銀桜録 黎明録篇 | ナノ


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事件から二日後、芹沢の葬儀は前川邸で大々的に執り行われた。
葬儀には新選組隊士のほか会津藩関係者、壬生郷の人々など大勢の人が参列し、棺の前で近藤が弔辞を読んだ。
"寝入ったところを屯所に侵入した尊攘派の浪士に殺害された。"
かつて筆頭局長であった男の死は、表向きはそういう事になっていた。

芹沢は、壬生寺に埋葬される事となった。
芹沢の生き様には似合わぬ程、ひっそりとした寂しい墓だった。
そしてお梅は八木家が金を付けて西陣の里方に引き取って貰った。
合葬は叶わなくとも、せめて芹沢の隣に埋葬してやりたかった、というのが名前の本音である。

そして最後に残ったのが、井吹の処遇に関してだった。
井吹は隊士でないにも関わらず、内部事情を深く知りすぎてしまった。
土方にとっては、井吹は殺すか羅刹にするかの二択であった。
しかし土方が井吹の処分に関して話し合っていた所へ、物凄い勢いで斎藤が乗り込んできたのだという。
斎藤は井吹と芹沢が交わした約束を話し、井吹が直前に完成させた絵を見せた。
この絵ならば芹沢も満足するだろうと述べ、「約束を交わした相手が死んでしまったら、守る必要はないのか」と斎藤は主張したのだという。
これは全て名前が後に土方から聞いた話であったが、斎藤のお陰で井吹は処罰を免れ、晴れて新選組から解放される事になったのだという。


─── そして、九月二十六日。
早朝に、井吹は屯所を出ることとなった。
名前と斎藤は、井吹を見送りに来ていた。


斎藤「……これから、どうするつもりなのだ?宛はあるのか」


斎藤の問いかけに、井吹は首を横に振った。


井吹「今んところ、何も考えていないが......まあ、何とかなるだろ。筆と紙と描きたいものがあれば、俺は生きていける」


井吹は、笑っていた。
それは晴れやかな笑顔で、生きる希望に満ちていた。


名前「……また行き倒れないでね。ちゃんとご飯を食べるんだよ」


まるで世話焼きの母親のような台詞になってしまった。
しかし井吹は、そんな名前の言葉にも笑って頷く。


井吹「分かってるよ。生きてみせるさ」


彼は随分変わった、と名前は思う。
こんな風に彼の屈託のない笑顔を見れる日が来るとは思わなかった。
しかし、これが最初で最後だ。


井吹「そんじゃ、俺、もう行くからよ。あまり長々とここに居座ると、下っ端隊士達も妙に思うだろうしな」

斎藤「 ─── 待て」


井吹が背を向けた、その時。
斎藤が刀を抜き放ち、刃を井吹の首に宛がった。


斎藤「.....何の咎めもなく脱退できるとはいえ、お前がここで知ったことを外部に漏らそうとするな。もし、不逞浪士に情報を売ったり機密を漏洩したりすれば......草の根を分けてでもあんたを探し出し、この刀で ─── 斬る」


突如刀を抜いた斎藤に驚いた名前だったが、彼らしい言葉だと口元を緩めた。
刀を宛てがわれた井吹も、背中越しではあるが笑っているのが分かった。


井吹「あんたなら、本当にやりかねないな。平気だ。ここで知ったことを誰かにしゃべる気なんてない。俺は、もっともっと生きて ─── 爺さんになって死んじまうまで描き続けるって決めたんだからな」


柔らかい声に、斎藤も小さな笑みを浮かべた。


斎藤「……達者で生きろ」

名前「元気でね、龍之介」


井吹は斎藤と名前の門出の言葉に片手を上げると、真っ直ぐに歩いて行く。
彼が振り返る事は一度も無かった。


名前「……これで、良かったんだよね」


井吹の背中が見えなくなった時。
名前からそんな言葉が口を衝いて出る。
その声は、微かに震えていた。


" 芹沢「……それでいい」 "

" 梅「 ─── 名前さん、ありがとう……」 "



その言葉は、今起こっている事のように鮮明に思い出せる。


名前「芹沢さんも、お梅さんも……ちゃんと、望んだ道を行けた……?」


あの日からずっと、怖かった。
自分が間違った事をしているのではないかと、怖くて怖くて堪らなかった。


斎藤「……あんたは、二人の望みは何だったと思うのだ?」


聞き返されるとは思わず、名前は言葉に詰まる。
思い出し、考えて、ゆっくり言葉を紡いだ。


名前「……お梅さんは、最後まで芹沢さんと一緒にいたいって言ってた。……最後にね、お梅さん笑ってたの。『ありがとう』って、言ってくれてたの」


あれが何に対する礼だったのか、ずっと考えていた。
名前と笑い合った日々に対してか、望み通り芹沢と共に逝ける事に対してか。
図々しいかもしれないが、両者であってほしいと名前は思う。


名前「芹沢さんは、お梅さんを楽に逝かせてほしいって言ってた。だから……芹沢さんは武士として散って、最後はお梅さんと一緒にいることを望んでたのかなって……」


新選組の為に散り、死しても尚、愛する者と。
芹沢もお梅も、最後に名前に己の望みを託していた。


斎藤「ならば……その望みは果たされていると、俺は思う」


不意に斎藤のほっそりとした指が伸びてきて、名前の顔をそっと上に向かせた。
名前の視界に入った彼の蒼い瞳には、一切の迷いも偽りも無い。


斎藤「あんたは何一つ間違っていない。己の信じるものを貫き、その為に生きているのならばな。今までも、そして今後もそれは変わらぬ」


ストン、と。
名前の中で何かが落ちる。
心が軽くなって、吹っ切れたような気がした。

自分は一体、何度彼に救われるのだろうか。
あの夜も彼がいなければ、きっと自分は壊れていたと名前は思う。
彼に恩義を感じずにはいられない。
いつかこの恩を返さなければ、と名前は強く誓った。
そして、今できる限りを尽くしてこの感謝を最大限に伝えたい。


名前「ありがとう、一君」


名前は、笑顔を浮かべた。
曇りのない、いつもの明るい笑顔だった。
久しぶりに心の底から笑えた、と名前は思う。


斎藤「……ああ」


斎藤の蒼い瞳が、優しげに細められた。
風にふわりと靡いた名前の髪を、斎藤の指がそっと梳く。
優しい風に導かれて共に見上げた空は、雲一つ無く晴れ渡っていた。
あの空の上で、芹沢とお梅は互いの手を取り合って静かな時を過ごしているのだろう。


"芹沢「 ─── 成すべき事を成せ、近藤名前」"


青空に思い浮かべた芹沢の顔には、微かな笑みに似たものが広がっていた。



銀桜録 黎明録篇 【完】

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