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名前が近藤に頼まれていた使いから戻った時、道場の中からは奇妙な音が聞こえていた。
木刀で打ち合う音ではなく、まるで何かを殴りつけるような…。
そこで少し前に兄弟子達が沖田に折檻をしていたという話を思い出し、名前は急いで道場へと入る。
「 ─── そらそらっ!」
「どうした、もう終わりか?」
「なんだァ?その目は!」
そこに広がっていた光景は、まさに地獄絵図。
普段は優しいはずの兄弟子達が悪魔のような顔をして、沖田を木刀で殴りつけている。
自分より背も大きく力も強い兄弟子達に殴られ、沖田の小さな体は何度も床に強く叩きつけられていた。
苦しげに顔を歪めながらぜえぜえと息を切らし、兄弟子達を睨みつけている沖田。
そんな彼に向かって、一人の兄弟子が木刀を振り上げる。
…持っていた風呂敷包みが床に落ちるよりも早く、名前は地を蹴っていた。
─── ドガッ…
沖田「 ─── っ、!!?」
鈍い音が響き渡る。
しかし、宙を舞って床に叩きつけられた体は沖田よりも小さい。
名前「げほっ、…!!」
「なっ…!!」
「名前!!?」
顔半分を押さえて倒れ込んだのは、名前であった。
予想外の出来事に、兄弟子達はぎょっとしたように目を見開いて顔を青くする。
しかし小さなその少女は痛みなど感じていないかのように、ゆらりと起き上がって兄弟子達を睨みつけた。
名前「…な、に…してるの。にいさん」
額と耳付近から流れる鮮血が、道場の床へ滴る。
兄弟子達へ向ける彼女のその視線は、齢六つとは思えないほどの殺気を放っていた。
「兄貴、拙いって!!」
「くそっ…おい、沖田!若先生にこの事を言いつけたら、ただじゃおかねえからな!!」
そう言って兄弟子達は各々木刀を持つと、酷く焦ったように道場から出て行った。
その場に残されたのは名前と沖田の二人。
名前の視線が、ゆっくりと沖田へ移る。
名前「…だい、じょうぶ?…そうじ、くん」
沖田「…っ、!!」
顔半分が鮮血で汚れている名前は、優しい笑顔を浮かべていた。
それは何度沖田が突っぱねても彼女が毎日のように向けてくる、いつもの笑顔であった。
沖田は驚愕のあまり言葉を失い、小さく息を飲む。
名前「…そうじくん。いたく、ない?」
名前は固まっている沖田に近づくと、痣だらけになっている沖田の手に触れ、優しく撫でた。
名前「…いたいの…とんでいけ」
血を流しながらも沖田の体を気遣って笑う彼女は、誰よりも健気であった。
そんな名前を見る沖田の瞳は大きく見開かれており、淡萌黄が一瞬潤む。
しかし次の瞬間沖田は立ち上がり、物凄い勢いで道場を走って出て行ってしまった。
名前「……」
やはり駄目か、と名前は小さく息を吐いて肩を落とす
顔に触れれば、どろりとした赤い液体が手にべっとりと付いた。
…痛い、けれど。
沖田が感じていた痛みに比べれば、こんなのはなんてことない。
名前「…ち、…ふかなきゃ、」
ああ、着物にも血が付いてしまった。
床にも跡が残っている。
早く拭かなければ。
顔の右半分を押さえ、名前はフラフラと道場の入口へと向かう。
…しかし、その時である。
バタバタと足音が近付いてきたかと思うと、酷く焦っているような表情の沖田現れた。
彼の手には救急箱が抱えられている。
戻って来た沖田を名前がぽかんとして見ていると、彼は名前を無理やり床に座らせて、額やら耳やらに血止めの薬を塗りたくる。
途端に名前の体は魚の如く飛び跳ねた。
名前「いっ、うぅ…!やだぁ、いたいっ…!」
沖田「…うるさい。がまんして」
薬が傷口に染みて、燃えるように熱い。
嫌だ嫌だと暴れる名前であったが、それを沖田は押さえつけて無理やり手当てを行っている。
彼の手当ては手際が良く、幼いながら慣れている者の手つきであった。
きっと毎日自分で自分の手当てをしていたからだろう。
気づいた時には手当てが終わっており、名前の顔は止血を施され、丁寧に包帯まで巻かれていた。
名前「…あり、がとう」
予想外の事に目を丸くしながらも、名前は沖田に礼を言い、にへらっと笑う。
しかし、名前を見下ろす沖田の瞳は相変わらず冷たかった。
沖田「…余計なこと、しないでくれる?助けてなんて言ってない。そんなものいらない」
名前「……」
沖田「それとも何、恩でも売ってるつもり?ぎぜんしゃ、ってやつだろ?だいきらいだ、お前みたいなやつ。うっとうしいから、ぼくに近づくな」
沖田は、思いつく限りの刃物のような言葉を名前に浴びせた。
自分には、近づかないでほしかったから。
二度と自分に近づかないよう、勢いに任せて罵倒する。
