銀桜録 黎明録篇 | ナノ


3

庭へ着けば既に皆は揃っており、永倉と斎藤は血塗れた着物を脱いで待っていた。
二人が体を拭いている間、名前は彼らの着物を洗う。
その間に永倉が事態の説明を始めた。


永倉「 ─── 俺達はその不逞浪士が逃げ込んだ旅籠に押しかけたんだが、番頭に止められたんだ」

山南「止められた…?」


山南が怪訝そうに一瞬眉を顰めて聞き返す。
名前も思わず手を止めて、永倉の顔を見上げた。


永倉「ああ。" お前らはどこの命令でやってるんだ "、" 町方を通せ " の一点張りでな」

土方「…それで浪士共を逃がしちまったのか」


名前は再び視線を盥に移し、永倉の着物にこびり付いた血を擦る。
すると先に体を拭き終えたらしい斎藤が名前と向かい合うように屈み、何も言わずに自分の着物を洗い始めた。
二人の手が触れる水が徐々に赤く染まっていく中、その手や体に一切傷を負っていない事に名前は安心するが…。


斎藤「……」


ふと、斎藤と目が合った。

斎藤は、人を斬った後だというのに酷く冷静である。
永倉もいきり立ってはいるものの、人を斬った事に動揺している様子は一切無い。
いつか名前も、誰かを斬らなければならない時が遅かれ早かれ来るはずだ。
そんな時、自分は冷静に対処できるのだろうか。


名前「……」


名前は、何も言わずに目を伏せた。

土方達に大口を叩いて此処まで来た手前、今更怖いだの何だのとは言うことは出来ない。
自分は、もっと強くならなければならないのだ。
己の成すべき事を成す為に。


永倉「ったく、京の奴らは何考えてんだろうな。不逞浪士を庇うとはよ」

山南「我々にはまだ何の実績もありませんし…。それに尊攘派、特に長州の浪士は金払いがいいと聞きます」


山南の言葉に、永倉は悔しそうに舌打ちをして顔を歪めた。


永倉「…名前、ありがとよ。後は俺がやるぜ」

名前「うん。…あ、顔にまだ血が付いてるよ」

永倉「…お、すまねえな」


洗濯を永倉と代わるが、彼の顔にまだ血が付着している事に気づいた名前は、持っていた手拭いを濡らしてその部分を拭う。

そんな時であった。


沖田「…人を斬った後なのに、一君は落ち着いているんだね」


聞こえてきた言葉に、名前はふと沖田の顔を見る。
なんだか苛立ったような、棘のある言葉のように名前には聞こえたのである。
斎藤の背中をじっと見つめる淡萌黄の目は鋭く、斎藤を睨んでいるようにも見える。


名前「…総ちゃ、」

土方「斎藤。お前は連中と斬り合ってみて、どう思った?」


沖田の様子に妙な胸騒ぎを覚えた名前は声をかけようとするが、それは土方の声によって遮られてしまった。
土方の問いを受けた斎藤は静かに立ち上がり、袖をたくし上げていた襷を解く。


斎藤「…多くは、大した剣技も持たぬ者ばかり…が、こちらの人数は限られております故、敵に囲まれた時の事を考えると不安があります」


斎藤の返答を聞き、土方は眉間に皺を寄せて気難しい表情を見せる。


土方「と言っても…新たに隊士を入れ鍛え上げるには時間も金もかかる。まず、絶対に一人になるな。殺されちゃ何の意味もねえ。…おい、いいか名前。特にお前だ」

名前「えっ」


突然名指しで呼ばれ、名前は小さく肩を跳ねさせる。
名前が其方を見れば、土方は鋭い目付きで名前を見ていた。


土方「お前は絶対に一人で出歩くんじゃえねぞ。お前には使いを頼む事も増えるだろうが、必ず誰かと一緒に行け。いいな?」

名前「はい、分かりました」


自分の身を案じてくれているのがわかるので、名前は素直に頷く。
正直名前自身も、不逞浪士に囲まれてしまった時にはその場を切り抜けられるか不安なのである。
もっと鍛錬を積まなければ、と名前は手拭いを握り締めた。


永倉「…とにかく、今の俺達にゃ出来る事が少な過ぎる。なあ、会津藩への働きかけはどうなったんだ?」

山南「近々、正式に会津公に京への残留を求める嘆願書を提出することになりました」


嘆願書…。
先程もその言葉を聞いたような、と思い返せば、土方が山南の所へやって来た時に嘆願書がどうとか言っていたことを思い出す名前。
どうやらあれは、会津公に浪士組の京への残留を求めるものだったらしい。


名前「…許可は下りそうですか?」

山南「…わかりません。先方の返事何如では、京からの撤退もありえます」


全員の表情が途端に沈む。
せっかく京まで来たというのに、志半ばで終わってしまうのだろうか。


山南「…ま、芹沢さんの人脈と動き次第、というところでしょうか」


山南のその言葉に、土方の眉間に更に皺が寄った。
恐らく、犬猿の仲である芹沢に頼らねば何も進まないというこの現状が嫌なのだろう。
名前ですら気づいたのだから、山南が気づかぬはずが無い。


山南「…利用していると思えばいいのですよ」

土方「俺にはそこまで割り切ることなんざできねえよ。青臭えって言われりゃそれまでだが…」


少し困ったような顔で土方にほほ笑みかける山南だが、土方は苦い顔で返す。


土方「いつか絶対あの人を出し抜いて、近藤さんを押し上げてみせる」


そう言い放つ土方の本紫色の瞳は強い色を放っていた。
固い決意をしている瞳だ。

芹沢一派と近藤一派の和解というのは、恐らく今後も行われる事は無いのだろう。
京に残った同じ浪士組だというのに、またもや分裂し始めているのだ。
平和第一主義の名前としては少々複雑な気分だが、組織というのは仲良し小好しをすればいいというわけではない。
理想と違い、現実とは上手くいかないものなのだ。

その後は何も言葉を発さずに、名前は黙ってその場に立ち尽くしていたのである。

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