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原田「 ─── 名前、入ってもいいか?」
夕餉を終えるなり、名前は自室に引きこもっていた。
沖田に突き放されるのは本当に久しぶりで、気が動転してしまったのである。
部屋の隅で膝を抱えて座り込んでいると、障子戸越しに原田の声が聞こえた。
「うん」と頷いた声は酷く小さかったが原田はしっかりと聞き取ってくれたようで、スッと静かに障子戸が開く。
膝に顔を埋めている名前を見た原田は困ったように眉を下げると、何も言わずに彼女の隣に座った。
そして大きな手で、何度も優しく彼女の頭を撫でる。
名前「…総ちゃんは…?」
原田「近藤さんが探しに行った。だから大丈夫だ」
名前「…そっか」
最低限の事だけを話す原田。
何かを聞き出すような事はせず、ただただ名前の頭を撫でてくれていた。
そんな彼の気遣いは酷く胸に染みる。
ここで涙でも流せれば幾らかは女らしいというものなのだろうが、生憎好きな時に涙を流す特技など名前は持ち合わせていない。
名前「…総ちゃんのことなら、何でも知ってるつもりだった。でも…傲りだったのかもしれない。私、総ちゃんの事何にもわかってなかった」
恐らく沖田は焦っていたのだろう、と名前は思う。
今まで隣を歩いていたはずの仲間は、知らぬ間に一歩一歩と自分よりも前に進んでいて。
近藤の役に立ちたいとついて来たはずなのに、きっと自分だけが何も出来ていないように思えて。
彼が感じていたのは、" 孤独 " 。
様子がおかしいと感じた時点で、気づくべきだった。
自分が、誰よりも多くの時を共に過ごした自分が、気づかなければならなかった。
名前「…ずっと一緒にいたのに。なんで気づけなかったんだろう」
悔しかった。
自分が、誰よりも沖田と仲がいいと思っていただけに悔しかった。
原田「…名前。気持ちは分かるが、そこまで自分を責めるこたァねえよ。酷な事を言うが…どんなに長い時間を一緒に過ごそうが、自分以外の奴の気持ちを完全に理解しようなんざ、無理な話だ」
名前「…わかってる。わかってるよ」
原田の言う通り、他人の心の内を完全に理解するなど不可能だ。
どんなに一緒に過ごそうが、言ってもらえなければ分からないこともある。
しかし、そうではないのだ。
名前が心を痛めているのは、彼の焦りに気づけなかったからではないのだ。
名前「…総ちゃんが試衛館に来たのはね、総ちゃんが九歳の時だったの。私が六つの時だった」
原田「…っつうと…十二年前か」
名前「うん」
突然始まった昔話。
しかし原田は動揺する事もなく、相槌を打ちながら話を聞いてくれていた。
名前「総ちゃんはね、小さい頃にご両親を亡くしてて、お姉さんのみつさんが総ちゃんを育ててくれたんだって。だけど生活が苦しかったみたいで、試衛館に預けられたんだって」
原田「…そうだったのか」
名前「…総ちゃん、全然心を開いてくれなくてさ。あの頃は総ちゃんが笑ったところを見た事がなかった。特に私には凄く冷たくて、毎日私から声をかけては総ちゃんに無視されての繰り返し。『鬱陶しいから近づくな』って言われたこともあったな」
原田「……」
名前「…ご両親を亡くして、家族とも離れ離れになっちゃったから、寂しいんだろうなって…勝手に思ってた」
勿論、預けられた当初はそうだったのだと思う。
まだ九つの幼い子供が、知り合いもいない所に預けられたのだから、心を開けないのも無理はない。
だが、実際は違った。
名前「…総ちゃん、いじめられてたの」
原田「…いじめ、だと?」
名前「うん。兄弟子…兄さん達に。私が外で畑仕事をしてる時とか、お使いに行ってる時とか…絶対に私が道場の中にいない時に、兄さん達は総ちゃんをいじめてた」
近藤が沖田へのいじめに気付き、兄弟子達を叱っていた。
その時名前は、初めて沖田がそんな目に遭っていた事を知ったのである。
名前は近藤の妹であることや試衛館唯一の女子ということ、そして愛らしい容姿と人懐っこい子犬のような性格であったことが幸いして、兄弟子達からは比較的可愛がられていた。
そんな彼らが沖田をいじめていたと知り、目の前が真っ暗になった事を今でも覚えている。
しかし近藤によって咎められた後も、兄弟子達の沖田に対するいじめは続いた ─── 。
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