銀桜録 黎明録篇 | ナノ


1

─── 文久三年 三月十二日。

昼時、浪士組一同は広間に集められていた。
集まった顔ぶれを見て、近藤は意気揚々と口を開く。


近藤「皆、聞いてくれ。先程、京都守護職であられる会津公より書状を賜った。正式に我々をお預かり下さるそうだ」


浪士組は会津藩から残留許可を得て、正式に会津藩預かりとなる事が決定した。
それはつまり、浪士組は会津藩の支配下に置かれるということ。
ようやく活動の為の後ろ盾が見つかったのだ。

近藤からもたらされた朗報に、どっと歓声が上がった。
そこには喜びや安堵など、様々なものが混じっている。
勿論名前も例外ではなく、ほっと息を吐いていた。
京へ来たことは無駄足にならなかったようだ。


新見「幕府をも動かすとは、流石芹沢先生!なあ、殿内君?」

殿内「全くです」

芹沢「ふん、大袈裟な」

新見「いえいえ、先方も言っていたではありませんか。芹沢先生を中心に隊をまとめるのであれば、残留許可を出すと」

殿内「芹沢殿無くしてこの成果は有り得ませんよ!」


何ともわざとらしいやり取りである。
近藤一派が勝手な真似をせぬよう、釘を刺しているのだ。

ムッとした名前であったが、何も言わぬ土方や山南を見て何とか怒りを鎮めた。
土方達は素知らぬ振りをしているようで、内心は苛立ちを抑えていることを察したからだ。


芹沢「さて、では島原で祝杯でもあげることにするか」


話は終わったらしく、続々とその場にいた者達が立ち上がり始める。
芹沢は新見達を連れてまたいつもの様に島原へ向かうようだ。


名前「よかったね、一君!これから忙しくなるかもね」

斎藤「ああ、そうだな」


隣にいた斎藤に声をかければ、彼も小さく笑みを浮かべて頷いた。
忙しくなる、というのはこの場にいる者にとっては嬉しい事なのである。
それはつまり、会津公に認められた事になるのだ。

すると、斎藤の隣にいた沖田もひょいと話に加わってくる。


沖田「名前、今日はこれから何するの?」

名前「んー、夕餉の買い出しに行こうかな。総ちゃんか一君、一緒に来てくれない?」

斎藤「ああ、構わん」

沖田「いいよ。今日は何を作るの?」

名前「お祝いにちょっと奮発しようかなって。お鍋とかどうかな」

沖田「へえ、いいじゃない」


沖田が笑みを浮かべれば、名前も「本当!?よかった」と言って笑った。


名前「あ、一君!お豆腐も買おうね」

斎藤「!…ああ」


二年程前に話した自分の好物を名前が覚えていた事に驚いたらしく、斎藤は一瞬目を見開いた。
しかしそんな斎藤の様子には気づいていない様子で、名前は沖田と会話をしている。


沖田「名前、僕にも買ってよ」

名前「金平糖は無理だよ、高いもん」

沖田「えー」

名前「…じゃあ、甘味処に行く?お金無いから高いのは買えないけど」

沖田「やった。さすが名前」

名前「もう、調子いいんだから…」


これではどちらが歳上なのかわかったものではないが、相変わらず名前は細やかだ。
どうやら彼女は、試衛館に居た者の好みは全て把握しているらしいのである。

自分の好物を覚えてくれていたという小さなことであっても、斎藤からすれば嬉しい事だ。
勿論それは、殆ど顔には出ていないが。
何にせよ、夕餉が楽しみなのは名前も沖田も斎藤も同じである。

…しかし、そんな思いは早々に打ち砕かれることとなった。


芹沢「永倉君、付き合いたまえ」

永倉「い、いや〜、俺みたいなガサツ者が一緒だと、芹沢さんの名前に傷が付いちまうし…」

芹沢「同輩が多少無茶をした所で傷が付くような安い名など持ってはおらん」


永倉が芹沢に捕まってしまったようだ。
何やら嫌な予感がして名前は沖田や斎藤と顔を見合わせた。


永倉「へ、平助と左之も行こう!大勢の方が楽しいしな!総司と斎藤と名前も行くよな!な!?」


完全にとばっちりである。
永倉の笑顔は引き攣っており、助けを求めているようであった。
しかし、己の危機を察知しているのは永倉だけではない。


名前「(ど、どうしよう…!)」


名前は、サッと顔の血の気が引いていくのを感じていた。
手首にはじわじわとあの時の縄の感触が、口内には布の味が蘇り始めており、酷い吐き気が込み上げてくる。

だが、他の皆も永倉の道連れになっている状況で何と断ればいいのか。
今の名前の回らない頭でその答えを出すことは、不可能に近かった。

どうすることもできず、おろおろとしていた時。
ふと、先程まで隣にいたはずの斎藤が居なくなっている事に気づく。
かと思えば、


土方「 ─── 名前!」

名前「っ!?は、はいっ!!」


突然鋭い声で名前を呼ばれ、名前は驚いて脊髄反射で返事をする。
混乱した頭で土方の方を見れば、彼はいつもの様に眉間に皺を寄せていた。


土方「お前は居残りだ、仕事がある」

名前「…へ?は、はい…」


土方の言葉に、名前は目を瞬かせた。
此方へ来てから、土方から何か個人的に仕事を頼まれた事は未だに無い。
強いてあるとすれば、京の見回りくらいである。
それなのに、何故急に。

思いがけず免れた島原行き。
首を傾げながら返事をすれば、ふと土方の横に立つ人物に視線が移る。
そこに居たのは、いつの間にか移動していたらしい斎藤だった。
そんな彼が土方と、一瞬だけ目配せをしているのを見て。
あっ、と名前はその瞬間に全てを理解する。

斎藤へ声をかけようと、名前は慌てて彼の元へ行こうとするが…。


原田「名前、今度は何しでかしたんだ?」

藤堂「お前だけ居残りって…どんだけひでぇ悪戯したんだよ」

名前「えっ!?あ、えーっと…。もしかしたらあれかも、豊玉発句集を勇坊に読み聞かせたことかも」

藤堂「何やってんのお前!?」


苦笑い気味の原田と藤堂に声をかけられた。
その間に斎藤は部屋に戻ってしまったらしく、気づけば彼は広間から姿を消していたのである。

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