銀桜録 黎明録篇 | ナノ


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─── 文久三年 三月二十五日。

沖田が土方から「江戸へ帰れ」と言われたあの日から数日が経っていた。
名前はあの日以来、沖田と話をしていない。
ここ数日の沖田の目付きは鋭く、その視線は最早殺気すら感じるようなものであり、とても話せるような雰囲気ではないのである。

その日の夕方、名前は井吹と共に八木邸への道のりを歩いていた。
名前が土方に使いを頼まれて外に出たところ、酒を買いに行こうとしていた井吹と遭遇したのである。
そこで一人では出歩くな、と土方から釘を刺されていた事を思い出した名前は、井吹と共に用事を済ませることにしたのであった。

名前は無事に使いも終えて井吹も酒を購入したため、帰り道をのんびりと歩いているところである。


井吹「…なあ、名前」

名前「うん?」

井吹「…あれから沖田と話したのか?」


単刀直入に聞いてくる井吹に、名前は苦笑いを浮かべて首を横に振った。


名前「…してない」

井吹「…あんたらは仲がいいんだろ?このままでいいのか?」

名前「…良くないよ。だけど今はまだその時じゃないなって。総ちゃん、まだピリピリしてるし」


井吹の方に向けられていた名前の視線が、闇夜に溶け始めている地面へと落とされる。


名前「…悔しいけど、土方さんの言う通りだもん。今は私が声をかけても、総ちゃんを刺激しちゃうだけだなって」

井吹「…そうか?俺にはそこがよく分からないよ」

名前「まあ、長いこと一緒にいた分色々あるからさ。今私にできるのは、総ちゃんが落ち着くまで待つことだけなの」

井吹「…色々難しいんだな」


井吹には理解し難いらしく、酒壺を抱えたまま難しい表情を浮かべている。


名前「でも、龍之介の言う通りだよ。このままで良いわけがないからね、私も嫌だし。気長に待って、ちゃんと総ちゃんと話してみようと思う」

井吹「ああ」

名前「ありがとね、心配してくれて」

井吹「…べ、別にそんなんじゃない。ただあんた達がギクシャクしてると、俺も落ち着かないっていうか…」

名前「あー、それはごめん…」


名前と沖田の間に見えない壁ができてからというもの、騒がしかった八木邸は静かになっていた。
そうなると井吹もあまり落ち着かないらしい。
それに関して名前が謝罪を入れた、その時であった。


藤堂「 ─── 名前、龍之介!」

名前「あれ、平助?どうしたの?」


藤堂が八木邸の門から出て来て、名前達の姿を見つけるなり此方に向かって走ってきた。
なんだか、酷く焦っているようだった。


藤堂「総司を見なかったか?」

井吹「沖田を?」

名前「いや、見てないけど…。どうしたの?」

藤堂「夕飯の時間だから部屋に呼びに行ったんだけど、何処を探しても見当たらねえんだよな…」


どうやら沖田が居なくなってしまったらしい。
名前は井吹と顔を見合わせてから、怪訝そうに眉を顰めて考え込んだ。
何だか嫌な予感がしたのである。

するとそこへ、同じく沖田を探しているらしい斎藤と原田もやって来た。


斎藤「殿内と歩いていたらしいのだが」

井吹「…殿内?」


斎藤のその言葉に反応したのは名前ではなく、意外にも井吹であった。
それはただ聞き返したのではなく、何やら思い当たるところがあるような言い方だ。


原田「お前、何か知ってるのか?」

井吹「…あ、いや…実は ─── 」


一瞬躊躇いの表情を見せた井吹であったが、意を決したように話し始める。
その内容は、誰もが想定していなかったものであった。

なんと、芹沢派の隊士である殿内という男が、近藤の暗殺を示唆するような発言を芹沢にしていたというのである。
それ加え、芹沢は沖田にその事を伝えたというのだ。

そもそも試衛館の面々以外と殆ど関わりを持とうとしない沖田が、殿内と二人で出かけたというのは不自然な話である。
現に名前達は、沖田が殿内と話していた様子を今までに一度も見たことがない。

そして、沖田の近藤への忠誠心は本物だ。
恐らく彼は、近藤の為ならば何でもするだろう。

…もし近藤暗殺の情報を沖田が信じ込み、その上で殿内と一緒にいるとしたら。
名前は、サッと顔の血の気が引くのを感じた。


名前「平助、これ土方さんに渡しておいて!」

藤堂「はっ!?お、おい、何処行くんだよ!?」

名前「総ちゃんを探してくる!!」


名前は懐に入れていた文を藤堂に押し付けるなり、来た道を全力疾走で引き返して行く。
その場に残された者達が戸惑う中、走り去った名前の背中を追いかける者が一人。


斎藤「名前、待て!」


井吹達の横を風が吹き抜けて、斎藤は闇夜の中を名前を追いかけて行ってしまったのである。

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