しかし名前は、きょとんとした表情で沖田を見上げていた。
それがまた沖田を煽る。
沖田「っ、お前も兄弟子さんたちと同じだ。ぼくをかわいそうだって思うから…だから、ぼくに近づくんだろ!?そうやって、へらへら笑いながら!かわいそうだって、お前もぼくをばかにするんだろ!?そうやって思ってるんだろ!?」
沖田のその声はほとんど叫びに近かった。
沖田が今まで抱え込んでいたものが、溢れ出してしまったかのようであった。
言い終えてからぜえぜえと息が切れるほどの勢いで、まくし立てる。
しかし、
名前「おもわないよ」
沖田「 ─── っ、!!?」
沖田は、ひゅっと息を飲んだ。
焦茶色の瞳が、沖田を射抜いたからである。
先程といい今といい、彼女のこの瞳はなんなのだろう。
真剣な眼差しとも殺気ともとれるような、この力強く真っ直ぐな瞳は。
名前「その人がそこにいるのは、何かいみがあるからだって、にいさまが言ってた。だから、かわいそうなんておもわないよ」
沖田よりも小さな体の名前。
だが沖田には、なぜか彼女が自分よりも大きく見えた。
名前「わたしは、そうじくんと友だちになりたい」
沖田「…っ、!!」
一体彼女は、何なんだ。
沖田にとって名前は、得体の知れない存在となっていた。
同情の色など一切無い瞳で「友だちになりたい」と言われたのは、沖田は初めてだった。
意味がわからない、訳が分からない。
どうすればいいのか分からなくなった沖田は、その場から走り去った。
ぽつんと一人残された名前は、沖田の去っていった方向をじっと見つめていた。
─── それから数日後。
近藤周斎の提案で、沖田対兄弟子という試合形式で稽古を行うことになった。
その兄弟子は、沖田をいじめていた者の中心人物であった。
やはり体格差は沖田にとって不利であり、沖田の小さな体は簡単に吹っ飛ばされてしまう。
しかし沖田は試合の継続を望んだ。
名前はその様子を、固唾を飲んで見守っていた。
─── そして。
沖田の鋭い突きが、兄弟子の鳩尾を直撃する。
「一本!」という近藤の声が響き渡った。
あれほど打ちのめされていた沖田が、試合で兄弟子に勝ったのである。
自分の力で勝利をもぎ取った沖田は、近藤によって力強く抱き締められていた。
近藤「お前はよくやった…。こんなに小さな体で、本当によくやった…!」
そこで沖田は、あることに気づく。
それは、近藤が一度も沖田を可哀想だとは言わなかったということだった。
沖田を励まし続け、今までの人生には必ず何かしらの意味があると教えてくれた。
その意味が、沖田には分かった気がした。
沖田「ぼく、近藤さんのために…もっともっと強くなるために、ここに来たんだ」
そう言って沖田は、笑顔を見せた。
彼が試衛館に来て、初めて見せた笑顔であった。
名前「そうじくん、そうじくんっ!」
可愛らしい声が聞こえて沖田が振り返れば、そこにはいつの間にか、頭に不格好に包帯を巻いた名前がやって来ていた。
近藤が沖田を離すと、名前はきらきらとした眼差しを沖田に向けて話し始める。
それは沖田への、尊敬の眼差しであった。
名前「すごいね、そうじくんすごいね!すっごくかっこよかったよ!そうじくん、つよい!すごい!かっこいい!」
まるで自分が試合に勝ったのかというくらい飛び跳ねて、大喜びしている名前。
そんな彼女を見て一瞬呆気に取られた沖田だが、すぐに表情を和らげた。
彼女も、近藤と同じであったことを思い出したからだ。
名前は沖田を可哀想などと馬鹿にするどころかそんな事は考えもしておらず、さらには友達になりたいとまで言ってくれた。
沖田と関われば、今度は名前が兄弟子達に目を付けられるかもしれないのに。
そんな事はお構い無しで、沖田と友達になりたいと名前は言ってくれたのだ。
彼女の言葉には、同情が含まれていたことはない。
いつだって、心の底から出た言葉であった。
沖田「…このまえは、ひどいこと言ってごめん。今までも、冷たくしてごめん」
しっかりと、深く頭を下げて沖田は謝る。
少しの間頭を下げてから顔を上げれば、名前はふるふると首を横に振って笑った。
名前「わたしは、そうじくんが笑ってくれたら、それでいいの」
本当にこの子は六つなのかと沖田は笑った。
そのまま沖田は、名前の手を引っ張って彼女の体をぎゅっと抱き締める。
沖田「…助けてくれてありがとう。友だちになりたいって言ってくれて、ありがとう」
名前の瞳が大きく見開かれた。
しかしそれは、すぐに三日月のような弧を描く。
小さな名前の腕が、沖田の背中に回された。
名前「 ─── うん!総ちゃんっ!!」
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