銀桜録 黎明録篇 | ナノ


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──── 文久三年 三月六日。


土方「山南さん、入るぜ」


そう言って山南の部屋の襖を開けた土方だが、目の前の光景に目を瞬かせた。


山南「これは土方君、どうかなさいましたか」

土方「ああ、嘆願書の件で少しな。…にしても、二人で何やってんだ?」


土方の視界に入るのは、普段通りにこやかな山南ともう一人。
文机に向かい集中した様子で筆を動かしている名前である。


山南「名前さんが手習いを見てほしいというので。一昨日から、彼女の字を見ているのですよ」


山南の言葉を聞いて、土方は意外そうな表情で名前の方に視線を移した。


土方「彼奴が?」

山南「ええ。何でも、文の清書くらいはできるようになりたいとのことでして」

土方「清書だァ?なんで彼奴が…」

山南「少しでも土方君の負担を減らせるようにと言っていましたよ」

名前「あっ、ちょっと山南さん!そういうのは言わないでくださいよ!」

山南「これはこれは、失礼致しました。つい口が滑ってしまいました」


山南の唐突な暴露に、ぎょっとしたように名前が声を上げた。
山南は口では謝っているものの、何やら微笑みを浮かべている。

名前は寺子屋へは通っていたが、人並みに読み書きができる程度。
達筆というわけではないため、文の清書を行うとなると難しいだろう。
しかし今後も忙しくなるであろう土方達の負担を少しでも減らせないかと考えた結果、達筆な山南に手習いを施してもらうという結論に至ったのであった。

彼女なりに、山南に言われた "今必要とされているのは何か" を考えたようだ。
勿論あの日の二人の会話など、土方は知る由もないのだが。


土方「…最近のお前は不気味な程に健気だな、変な病にでもかかってんじゃねえのか」

名前「不気味とはなんですか、失礼な!!これでも色々考えてるんですよ!!」


名前は基本的には素直な人柄であるが、土方に対しては別である。
日頃から悪戯を仕掛けてきたせいか、彼の前で素直になるのは些か恥ずかしいのだ。
そして土方も、彼女に対しては素直になれないのだが。

気恥ずかしさから土方の役に立ちたいと本人には直接言えない名前と、照れくさくて彼女には上手く礼を言えない土方。
妙な部分でこの二人は似ている、と山南はギャーギャーと言い合いをする二人を興味深げに眺めていた。


山南「名前さん、手が止まっていますよ」

名前「あっ、すみません!」

土方「…ったく、やるなら集中してやれ」

名前「とか言っちゃって、土方さんってば素直じゃないんだからー(棒)」

土方「後で部屋に来い、説教だ」

名前「集中してるので聞こえませーん!」

土方「都合のいい耳してんじゃねえよ!!」


山南からしてみれば、相変わらず騒がしい二人である。
だがこのひと月は彼等の言い合いを耳にする機会が減っていたので、その光景にはなんだか安心するものがあった。

…しかし、土方の拳骨が名前の頭に直撃した、その時である。


勇之助「 ─── うわあああんっ、怖いよぉぉぉっ!」


突如外から聞こえてきたのは、八木家のご子息である勇之助(呼び名は勇坊)の泣き叫ぶ声であった。
転んだ喧嘩したの類ではないことは、悲鳴を聞けばわかる。


名前「私、見てきます!」


悲鳴が聞こえた瞬間にぱっと立ち上がったのは名前である。
名前は大急ぎで部屋を出て、声のした方へと向かった。

勇之助は、案外すぐに見つかった。


勇之助「うわあああんっ、名前ーーー!!」


名前が勇之助を見つけるよりも早く、彼の方から名前へと一目散に突進してきたのである。
彼は明らかに怯えている様子で、名前の足にしがみついて泣いていた。


名前「勇坊、大丈夫だよ。大丈夫だから、ね?」


一体何事かと疑問に思うが、今は彼を安心させるのが最優先である。
しっかりと小さな体を抱き締めて、何度も声をかけて呼吸を促す。

しかし、勇之助が泣き止むまで待っている名前に、黒い人影が差し掛かった。


名前「 ─── っ!!」


目の前に立った二人を見て、名前は凍りついた。


永倉「…すまねえ、名前。土方さんを呼んできてくれねえか」


現れたのは永倉と斎藤である。
しかし彼らの着物には、未だ乾ききっていない血がべっとりと付着していた。
勇之助は二人を見て逃げてきたのだろう。
永倉と斎藤の姿を視界に入れるや否や、また大きな声で泣き叫び始めた。

名前の喉は、からからに乾いていた。
バクバクと心臓が暴れていて、呼吸がし辛い。

ついに、斬り合いが起こってしまったようだ。
二人は怪我をしていないのか?
あの血は返り血なのだろうか。

不安と恐怖がぐるぐると渦巻く。
しかし今、そんな事は言っていられない。
浪士組に参加すると決めた以上、いちいち動揺などしていられないのだ。


名前「…うん、わかった」


そこからの名前は自分でも驚く程冷静で、尚且つ迅速であった。
二人に怪我の有無を尋ね、二人が無傷だとわかれば勇之助を抱えたまま土方の元へと走る。
土方に簡潔に状況を伝えた後は勇之助を母親の元へ送り届け、洗濯盥と手拭いを抱えて庭へと走ったのであった。

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