銀桜録 黎明録篇 | ナノ


1

名前が土方の元へ行って仕事とは何かと聞くと、言い渡された仕事は「……夕餉を作っとけ」であった。
何とかその場で捻り出したような内容を聞き、やはりあの場は斎藤が手を回していてくれたのだと名前は確信する。

井上と買い出しに行き、帰ってきてから島原へ行かない者達の分の夕飯を作る。
作る食事は近藤と土方、山南、井上、そして名前の分だ。
いつもより少ない量になんだか違和感を覚えつつも、井上と会話に花を咲かせながら料理を作る。


井上「しかし、本当に良かったねぇ。会津公が我々の後ろについてくれるとは」

名前「はい!凄く心強いですね」

井上「ああ。勇さん達もそれはそれは喜んでいるだろうに」

名前「…でも、ちゃんとお給金が貰えるといいですよね。いつまでも八木さん達に甘えているのも申し訳ないですし…」

井上「ああ、そうだねぇ。やはり何事も支援が無くては、活動も制限されてしまう」


会津公が浪士組を預かってくれるとは言っていたものの、給金の話が一切されない事が気がかりだった。
ほんの少し肩を落とした名前。
だがそれを見た井上は、名前を元気づけるように明るい声を出す。


井上「だが、きっと大丈夫さ。勇さんもトシさんも山南さんもよくやってくれている。きっと会津公が認めてくださる日が来るはずだ」

名前「…そうですよね。兄様達なら、きっと大丈夫ですよね」

井上「ああ、そうだとも」


井上の声色は柔らかく、穏やかである。
しかしその言葉にはいつも力強さがあり、本当に大丈夫だと思えてくるのだから不思議だ。

浪士組のために奔走している近藤や土方、山南を支えているのは、間違いなく井上だろう。
あの土方が信頼を置き、相談を持ちかけて頼るような人物だ。
年長者なだけあって誰よりも落ち着きがあり、いつでも後ろを守ってくれているその存在には安心感がある。
井上の存在があるからこそ、土方達は走れるのだろうと名前は思う。


井上「トシさん達の為にも、美味しい夕餉を作ろう」

名前「はい!」


名前は笑顔で頷き、途中になっていた大根の皮むきを再開した。

…しかし、その時であった。


名前「…?」

井上「…なんだか騒がしいねぇ」


外からバタバタと足音が聞こえたかと思うと、「土方さん!!」という藤堂の焦ったような声が遠くから聞こえてきた。


井上「…藤堂君の声だ」

名前「はい。…でも、変ですね」

井上「ああ」


藤堂は、芹沢達と共に島原へ行っているはずだ。
帰って来るには早すぎるし、いやに慌てているようである。


名前「私、ちょっと見てきますね。源さんは火をお願いします」

井上「ああ、頼むよ」


包丁と大根を置き、名前はパタパタと駆けて様子を窺いに行く。


名前「 ─── わっ、!?」

土方「っと、すまねえ」


曲がり角を通りかかった時、突然そこから出てきた人物にぶつかり、名前はよろめく。
出てきたのは土方だったようで、彼は難なく名前の体を片手で支えた。


土方「大丈夫か」

名前「は、はい」

土方「そうか。悪ぃな、急ぎだ」

名前「えっ、あの土方さん!?何処行くんですか、夕餉そろそろできますよ」


名前を支えていた土方の手はすぐさま離れ、酷く焦ったように玄関へと向かっていく。
名前が呼び止めれば、土方は一瞬振り返った。


土方「島原だ。芹沢さんがまたやらかした」

名前「えっ」

土方「夕餉は源さん達と先に食べてろ、俺と近藤さんは後で食う」

名前「わ、わかりました」


早口で名前に指示を出した土方は、漆のように綺麗な髪を靡かせ、風を切るように去って行った。

残された名前はぽかんとして佇んでいたが、やがて小さな溜息を吐く。
また芹沢か、と。

組織というのは、たった一人の行動によって全体の印象が左右される事がある。
それが立場が上の人物であれば尚更だ。
芹沢の行動は、浪士組の印象を悪くするような横暴が多すぎる。


名前「…大丈夫かなぁ」


天を仰いで呟かれたその言葉は、誰にも聞かれることなく春宵の空に消えていった…。

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