名前の心にじんわりと染みていく。

名前の頭を撫でていた原田の大きな手は、いつの間にか名前の頬をむにむにと軽く摘んでいた。
いつもの笑顔を見せてくれ、と言われているようであった。


名前「…うん、そうだよね。きっと何とかなるよね」


近藤達ならば、きっと良い方向へ事を運んでくれるはず。
任せっきりになってしまうのもどうかとは思うが、立場上、何か口を出すことはできないのだ。
現に名前や原田、永倉は数日前に「何か自分達にできることはないか」と土方に打診したのであるが、


土方「今は特にねえ。その時が来れば指示を出すから待っていてくれ」


と追い返されてしまったのである。
京都守護職の地位にある会津藩主や幕府と連絡を取らなければならない以上、平民が迂闊に行動することはできないのだ。
下手をすれば首を切られかねない時代である。
だから今、名前達にできるのは、彼等を信じる事だけなのであった。


名前「ごめん、もう大丈夫。新八さんの言う通り、気長に待ってみるよ」

原田「そうだな」

永倉「おう。まっ、左之には無理かもしれねえけどな。お前にゃ気長って言葉が一番似合わねえぜ」

名前「あははっ、確かに」

原田「…言い返してえところだが、全くもってその通りなんだよな…」


数日ぶりに、その場には笑い声が起こる。
いつの間にか辛気臭い空気が消え、試衛館にいた頃のような空気が戻ってきていた。


原田「よし。そうとなりゃ気晴らしに散歩にでも行くか」

名前「あっ、いいね!こっちに来てからバタバタしてて、全然町の様子見に行けてないもんね」

永倉「俺も行くぜ、部屋に籠りっぱなしは性にあわねえ」


二人が立ち上がったのを見て、名前は湯呑みを片付ける。
すると、ふと思い出したように永倉が口を開いた。


永倉「…そういや、平助は何処に行っちまったんだ?さっきから姿を見てねえけどよ」

原田「ん?そういやそうだな」


試衛館の面子の中でも特に仲のいい藤堂平助が、見当たらないことを不思議に思っているらしい。
藤堂の姿は、名前も今日はあまり見ていない。
何処に行ったのだろうかと頭を巡らせれば、ふと思い当たることが一つ。


名前「…もしかしたら、あの人の所かも」

永倉「あの人って誰だ?」

名前「ほら、上洛の途中でさ ─── 」


と、名前が説明を始めようとした時である。

<< >>

目次
戻る
top
×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -