2
斎藤「っ、待て、名前!!」
恐らく、斎藤でなければ名前に追いつくのは不可能であっただろう。
それほど名前の足の速さは群を抜いており、斎藤が息を切らしてしまう程だ。
しかし、名前には斎藤の声は聞こえていないらしい。
入り組んだ道を彷徨いながら、ひたすら走っている。
斎藤「っ、名前!!」
なんとか追いついた斎藤がガシッと名前の腕を掴むと、彼女はようやく足を止める。
名前「一君、どうしようっ!総ちゃんがっ、」
斎藤の方を振り返った名前は、見たこともないほど切羽詰まった表情を浮かべていた。
これほど彼女が不安を表に出すのは珍しく、斎藤は驚きで一瞬固まる。
斎藤「…分かっている。だがまずは落ち着け、焦って探したとて見つからん。副長にも言われているだろう、一人で出歩くなと」
名前「っ、ごめん…」
斎藤に諭され、名前はようやく大人しくなった。
斎藤は名前に深呼吸を促すが、大きく吐かれた名前の息は微かに震えている。
二、三度深呼吸を繰り返すと、名前はようやく冷静さを取り戻した。
名前「…ごめん、取り乱した。一君も総ちゃんを探すの手伝ってくれる?」
斎藤「ああ。複数人で探した方が効率がいい」
二人は頷き合うと、合流場所と時間を決めて、二手に別れて沖田の捜索を始めた。
入り組んだ京の路地を、名前はひたすら走った。
しかしいくら探しても沖田の姿は見つからず、名前は待ち合わせた場所へと向かう。
すると、ちょうど斎藤もそこへやって来たところであった。
名前「っ、いた?」
斎藤「いや…」
名前「…こっちも駄目だった」
一体何処へ行ってしまったのだろう。
焦りだけが募っていく。
しかし、諦めようとは思わなかった。
名前「もう少し遠くを探そう」
斎藤「ああ」
そう言って二人で頷き合った、その時であった。
名前「…っ、?」
斎藤「っ!」
遠くから、微かに聞こえた男の悲鳴。
名前はハッとしてその方向に視線を向け、斎藤は反射的に刀の柄に手をかける。
二人は息を潜めて耳を澄ますが、それ以上の物音は聞こえてこない。
名前「…ねえ、今の悲鳴…」
斎藤「ああ、この先から聞こえたようだ」
この先を行けば四条橋がある。
斎藤は闇夜の中で鋭い視線を道の先へ一瞬向けてから、名前の方へと向き直った。
斎藤「俺が行って様子を見てこよう。あんたは先に戻っていろ」
名前「ううん、私も行く」
斎藤「何があるか分からん、危険だ」
名前「それは一君も一緒だよ。一人で行動するのは危ないって、一君が言ったんだよ。だから私も行く」
こうなっては、名前は梃子でも動かない。
彼女は基本的には素直な性格だが、時折信じられないほどの頑固さを発揮するのである。
斎藤「…ならば、決して俺より前には出るな。いいな?」
名前「うん。ありがとう、一君」
結局折れたのは斎藤の方であった。
言い争っている場合ではないと判断したのである。
斎藤と名前は、共に闇夜の中を走り抜けた。
そして暫く走っていると、微かに鼻を掠めたのは血のような匂いであった。
それと同時に斎藤が立ち止まり、名前を手で制す。
雲の背後から月が現れ、闇夜に弱い光が降り注いだ。
月光によって照らし出されたのは、見覚えのある背中。
近藤によく似た髷を結ったその人物は、間違いなく沖田であった。
名前「っ!総ちゃんっ!!」
ようやく彼を見つけた。
それに、沖田の隣に殿内らしき姿はない。
殿内と一緒に居るのを見かけたという情報が間違っていたのだろうと、名前は安堵して息を吐く。
…しかし、月明かりが沖田の足元を照らし出した時。
名前「 ─── ひっ、…!?」
沖田「……名前?」
ようやく明らかになったその場の全容を見て、名前は思わず口元を抑える。
名前達を振り返った沖田は、全身に血を浴びていた。
そして彼の足元には男が倒れており、おぞましい程の血が未だ流れている。
血で分かりにくいが、男の着物には見覚えがある。
恐らく殿内だ。
殿内の体には、大きな刀傷。
そして沖田の手には、赤黒い血の滴る刀。
何があったのかなど、明白であった。
人の死体を見るのは、名前は初めてであった。
小さな悲鳴を上げただけで済んだのは幸いだろう。
名前の悲鳴は、勿論斎藤の耳にも入っていた。
名前の視界を遮るように、斎藤は名前を己の背中に隠す。
そんな二人を目にした沖田は、冷たい瞳のまま口元には笑みを浮かべていた。
沖田「…ああ、なんだ。一君もいたのか」
斎藤「…総司、」
沖田「ねえ、一君。ようやく僕も人を斬れたよ。僕も、これで君に追いつけたかな…?」
何かを言いかけた斎藤であったが、沖田の言葉を耳にして、口を閉ざす。
ただ一瞬眉根を寄せただけであり、斎藤がそれ以上何か言うことはなかった。
沖田「……名前」
名前「…っ」
斎藤の背後で、名前の体は小動物のように震えた。
しかしゆらゆらと此方へやって来た沖田は、斎藤の後ろにいた名前の腕を掴んで引き寄せ、ぎゅっとその体を抱きしめる。
先程よりも濃い血の匂いが名前の鼻を掠め、顔や着物には乾ききっていない血がべっとりと付着した。
名前「…総ちゃん…ど、して…?」
沖田の腕の中から聞こえてきた声は、か細く震えていた。
沖田「…僕は、近藤さんの役に立つんだ。もっと強くなる。だから…僕にも、居場所はあるよね?名前」
沖田の瞳には、一切の翳りが無い。
震える少女を静かに抱き締める沖田。
赤く染まったその光景を、静かに蒼色が見つめていた ─── 。
<< >>
目次