銀桜録 黎明録篇 | ナノ


1

その日の夕餉は、いつも以上に活気があったように思える。
斎藤が浪士組の仲間に加わると知り、近藤が大変喜んでいたのだ。
喜びを顕にしていたのは近藤だけではなく、他の面々も同じである。
食事の席に並ぶ肩が一人増え、江戸にいた頃の仲間が揃ったと皆が顔を綻ばせていた。

勿論名前も例外ではなく、食事中はいつにも増して花が咲いたような明るい笑顔を浮かべていた。
作る食事や使用した食器が昨日よりも一人分増えていること、そして隣に並ぶ肩が増えたことが嬉しくて堪らないのだ。
それを見た沖田と原田は、心の底から安堵していた。

そして名前がいつも以上に笑顔が絶えなかったことには、もう一つ別の理由が含まれている。


名前「よいしょ、と…」


自分の部屋の前の縁側に腰掛ける名前。
そんな彼女が抱えているのは二冊の本であった。

今宵は満月。
夜に行灯を付けるのは油が勿体ない。
本を読むには丁度いい月の高さと明るさなのだ。


名前「どこまで読んだっけ…」


確か桜草で作った栞を挟んでいたはずだとパラパラと紙をめくれば、三分の一ほどめくったところで花が咲いている。
ああここだ、と栞を外し、少し前から読み始める。

名前が読んでいるのは『日本外史』。
この本は、一昨日近藤が借りてきてくれた物である。
町を歩いていたらたまたま貸本屋がおり、名前が以前から読みたがっていた本があったらしく、土産にと借りてきてくれたのだ。
ちなみに、もう一冊の本は辞書である。

近藤も忙しく駆け回っているはずなのに、大切な妹の存在は片時も彼の頭から離れることはない。
その様子を見ていた土方は、こんな忙しい時にと少し呆れる一方で、彼のそういう所が好きでついてきたのだということを実感せざるを得なかったのは、また別の話である。

名前がしばらく本を読みふけっていると、ふわりと体を羽織で包まれた。


山南「風邪を引いてしまいますよ。春の夜は冷えますから」

名前「あっ、山南さん。ありがとうございます」


羽織を掛けてくれたのは山南であった。
どうやらかなり集中して読んでいたらしく、彼が近づいて来る足音に全く気づかなかった。


山南「何を読んでいるのです?」

名前「『日本外史』の一巻です。兄様が借りて来てくださったんです」

山南「ほう、『日本外史』ですか。私も以前読みましたよ」


山南は少し意外そうな目を名前に向けながら、名前の隣に腰掛けた。
名前はというと、「本当ですか!?」と目を輝かせている。
尊敬の眼差しである。


名前「山南さんってたくさんの本を読んでいらっしゃいますよね」

山南「本は素晴らしいものですよ。知らない世界を教えてくれます」

名前「私もそう思います。だけど私が読んできたのは、きっと山南さんが読んだ本の数の十分の一にも達していないかもなぁ…」

山南「沢山読むことに越したことはありませんが、一冊一冊を丁寧に読み解くことも大切ですよ。その点貴方が本を読む時の目付きや扱いは、本を愛する人のものです。十分素晴らしいと思いますよ」

名前「えへへ、ありがとうございます」


名前は栞を挟んでパタンと本を閉じると、その本を大切そうに抱き締めて含羞んだ。


山南「歴史はお好きですか」

名前「はい、凄く!」


名前は笑顔で頷くと、そのまま夜空を見上げた。
満月を際立たせるように、無数の星が散らばっている。


名前「山南さんはご存知ですか?小さい頃に父様から聞いたんですけど、今私たちが見ている星の光は、実は数百年前のものだって」

山南「ええ、耳にしたことがありますよ」

名前「よかった!私、そのことを考えると凄くわくわくするんです。数百年前っていったら、この本に載るような人達が生きていた時代でしょう?そんな人たちが空を見上げた時に放たれた光を、私たちが見ている…。凄くどきどきします」

山南「ほう。それは夢想的ですね」

名前「ふふっ、そうでしょう?」


夜空を見上げる名前の焦茶色の瞳は、まるで星のように輝いている。
その瞳はすぐに山南の方へ向けられた。


名前「今の情勢を知るのも大切ですけど、全ての始まりは歴史にありますから。過去を学んで今ある状態とは違う可能性を知れば、違う未来を考えることもできます。歴史を知ることで、未来への希望を語れると思うんです」

山南「成程。素晴らしい考えをお持ちですね」

名前「ありがとうございます。歴史と和歌以外はからっきしですけどね」


くすりと笑うと、名前は抱えていた本に目を落とした。
長い睫毛が伏せられ、その瞳は何かを憂いているようにも見える。


山南「…どうかしましたか」

名前「…いえ、大した事ではないんです。ただ…私は、男に生まれた方がよかったのかもしれないと思って」


その場に暫しの沈黙が流れた。


山南「…何故そう思うのです?」

名前「だって…漢文体の読み物を好む女子ですよ。私、お裁縫の往来物や色恋沙汰の読み物には全然興味が持てないんです。和歌はともかく、歴史物ばかり読んで…。それに、剣の道を選びました。こんな女子が、他に何処にいるでしょうか。…だから兄様達にも、私が男だったらと思われているかもしれません」

山南「…そう、でしたか」

名前「…あれから色々考えてみたんですが、今はよくてもいずれ私の扱いに困る時が来るかもしれません。…兄様や土方さんは、何か仰っていますか。私を疎ましく思っていないでしょうか」


山南を見上げる名前の表情は、いつもの笑顔ではなかった。
しかし、悲しげな表情でもない。
喜怒哀楽のどれにも当てはまらぬ、無表情であった。

恐らく、客観視をするために感情を無理やり殺しているのだろう。
彼女らしからぬ行動だ、と山南は内心思う。

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