銀桜録 黎明録篇 | ナノ


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──── 文久三年 三月四日。


名前「うわあ、凄い人出だねえ」

藤堂「ああ、全然見えねえ」


名前の言葉に頷いたのは、彼女の左隣にいる藤堂だ。
そして名前の右隣にいる斎藤も無言で頷いている。

今日は、徳川家十四代将軍である家茂公が上洛する日である。
元々浪士組は上洛する将軍を守るべく、京の治安維持の為に作られた組織だ。
この日のために京まで来たと言っても過言では無い。

しかし名前達は、朝から気分を害す事となった。
芹沢が家茂公を無能呼ばわりし、警護するには及ばないという発言をしたのである。
本庄宿での一件から芹沢は近藤一派の行動が気に食わないらしく、まるで敵対するかのような行動を取っているのだ。

そのため近藤一派だけで将軍警護を行うことになった。
といっても独自の警護であるため、名前達は完全に人混みに紛れていた。
将軍の姿を一目見ようと、町の人がごった返しているのである。
この中に将軍に楯突くような不逞な輩が居ないか、目を光らせるのが名前達の役目だ。


名前「それにしても、こんな人の多い所で将軍様に楯突く人なんているのかな…」

藤堂「流石にいねえと思うけどなぁ。お前だって将軍の前でやらかせねえだろ?」

名前「確かに」


将軍の前で何か粗相をすれば即座に首が飛んでしまうだろう。
それを実感し、名前はゴクリと唾を飲んだ。

将軍にお目見えできる機会など、一生に一度あるかないかである。
仮に暗殺を企てる者が居たとしたら、今日は絶好の機会と考えるはずだ。
しかし、この人の量では分が悪いだろう。


藤堂「流石に斬り合いにはならねえと思う」

名前「そうだといいんだけど…まあ、何も無いのが一番だけどね」


名前としては正直、刀を抜くような真似はあまりしたくはない。
勿論必要があれば抜くが、なるべく人を斬りたくないというのが本音である。


斎藤「…何があるかはわからぬ。油断はするな」

名前「うん」

藤堂「おう、そうだな」


斎藤の冷静な言葉に、名前と藤堂はしっかりと頷いた。

それにしても物凄い人出だ。
視界に入るのは人の背中ばかりで全く前の方が見えない。
近藤一派の中で一番背の低い名前は特にそうである。
背伸びをしたり飛び跳ねたりしているが、ほんの僅かにしか前方が見えない。

まるで兎のように飛び跳ねている名前を見かねたのか、原田が彼女の頭をぽんぽんと撫でる。


原田「見えねえのか?肩車してやろうか」

名前「あー、ありがとう。でもこの歳で肩車は流石に恥ずかしいかな…」

沖田「ついこの間左之さんに抱き上げられてた人が何言ってるの」

名前「それと肩車は別なの」


何が違うんだ、と沖田は呆れ顔だ。
しかし見えにくいのは名前だけではなく、他の皆も同じである。


永倉「これじゃ不逞浪士が混じっててもまずわからねえぜ」

井吹「なあ、もっと前に行かなくていいのか?」

原田「ああ、こんな後ろで警護も何もないだろ」


井吹の言葉に原田が頷く。
彼らの言う通り、この状況では警護どころか将軍の姿を目にすることすらできないのだ。

すると、突然人々から歓声が湧く。
どうやら将軍を乗せた大きな駕籠が目の前を通り過ぎたらしい。


近藤「此処を通されたい!我ら浪士組、将軍家茂公の警護に馳せ参じた!」


近藤が緊張した面持ちで声を張り上げるが、人々の盛り上がりが頂点に達したこの場では、彼の声は届かないようだ。

その間に将軍御一行は通り過ぎて行ってしまう。
それを見た近藤は悔しそうに顔を歪めると、勢いよくその場から走り出した。
土方や沖田も近藤に続いたため、名前達も彼等を追って走り出す。

暫く走って人集りを抜ければ、ようやく将軍の乗る駕籠がはっきりと見えるようになる。
といっても距離はかなり遠く、一行の姿はかなり小さい。
それでも近藤には、十分すぎる程の感動であったようだ。


近藤「おお…!家茂公が…将軍があそこに…御座す…!」

沖田「よかったですね、近藤さん!」


沖田の言葉に、近藤は感極まった表情で何度も頷いていた。
そんな彼の様子を見ていると、此方まで嬉しくなってくるものである。


土方「次はきっと、家茂公の間近で警護も出来るようになるさ。野次馬に混じってじゃなく、な」

名前「そんな日が早く来てほしいですね!」


そう言いながら名前が笑顔で土方を見上げれば、土方も表情を和らげて将軍御一行を眺めていたのであった。

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