銀桜録 黎明録篇 | ナノ


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話は変わって、こちらは芹沢に酒を買ってくるように命じられた井吹。

帰り道の途中、町人から金銭を奪おうとしていた不逞浪士に突っかかってしまった事で、かなり危険な目に遭った。
運良く通りかかった藤堂達に助けられたものの、酒壺を割って酒を駄目にしてしまい、また買いに行く羽目になってしまった。

今日は散々な日だ、と溜息を吐きながら歩いていると、カン!カン!という聞き慣れぬ音が響いている。
どうやら壬生寺の方から聞こえてくるようだ。
一体何の音かと疑問に思った井吹が壬生寺の門の外からこっそりと様子を窺うと、そこには…。


名前「 ─── っ、やっぱり一君は強いなぁ!真剣でやってたら私はとっくにあの世行きかも!」

斎藤「あんたも相変わらず、凄まじい身体能力と動体視力だ」

名前「ありがとう。速さが、私の武器だからっ!」


殺気にも似た緊張感が漂いながら、木刀同士が何度もぶつかり合っていた。
先程の不思議な音は、木刀の音だったようだ。
そしてその木刀を打ち合っているのは名前と斎藤である。

井吹が八木邸で目を覚ましてから、最初に出会ったのは藤堂である。
そしてその次に出会ったのが名前であった。
彼女の第一印象は、"女みたいな男" だった。
それでも男だと思っていた井吹は、彼女の性別を聞いた時は心底驚いたものである。

しかしほぼ毎日朝と夜の食事を運びに来てくれた彼女は、なんだか優しくて温かかった。
傷が痛んで時折呻く井吹を懸命に励まし、痛みから気を逸らさせる為か様々な話を聞かせてくれた。
武士は嫌いだが彼女の優しさは井吹にもしっかりと伝わっており、少なくとも彼女は井吹の知る "武士" とは違っていた。
井吹の中で "武士" は、自分の父親を思い出させるものである。
誇りだ何だと豪語して身分が下の者を見下し、威張り散らしている印象が強いのである。
そんな武士であった父親も、その武士像を崇高していた母親も、井吹は全てが嫌いであった。

しかし、名前はどうだろう。
見ず知らずの怪我人を思いやり、献身的に看病をしてくれた彼女は、井吹の知らない "武士" だった。
何か見返りを求められるのではないかと警戒する事もあったが、一向にそんな様子は見せない。
そのため、井吹の中での彼女は『珍しく穏やかな武士』という印象へ変化していた。
正直、二日程前に彼女が差し伸べてくれた手を振り払ってしまったのは、さすがに申し訳なかったと思い始めていた。

そんな彼女が、斎藤と戦っている。
試合とはいえ、どちらも本気のようだ。


井吹「…なんだ、あれ…」


目の前で繰り広げられる光景に、井吹は目を見張る。
斎藤が名前に向けて突きを繰り出したが、それを瞬時に見切って避けた名前。
そのまま彼女は間髪入れずに斎藤の間合いへと踏み込んで、その腹目掛けて木刀を打ち込む。
しかし斎藤も瞬時に木刀を滑り込ませて、防御に入っていた。

素人では、目で追うのもやっとな程の剣捌き。
彼等はそれを完璧に見極めて、攻撃やら防御やらを繰り出しているのである。
常人とは思えない。

斎藤は勿論だが、名前の動きには井吹も目を見張る。
普段の天真爛漫な少女と同一人物とは思えないほど気迫に満ちた姿であり、女子とは思えないほど勇ましい。

しかし ─── 。
一瞬、名前が何かに気づいたように顔を顰めた。
素人の井吹にも分かったそれを、斎藤が見逃すはずがない。
刹那、斎藤の持つ木刀が名前の胴へと打ち込まれた。


沖田「一本!!」


その試合の審判をしていた沖田が声を張り上げた。
斎藤と名前は互いに丁寧に頭を下げると、ようやく張り詰めた空気が緩む。
名前は、困ったような笑みを浮かべていた。


名前「やっぱり一君は強いなぁ!1回も勝ったことないや」

沖田「でも、名前が一君から一本取るところも見てみたいなぁ」

名前「多分千年くらいかかってやっと一本かも」


名前は大真面目な顔で言っているので、冗談ではなく本当に追いつけぬ相手だと思っているのだろう。


斎藤「いや…更に腕を上げたようだな、名前」

名前「えっ、本当!?わあ、一君に言われると凄く自信が持てる!」

沖田「えー、僕は?」

名前「総ちゃんのは割と冗談に聞こえる」

沖田「失礼だなぁ」


ムッとして口を尖らせた沖田を見て、名前はカラカラと笑い声を上げた。
しかしふと、何かを思い出したように斎藤を見る。


名前「そういえば一君さ、打ち方変えた?」

沖田「あ、それ僕も思った。何処か別の道場で修行し直したとか?」

斎藤「いや…変えたつもりは無いが」

名前「あれ?じゃあ気の所為だったのかな…」


試合中に一瞬顔を顰めた名前だが、どうやら原因は斎藤の打ち込みの違和感だったらしい。
そしてそれは、同じく沖田も感じていたようだ。
斎藤が首を横に振れば、名前はあっさりとそれを認める。
だが、沖田だけは何かを探るように斎藤の顔をじっと見つめていた。

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